1936年11月に日独防共協定が締結された。両国の関係強化の一環として、ドイツから派遣されたのがヒトラーユーゲントの一行であった。外交史料館にその時の模様を詳しく記した資料が残る。本編ではそこから軽井沢訪問の部分をまとめて報告する。

訪日に関しドイツ側の窓口になったのはドイツヒトラーユーゲント駐日代表、ラインホルト・シュルツェであった。
日本駐在の彼がそのまま訪日団の団長となる。副団長はドイツからの団員ロルフ・レーデッカー(20歳)で、総勢30名が来日した。     

1938年8月16日から10月1日までの全滞在が89日の長い旅程であった。一行は横浜港に到着後、軽井沢には8月23日に着いて万平ホテルに宿泊し、3日間「日本に関するセミナー」の開催が予定された。

迎え入れを終え、報告書を書いたのは長野県知事、大村清一であった。以下はそこから抜粋し、適宜筆者のコメントを添える。
8月23日 

午後3時33分軽井沢駅に到着する。東京からではなく、前日の山梨県から中央本線、小海線を経由し東京に向かう上り列車で到着した。 県下各青年代表その他で1000名の歓迎があったと大村知事は報告している。途中通過しただけの甲府の駅頭が500名であった。どこも大人数を動員したようだ。
軽井沢の駅前広場では知事代理の歓迎の辞に対し、シュルツェ団長より答辞があり、万歳三唱の後、一行は万平ホテルに向かう。ナチスの歌を歌って旗を振っての2キロほどの行進であろう。

「一行は大歓迎を受け、殊に軽井沢に避暑のドイツ人の感激はとりわけ深く、一行は隊伍堂々、家々の歓呼を浴びて行進し、万平ホテルに入った」と読売新聞は伝える。

8月24日
一行は自由行動で休養、散歩などをして過ごす。午後7時30分より同10時まで軽井沢会館における映画会に出席。
現在新軽井沢会館は矢ヶ崎公園のそばにあるがこの時の「軽井沢会館」はどこにあったのだろう?親切な方が教えてくれたところによると、この軽井沢会館は軽井沢の「名士たち」が1938年6月に設立したばかりであった。場所は現在の旧三笠通りで駐車場にその名前が残っている。

グーグルマップより


8月25日
午前7時より8時まで早大グランドにおいて運動(フットボール、手りゅう弾投げ)をなす。
午前10時より軽井沢集会堂における駐日ドイツ教師連盟の日本に関する「ゼミナール」に出席。
午後7時よりホテルにおける、ナチス、社会教育部主催の団体歓迎晩さん会に出席。軽井沢に滞在中の100人のドイツ人が参加した。


ヴォーリズ設計の軽井沢集会堂は今日もある


8月26日
前日同様に軽井沢集会堂における講演会に出席するほか自由行動。
午後6時よりニューグランドにおける伍堂卓雄(当時は日本商工会議所会頭)の招待会に出席する。芳澤謙吉、鳩山一郎、オット独大使等の出席あり。
ニューグランドは横浜のニューグランドホテルが夏の間だけ経営したロッジ型ホテル。雲場池のそばにあった。

8月27日
午前中は前日同様に集会堂においてオイゲン・オットドイツ大使の講話などを聴く。
午後は1時から軽井沢会館における本県○○連合性少年団、軽井沢町等主催の交歓会に出席。
午後4時より前田利為候別荘(山欣荘)における近衛文麿首相の招待会に出席する。首相は東京でメンバーと会う日程の調整がつかなかったからだが、訪問団にとってはメインベントのひとつであった。

 

メンバーにはオット大使、首相の長男で秘書の文隆、大東亜思想の強い鹿子木員信(かのこぎかずのぶ)らがいた。

近衛首相は「近衛山荘」を持っていたが、招待会はそれより立派なつくりの旧加賀藩前田家第16代当主の別荘を利用した。

広い庭では参加者全員40人程が手を繋ぎ輪になった。近衛首相が両側のヒトラーユーゲントの若者と手を繋ぐ写真が残っている。時代を反映しているというか、何ともいえない印象である。

その後、午後6時30分より軽井沢会館における歓迎会に出席する。


かつて前田候の別荘のあった場所


8月28日
午前8時20分、軽井沢駅発上り列車にて日光に向かう。

「(外務省)調査部二課(真鍋) 覚書 ただ三か月彼らと暮らして気づいたこと」として、当時の割には忌憚のないコメントを残している。その中で軽井沢訪問については
「軽井沢では歓迎がほとんど全部ドイツ式だった。が私の感じから言えば、(避暑の日本人の)モダンボーイ、ガール共が『独逸式の挨拶を知ってきてるぞ!』という妙な誇りから来る、見せびらかしの様に見えて非常に嫌だった」と書いている。
解釈に苦しむが、日本の若者が右手を挙げてナチス式あいさつをしたのは好感を持てなかったという意味か。

ドイツ側の批評としては「軽井沢の歓迎は形式的な感じがした」、また「日本という感じが非常に少なかった」と書く。
軽井沢は町を挙げて外国人の取扱いになれていたというとであろうか。
 

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