横浜刑務所はその場所から外国人には弘明寺刑務所と呼ばれ、多くの外国人が戦時中そこに拘束された。逮捕され横浜刑務所に収容されたドイツ人、イバル・リスネル(Ivar Arthur Nicolai Lissner)に関して書かれた『リスナー事件(II)』(ハインツ・ヘーネ)の資料に「外国人受刑者・被疑者一覧 1945年7月1日現在調べ」という表が載っている。
 
彼らはそのまま刑務所で終戦を迎えた。そこには横浜在住だけではなく、アジアの日本支配地域で逮捕された外国人も含まれている。また同盟国のドイツ人が最も多い。ドイツ側の要請で逮捕された人間も交じる。リストを元に筆者のコメント注釈を添える。横浜の歴史の暗い部分だ。
 
外国人受刑者一覧 
国籍      氏名       罪名     刑期、刑の始まり
ノルエー人  オーレ・ヨハネスン 軍機保護法違反  5年 1942年8月18日
 
英国人  ユーステクシエムス・マクドナルド 軍機保護法違反 6年 1944年7月5日
 
ドイツ人 ハンス・アドルフ・リース 軍機保護法違反 2年 1945年6月12日 
本牧元町372 発動機代理店
 
スイス人 ハンス・ヘルベルト・シュヴァイツァー 国防保安法違反 5年 1944年7月30日
「戦時下日本のスイス人」で紹介。シンガポールで逮捕。こちら
 
フランス人 アンドレ・ボッセ 軍機保護法違反、国防保安法違反 4年  1945年6月12日
磯子区根岸町 バルクとの関連で逮捕 「戦時下横浜の外国人」で紹介。こちら

 

外国人被疑者一覧 
国籍      氏名           罪名 
無国籍  マーガレット・リーベスキント 国防保安法違反。
反ナチスの元ドイツ人女性 1940年来日、1944年8月31日スパイ容疑で逮捕。戦前の在横浜メキシコ総領事館勤務時代にスパイ行為をしたことになっている。
 
無国籍  ハンス・エル・マイヤー 国防保安法違反。軍機保護法違反
名前から判断するとドイツ人
 
英国人  レイケル・ミルン 国防保安法違反。軍機保護法違反 
1943年10月まで本牧元町282在住 
 
スペイン人 フランシスコ・、ミゲル・プラナス 22 国防保安法違反。軍機保護法違反
横浜市中区大里町に住むナアニー・プラナスの家族でしょう。
 
フランス人 アンドレ・ボアクリ 国防保安法違反。軍機保護法違反 
山手町67
 
インド人 ラムチャンドゴバルダ・ムルチャニダニ 言論出版集会結社等臨時取締法違反
 
スイス人 ハンツ・ワインガルトナー 国防保安法違反。軍機保護法違反 
山手町31 商会員 「戦時下日本のスイス人」で紹介。こちら

 

 

ドイツ人 ヴィリーリヒハルト・ウインター 国防保安法違反。軍機保護法違反
 
ドイツ人 ハンスアドルフ・レアート 国防保安法違反。軍機保護法違反
 
ドイツ人 ヨハンバッハー 国防保安法違反。軍機保護法違反
 
ドイツ人 ミュラー・ウオイドナー 国防保安法違反。軍機保護法違反
 
ドイツ人 イバル・リスネル 国防保安法違反 1943年6月7日入所  
ユダヤ人でジャーナリスト兼作家であり、ナチスのスパイ。Ivar Arthur Nicolai Lissner
 
ドイツ人 ヴェルネル・クローメ 国防保安法違反 1943年6月5日入所 
リスネルと共に逮捕 通信員 山手222
 
フランス人 ジャック・ゴー 国防保安法違反  1941年12月2日入所
開戦前から5年近く収容されている。ベトナム系の名前?
 
インド人 ヂ・ラム・チャンド 言論出版集会結社等臨時取締法違反 1945年4月28日
 
ノルエー人 ウーエルイー・ジョハンセン  国防保安法違反 1941年12月13日
 
ノルエー人 カール・ジョセフセン 国防保安法違反 1942年2月13日
 
追記
ノルウェー人のふたりは終戦直前に高齢故に釈放されたようだ。 1945年6月5日付けスウェーデン公使館の外務省宛口上書
には次のように書かれている。
「ノルウェー人の2人の船長 K.B.Einersen (エイナルセン), Carl Josefeen(カール・ヨセフソン)は目下横浜刑務所から釈放されて、聖母病院(東京淀橋区)に滞在して軽井沢に移る準備をしている。スウェーデン公使館は移送と、彼らに課せられた条件を順守することを約束する。
横浜刑務所の所長からも、警視庁からも異論は出ていないので、早急に軽井沢に移送の許可を出してほしい」
(2021年8月17日)
------------------
祖父がユダヤ人のヨーン・パーシェの妻マリア・テレーゼによると、1945年5月のドイツ敗戦後にも関わらず、ナチスが逮捕すべき人物として日本の警察に渡したリストには2人の友人、ベルタゾンとブリュエフェルと夫ヨーンの名前があった。2人は沿岸部に残っていたので逮捕された。スイスの新聞を読んでいたのが理由で5月から9月まで刑務所に入った。ヨーンは軽井沢に疎開していて運よく逮捕を免れた。(『茅ケ崎市研究』大西比呂志)
このふたりの名前は上のリストには無いようだ。
 

筆者のメインのサイト『日瑞関係のページ』はこちら

筆者の著書一覧はこちら