山手本通りに面する225番は道を挟んで1番の横。グルーっと回ってきたが、ここで旧居留地はいったん完結の印象だ。

グーグルマップによれば「山手ヨットクラブ跡地」がある。戦前のクラブかと期待したが、海をこよなく愛するヨットマン御用達のレストランで2007年12月に閉店。
跡には今は立派な邸宅が建つ。
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「グランドメゾン山手225」の塀は古き時代(ブラフ積み)を感じさせる作り。
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地蔵坂公園の入り口にはBluff 225の名称。
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225番には1937年、ドイツ人Levedag(Jun.) Eduard Bennoが住んでいたが、1943年には外国人の居住はない。
 
226番は今の横浜雙葉小学校あたりで、実際に同校の住所は226番。電柱の広告も英語だ。
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227番は88番の向かいで現在「サンモールインターナショナルスクール サイエンスセンター」が227-1。他に民家2軒が同地番。1943年 イギリス人ハレバード・ウリステイレッパー (抑留中)が居住していた。
228番と229番は65番の敷地を一部借りるようにしてかつてはあった。いずれも今は存在しない地番。
 
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