そこに存在した、いやあったというべきであろうか、それは誰であるという具現化されたものではなく象徴的なものであった。
日本国で言えば天皇がそうであるように、サッカーで言ったらペレ、マラドーナがそうであるように、象徴的なものなのである。
このように概念の範囲内で捉える事の出来ないものを新事実として捉えることができるかどうかが、勝負を握るのである。
何事でもそうであるが、柔軟にフレキシブルに物事を捉え、頭の中に新しい戸棚を作りそこにしまう事が出来るのかが、おいて行かれるのか、着いて行けるのかの分かれ目である。
物事を捉えて考えるという点においては何事にも一度吸収してみて考えるという行為がすべての物事において、堕落して行くものにおいて決定的にかけているものなのではないか。
次世代に繋がる革新的なものを作る事が使命なのである。
その時点で何をしたいのか、何をしたくないのか、何をすべきなのか、すべきでないのか、楽しい事は何なのか、客観的か主観的か、本能的か利己的か、直感か、などどちらの方向に指標を示して進むべきなのかその場で考えるのが大事である。
僕は結局のところ自分の直感に素直に従う事が大事だと思う。
大抵の事はそのほうが上手く行くのだから。
ゆっくりと熟慮する事も重要だがそこで判断を遅らせてしまう事が命取りになる場面がある。
行動する時はそれまでの熟慮に基づく直感に従うのが僕の常である。
もちろん、直感というものをはき違えてはいけない。
直感は一見当てずっぽうのようにも思えるが一概にそうとは言えない。
なぜなら、その本人の経験や思考回路が働いているからである。
経験やその先までを一瞬にして感じ、その上で判断しているのだ。
だからよりよい経験をしていくことこそが何よりも大切になってくる。
経験とは現代社会ではとても大切な要員になってくる。
なぜならそれは、正否は別にして様々な情報が蔓延しているインターネット社会において代え難い要素だからだ。
どこにいてもインターネット環境さえ整えばまるで図書館で調べモノをしているように、情報を得る事ができる。
それはとても有益なことなのは事実だが、誰でも同じものを手に入れる事が出来る。
しかし、経験、体験というものはその本人意外に感じる事は難しい。
その経験、体験が人生において高い価値、財産と考える人も少なくないだろう。
筆者もそう考える人間のうちの一人だ。
そこには限られた人間にしか齎すことの出来ない絶対領域があると感じる。
そしてその経験、体験を数多くすることが人生を豊かにしていく物差しではないかと感じる。
仲間と共にそれを感じることが出来たらなんと素敵なことだろうか。
それを可能にするものとして筆者が人生で選んだものがフットボールだ。
選んだ理由を聞かれれば非常に簡単である。
兄がサッカーを選んでいた事。
Jリーグが始まる年に年長さんだったこと。
これらが重なり僕は自然と野球ではなく、サッカーを掴んだ。
それから運動神経の良かった、頭が良かった(素直に言う事を聞いていただけだが)僕はサッカーと共に成長していく。
フットボールから人生のすべてを学べると僕は信じている。
仲間、経験、体験、礼儀、作法、人生、しつけ、行動規範、幸福、情報、仕事、哲学、など数えきれない程のものがすべて詰まっている。
そのすべて詰まったフットボールにおいて魅力をいくつか上げる事が出来る。
まず最大の魅力とし上げることが出来るのは、過去のものを分析して現在に落とし込み、それをさらに次世代へ繋げることが出来る事。
その中には過去をないがしろにすることなく、評価していること、そこから新しいものを生み出そうとする力が常に働いている事が上げられる。
次世代に繋がる革新的なものを常に探求する事が出来るのである。