ドイツ人外交官の疎開した河口湖ビューホテルには、外務省の事務所があり職員が滞在していたので、ドイツ側とはコンタクトを取り続けた。ここは軽井沢と異なる所だ。

以下は外務省調査官 石田久恒の報告書からである。適宜現代文に変え、筆者のコメントを添える。

 

<ヒトラー総統追悼式>

45年5月1日現在、河口湖ビューホテルに疎開したドイツ大使館員は63名。(経済使節団を含む)
欧州戦局の最終的進展、ことに「ヒトラー」総統戦死の報は当地大使館員、一般在留ドイツ人に対し少なからぬ心理的打撃を与えたが、彼らは何れも平静を保ち、今後の事態の成り行きを静観し、何ら表面的な動揺の模様は認められない。

5月4日午前9時 ホテル前に館員及び家族ら参集し「ナチス」旗を半旗掲揚して総統の死を悼む。
8日午前11時より「ホテル」2階広間において「ヒトラー」追悼式を挙行。予め書面において招待を受けた井上康二郎公使(河口湖事務所所長)夫妻以下所員これに出席。名取吉田警察署長、上田同特高主任、流石勝山村村長、小佐野勝山郵便局長も招かれて参列。


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