書評 語る歴史、聞く歴史―

オーラル・ヒストリーの現場から (岩波新書) 大門正克

 

かつては読んだ本の書評をポツポツと別のブログに書いた。こちら

今回久しぶりに書いてみる気になった。

 

私もノンフィクションを書く身として、第二次世界大戦中に欧州に滞在した日本人、日本に滞在した外国人に会って話を聞いてきた。そうした中で感じたことは、終戦から77年経っており、健在な体験者も当時は子供であった。いろいろインタビューをしてもなかなか期待する情報は得られない、という事が多かった。そして相手からは申し訳ないという風にも言われ、こちらもとても恐縮してしまったこともある。

 

そうした経験から最近は、回想録等を中心に調べるが、これもなかなかあやふやな部分があり、一番信用が置けるのは当時の日記、写真、そして外交史料館などの一次史料、と考えていた。当事者の話を聞く機会があった際は、具体的質問はあまりせずに、話を聞く姿勢に徹してきた。これはベースとしてオーラル・ヒストリーに対する肯定的とは言えない態度である。

 

そうした中、最近知己を得た国立大学の元学長から推薦いただいたのが、表題の本であった。自分自身がオーラル・ヒストリーに取り組んでいなければ、決して手に取ることはなかった本だ。気になった箇所と自分のコメント述べていきたい。

 

1 「語る歴史、聞く歴史」の150年をたどるが、このような試みはおそらくこの本が初めてとのこと。本の特徴を著者自らがこのように表すことは、出版の意味を際立たせ必要であろう。

 

2 聞き手にとって「誰が、いつ、どこで、何をしたかといった分析的質問ほど困るものはないよう」であり「伸びやかな問わずがたりの時間」が必要ではないかと記す。私が感じていたことと全く同じだ。これに対し次から方策が述べられる。

 

3 「聞く」という言葉にはaskとlistenの二つの意味がある。「相手に尋ねる」と「耳を傾ける」の二つである。

語り手が語りたく伝えたく思っている事の核心に耳を澄ますことが大事である。つまりその人の「人生を聞く」ことが大事で、同じ話も聞く。聞きたい質問より相手が話すに任せる。文字史料や事実が重視される学問状況の中で、聞き書きの活用を説いている。そしてもちろん聞き取ってそこで終わりではない。

 

4 時系列もそろっていない聞き取った内容を「歴史的叙述」とする必要がある。具体的には文献とつき合わせることで客観性を持たせる。また個人の特殊性を突き抜けて層の体験(歴史という意味でしょう―私)にまとめることが出来るか、と多くの聞き取りを行えば真実が見えてくると筆者は言っている様だ。

結論として、最後は書き手が責任をもって、自分の言葉で次世代に伝えることが大事と言う。

 

5 これらを受け自分として思うのは、まず自分の聞き取り調査はまさに著者が書く「相手に尋ねる」で、それではいけないとは思っていた。

また著者が書く、聞き取りの内容と史実のつき合わせは、頭ではわかるが具体的にはどうするかはよく理解できない。

両者に大きな隔たりがある場合は、作者の責任でどちらかを選べ、それが出来ない場合は併記せよという事か。

 

以上の様に自分にとっては今後の調査研究にとって、かなり示唆に富む内容であった。しかしそうしたことをしない人が読むと、どういう感想を持つであろう?例えば自分の祖父の戦争体験に耳を傾けてみようと思うのが、著者の考える所であろうか?

 

メインのホームページ「日瑞関係のページ」はこちら
私の書籍のご案内はこちら

拙著

『心の糧(戦時下の軽井沢)』はこちら

『続 心の糧(戦時下の軽井沢)』はこちら