宇都宮市ゆいの杜の小さなヨガスタジオ
日日〜nichinichi〜のyokoです。
スタジオレッスン・オンラインレッスンを開催しています。
少人数制のヨガ教室です。
初心者の方も安心してご参加頂けます。
【人に対する畏怖の念】
昨年より南インドの伝統武術、カラリパヤットゥのインストラクター講座を受講しています。
その講座でインドやその思想について、学んでいます。
今回は、ヨーガ・カラリパヤットゥの根底にあるインドの思想についての私の考察です。
カラリパヤットゥの道場には、隣に治療院が併設されていることが多いそうなんです。
治療院では何をするかというと、アーユルヴェーダをもとに、オイルマッサージなどによる治療が行われています。
ここで注目したいのが、そのマッサージをする人について。
マッサージをする人、する資格のある人は、カラリパヤットゥの鍛錬を積んだ、道場の師範代以上の方に限られるということ。
人の身体に触れるマッサージをするまでには、長年の鍛錬が必要なんですね。
自身の身体づくりはもちろんのこと、人の身体に対する深い理解が必要である、ということなんだと思います。
これはヨーガにも繋がります。
私は師より、
ヨーガを伝える時、簡単に人の身体に触れてはいけない、と教わりました。
人の身体に触れて導くアジャストは、最低でも数年間のインストラクター経験が必要であるし、
それよりもまず、言葉でいかに伝えるかを磨きなさいと教えられます。
またマタニティヨガなどは、熟練の経験豊富な指導者が行うべき、と教えられています。
ヨーガもカラリパヤットゥも、簡単に人の身体には触らない。
人の身体を重んじている。
このヨーガやカラリパヤットゥに共通しているのは、その根底に、人に対する畏怖の念があるということなんじゃないかと思うんです。
その畏怖の念はどこから来ているのか。
古代インドの思想で
【梵我一如】という思想があります。
梵(ブラフマン)
宇宙の源 普遍的な存在
多くの神々はブラフマンから発生
我(アートマン)
個々の人間の本質
梵我一如
ブラフマンとアートマンは同一である
宇宙の源である普遍的な存在と、個々の人間の本質は同じである。
この思想から、人に対する畏怖の念が生まれているのでは⁈と感じました。
数年前インドを訪れた時、そのパワーには圧倒されました。
逆走では⁈とビックリするような交通事情。
走行中の電車のドアは開きっぱなし。
日本人の私からみると、様々な側面があるインド。
インドの人の思想を理解するのは、なかなか難しいですが、カラリパヤットゥの講座を受けていると、インドの人々が、神々をとても大切にしていることが分かります。
神々を大切にする思想が、人へも繋がっている。
以前看護師として病院で働いていましたが。
人の身体に関わることへの【恐れ】は、当時からありました。
今回インドの思想に触れて、ヨーガやカラリパヤットをやっていくうえで、この【恐れ】を知っているのは、幸運だと感じました。