報恩の白亀様 平成27年元旦に奉安・入魂しました。

夫老狐は塚をあとにせず。白亀は毛宝が恩をほうず。畜生すらかくのごとし。いわうや人倫をや。(されば古への賢者予攘(譲)といゐし者は剣をのみて智伯が恩にあて、こう(弘)演と申せし臣下は腹をさひて、衛の懿公が肝を入たり。
いかにいわうや、)仏教をならはん者の、父母・師匠・国恩をわするべしや。
此の大恩をほうぜんには必ず仏法をならひきはめ、智者とならで叶べきか。
(日蓮聖人「報恩抄」1192-93ページ)

狐(きつね)は、やがて死を迎える時には、自分が生まれ育った塚に決して足を向けて死なない、のだそうです。狐は「生まれ育ったトコロに対する恩・おかげ」をちゃんと知っているのですね。

 「白亀(はっき)は毛宝(もうほう)が恩を報(ほう)ず」

これは、昔中国の晋の時代に武将「毛宝」という人のお話です。
毛宝がまだ若い頃、江辺で一匹の白い亀をいじめていた子供達を見て、お金をあげる代わりに白い亀を助けてあげ、河に帰してあげたのでした。

それから20年たったある日、毛宝は武将として戦をしていたのですが、戦いに敗れ水を渡って逃れようとするものの、敵から追い込まれて、いよいよ「ここまでか」と諦めた時、20年前に助けた白亀が現れて、毛宝を背中に乗せて向こう岸まで連れていき難を逃れた、というお話です。

20年前に助けてもらった恩を、白亀は忘れていなかった。
それどころか、恩返しにと毛宝の命をも助けてくれたのですね。
このように、狐や亀といった畜生でも「恩」「おかげ」を知っているのです。

ましてや私達は人間です。「人として」忘れてはいけない道を大切に生きていきたいものです。

 


 

 制作者 工房菩提樹  池 内 敏  師 



亀を奉安する訳
2013年10月1日、弁財天大祭で、亀の五重塔を建立しました。
(亀の五重塔建立のページ参照)
そして、平成27年元旦には報恩の白亀様奉安・入魂しました。
亀を奉安する訳は、妙光寺の弁財天は、とても亀に御縁があるからです。

1658(万治元)年、広島城浅野家より上田城仙石忠俊候にお輿入れになった亀姫様が、守り本尊として捧持してきた厳島弁財天の分身像です。

厳島弁財天(日本三大弁財天の一つ)を奉安する安芸の宮島の大願寺の山号は「亀居山」といいます。亀居山とは、千畳閣・五重塔がある丘一帯で、空から観ると亀の姿に似ているところから名が付いたといわれています。神仏分離令までは、嚴島神社の御本殿にお祀りしてありました。

嚴島神社は、平清盛が平家の氏神として尊崇し、社殿を現在の姿に造営しました。そして平清盛は『法華経』を写経して奉納しました。社殿は海の上に建ち、あたかも『法華経』提婆達多品第十二に登場する大海の娑竭羅龍宮のようです。娑竭羅龍王のむすめは8才にして成仏したと書かれています。仏教徒の中では、この成仏した8歳の龍女が、日本では弁財天として応現されたと考えているむきがあります。

インド国籍を取得した佐々井秀嶺上人は、現在インドのナグプール近郊のマンセル遺跡付近に南天鉄塔が存在したと確信して、発掘作業を進めています。そこにはシャカラ湖があり文殊師利菩薩大寺が建立されています。
マンセル=マンジュシュリーであり、文殊師利菩薩菩薩の教化によって成仏する8歳の龍女の南天竜宮城はこの湖の中のことか。亀は竜宮城のお使い。ここには亀の形をした大きな岩山があり、その上に遺跡があります。ここが南天鉄塔の場とも考えられます。

日蓮聖人は『開目抄』で「妙法蓮華経と申すは漢語なり。月支(がっし)には薩達磨分陀利伽蘇多攬(さっだるまふんだりきゃそたらん)と申す。善無畏三蔵の法華経の肝心真言に云く『曩謨三曼陀没駄南(帰命普仏陀)唵(三身如来)阿阿暗悪(開示悟入)薩縛勃陀(一切仏)枳攘(知)娑乞蒭毘耶(見)誐誐曩三娑縛(如虚空性)羅乞叉儞(離塵相也)薩哩達磨(正法)浮陀哩迦(白蓮華)蘇駄覧(経)惹(入)吽(遍)鑁(住)発(歓喜)縛曰羅(堅固)羅乞叉マン〈牟+含〉(擁護)吽(空無相無願)娑婆訶(決定成就)』此の真言は、南天竺の鉄塔の中の法華経の肝心の真言なり。此の真言の中に、薩哩達磨と申すは正法なり。薩と申すは正なり。正は妙なり。妙は正なり。正法華、妙法華是なり。又妙法蓮華経の上に、南無の二字ををけり。南無妙法蓮華経これなり」と、南天の鉄塔にあったのは法華経の題目であると会通している。
南天鉄塔は、亀の上に立っていたとするイラストがある。