ドイツ人カール・クライヤは長年,暖房技術の会社(Lurgi Gesellschaft für Wärmetechinik)の代表であった。この244番の邸宅が脚光を浴びるのは終戦直後のことだ。
 
占領軍を受け入れる日本側は、占領軍最高司令官と参謀長ほか9名のための住宅を、山手地区に用意することになった。山手一帯は空襲による被害が少なく、戦前に建てられた内外人の高級洋風住宅の大半が残っていたからである。
 
「受入設営委員会は、旭台のC・マイヤー邸を最高司令官(マッカーサーのこと)用に、根岸滝ノ上の平田穂作邸を参謀長用に、山手244番のC・クライヤ邸および隣接のW・エグチ邸を9名の将官用として調達し、それらの周辺地域にある他の邸宅も、士官用の宿舎にあてることを決定した。」(『占領の傷跡 第二次大戦と横浜』より)
 
ここからクライヤ邸は当時残る中では、相当立派な洋館であったと推測される。
1945年9月8日の朝日新聞によれば、この山手244番を宿舎としたのはマッカーサー元帥である。マッカーサーは実際ここで寝泊まりしたのであろうか?

また1945年8月31日のアメリカ側の報告書ではクライヤは「(日独間の)技術情報交換で役割を果たした人物」となっている。終戦は箱根村328番で妻マリアと共に迎えた。
 
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現在の244番に当時の面影はない。
 
その後クライヤ邸の写真を発見。詳細は「戦直後横浜のドイツ人不動産」参照。こちら
(写真は国会図書館所蔵、原所蔵機関は米国国立公文書館)
 
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