236番は山手本通りに面する。山手聖公会とは道を挟む。
イメージ 1

1941年12月8日、第二次世界大戦が勃発した時は、ブラジル領事ジョセー・ゴミデ・ショニオールが私邸として利用したいた。(他家族3名)一家は1942年6月に交換船で帰国するまで軟禁される。
 
その後1943年にはヘルマン・バウムヘエルト (所長 無国籍 家族1)が住んでいた。名前から判断するとドイツ人なので、ユダヤ人ゆえに国籍をはく奪され、無国籍となったか?
Bluff Archivesでは1938~39年の間、Spelman夫妻(The Yokohama Rubber Co.)が住んでいた。こちら
 
間の道を下りていくと237番。
山手237-1番館は木造2階建て昭和初期の建築(住総研 研究論文集No.42, 2015年版)となっているが、この家はすぐに認識できる洋館づくり。
イメージ 2
イメージ 3
 
1943年の住民は以下の通り。
エリック・キン (技師 ドイツ 家族3)
ヴェルナ・レベダック (会社員 ドイツ 家族2)
 
238番は237番の向かいだ。
イメージ 4

1943年に住んでいたのはオスカー・アベック(工場支配人 スイス 家族3)
彼の妹リリー・アベックは山手で生まれれフランクフルト新聞の特派員として戦時中日本に滞在。アベックについて筆者が調べたことはこちら参照。
 
Bluff Archivesでは1938年から42年までRuegg (Brady&Ruegg Yokohama)が住んでいた。こちら 
その後に来たのがアベックという事になる。
 
239番地の2 お宝鑑定団で有名な北原照久さんの「ブリキのおもちゃ博物館」。
同社のホームページには「古い洋館を改装した博物館」と書いてある。ここにあった建物であろうか?それとも移築?
イメージ 5
イメージ 6
 
この博物館の奥(一年中クリスマスのお店「Christmas Toys」)は宣教師の建物であったという。テレビで見たのだが、誰が住んでいたとかの情報は今のところ見つからない。(2021年8月16日追加)
 
1943年の居住者はメンノ・ウイルムス (無職 オランダ 家族1)。オランダは日本と交戦関係だが、彼はその後横浜市末吉町に移り住む。こちら
 

メインのホームページ「日瑞関係のページ」はこちら
私の書籍のご案内はこちら