山手本通りの汐汲坂の交差点にある46番は話題が多い。
 
1941年12月、日本が対米英に参戦すると、敵国となったコロンビアのグレゴリオ・アルメンカ総領事と妻がここで軟禁状態となり、1942年7月に交換船で帰国するまで暮らす。
 
1943年時点、6家族のドイツ人が住んでいる。
フリッツ・カルシュ (陸軍武官補佐官 家族3)
フリッツ・クリスチャン・ラップ (会社員 家族4)
フリードリッヒ・オホルード・エゲルスドルフ(会社員 家族1)
ハンス・セーガ(会社員 家族4)
アーサ・キュニック(商会員 家族2)
ポール・スぺリンガー(商会員 家族2)
やはり同胞は固まって住むようだ。さらに陳声林という中国籍の料理人がいたが、おそらく陸軍武官補佐官の家で働いたのであろう。
 
カルシュの証言では、彼はアメリカ人のフレージャ氏から借用した。毎日永田町の大使館に列車で通勤した。写真を見ると四角形のコンクリートの質実な洋館で通りに面している。空襲で破壊された。
 
46番-1は、今は誰も住んでいないようだが立派な邸宅。
1930年建築の旧アイリン・ヴェロス邸(山手46番館) と紹介する記述がネットにある。アイリーンは英語の女性名だが、、、
今はドラマの撮影などにしばしば使用される。
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一方「住総研 研究論文集No.42 2015年」によれば46番ー4が「46-4番館 木造2階 昭和初期の建築」となっている。建物の心当たりがないので、確かめに行ったら今は更地であった。
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ドアに46と書かれた洒落た家。
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46番-3の門柱。
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