山手本通り汐汲坂の交差点から、代官坂上交差点にかけてで、58番、59番の道の向かい。60番は1921年の地図では警察署である。
 

Bluff Archivesによれば”60番の家”として1941年、42年にPaschen夫妻(Doitsu Seiko K.K. Tokyo)が居住。こちら
 
1943年、ドイツ人家族を中心に8家族が60番に居住していた。60番乙はかつてドイツ領事公邸敷地として永代借地権が与えられていたためか、ドイツ人とは縁の深い地番の様だ。
 
エドワードビー・レベダック 商社員 家族3
マルカレッタ・ケムベン   無職  家族2
ルース・ケムラー      無職  家族1
ルース・ウスラー・バイパー 無職  家族1
ヒルデ・シャラー      無職  家族2
イルゼ・タムヘン      無職  家族1
フルーク・ツオツク     無職 本人のみ
イージスソラス・ハードケンデル 会社員 家族3 
 
最後のハードケンデルのみデンマーク人で他はすべてドイツ人。
無職のドイツ人はどれも女性の名前のようだ。彼女らは2番のブラフホテル同様、オランダ領今のインドネシアから引き揚げてきた婦女子であろう。
ドイツ大使館だけでなく、地域のドイツ人が彼女らを物心両面からサポートした。

60番の邸宅。
イメージ 1
 
イメージ 5
 
山手通りには面していないが60番‐3。
イメージ 6
 
かつては前に「山手60番館歯科医院」のサインボードあり。今は前の木が(撮影には)邪魔(笑)。
イメージ 2
 
歯科医にある名木。
イメージ 3
 
かつての61番A。山手61が壁に読める邸宅。代官坂の交差点の反対側に61Bがあった。今はユニオン教会で68番の2となっている。
イメージ 4
 
62番は代官坂上の交差点を元町と反対側に下る。その下は元街小学校。
イメージ 7
 
横浜旧居留地に関しインスタグラム、ブログでも発信しています。
インスタグラムはこちら
ブログはこちら
メインのホームページ「日瑞関係のページ」はこちら
私の書籍のご案内はこちら