報恩の白亀様制作

11月23日 日蓮聖人御会式で入魂します


現在納経する『法華経』お自我偈写経10巻を進めています。ご参加ください。

夫老狐は塚をあとにせず。白亀は毛宝が恩をほうず。畜生すらかくのごとし。いわうや人倫をや。(されば古への賢者予攘(譲)といゐし者は剣をのみて智伯が恩にあて、こう(弘)演と申せし臣下は腹をさひて、衛の懿公が肝を入たり。
いかにいわうや、)仏教をならはん者の、父母・師匠・国恩をわするべしや。
此の大恩をほうぜんには必ず仏法をならひきはめ、智者とならで叶べきか。
(日蓮聖人「報恩抄」1192-93ページ)

狐(きつね)は、やがて死を迎える時には、自分が生まれ育った塚に決して足を向けて死なない、のだそうです。狐は「生まれ育ったトコロに対する恩・おかげ」をちゃんと知っているのですね。

 「白亀(はっき)は毛宝(もうほう)が恩を報(ほう)ず」

これは、昔中国の晋の時代に武将「毛宝」という人のお話です。
毛宝がまだ若い頃、江辺で一匹の白い亀をいじめていた子供達を見て、お金をあげる代わりに白い亀を助けてあげ、河に帰してあげたのでした。

それから20年たったある日、毛宝は武将として戦をしていたのですが、戦いに敗れ水を渡って逃れようとするものの、敵から追い込まれて、いよいよ「ここまでか」と諦めた時、20年前に助けた白亀が現れて、毛宝を背中に乗せて向こう岸まで連れていき難を逃れた、というお話です。

20年前に助けてもらった恩を、白亀は忘れていなかった。
それどころか、恩返しにと毛宝の命をも助けてくれたのですね。
このように、狐や亀といった畜生でも「恩」「おかげ」を知っているのです。

ましてや私達人間は、「人として」忘れてはいけない道があるのです。
この「恩」とか「おかげ」・・・
これは大事にしていかないといけません。
今まで生きてきた中で、色々な人から助けてもらったり、支えてきてもらったり とあると思います。
また身近な存在である「親」「兄弟」からもそうだと思います。
この「恩」とか「おかげ」を忘れることなく、日々の生活が出来るようにしていく事が大事なことなのです。