台風🌀一過で
スコーンと晴れた
暑い暑い1日でした
8月は
両親の誕生日があり
その日付が近づくと
ああ何歳だな、なんて
もう居ない人の歳を数えてる
そして8月は
終戦の月
敗戦の月
両親は戦争を体験した世代
だけれど
戦地に赴いてはいない
父は馬に乗っていたので
士官に属するのだと思うけど
詳しくは知らない
台湾は戦闘が無かった
(日本人です)
だから
私はここにいる
父が若い頃
どんなことを考えていたのか
ちゃんと聞いたこともない
当たり前だけど
私にとって
◯◯◯雄という人が
生まれた時から父であり
どんな人なのか
よく知らないことに気づいて
愕然とした
父は
あの日航機事故のあった
年の暮れに
脳出血で
あっけなく逝ってしまった
もう40年近く前の話
うちの玄関から見上げた
今日の空です
雲☁️ひとつないね
母は
お嬢様育ちで結婚して
世間知らずのまま
母になって
時代の波に翻弄されても
持ち前の好奇心と明るさで
乗り切ってきた
昔風の空威張りする夫を
看取ったとき母は60歳
それから38年
父のおかげで何も困らず
自由に楽しく
最後は娘に看取られて逝った
火葬場に消える前に
讃美歌486番
慈しみ深き♪
オヨメと2人で歌って
(すごく勇気が必要だった)
送り出しました
幸せな人生だったと思う
だけど
私が見えていたのは
母としての「母」
祖母としての「バァバ」
◯◯◯子という個人は
どんなことを考えていたのか
聞いたことはない
そんなふうに思うのは
最近
自分を
「おかぁ」とか「バァバ」
としか呼ばれなくなり
◯◯◯◯子という私は
どこへ行ったのだろう?
と考えてしまうから…
若い時から
ドキュメンタリーが好きで
戦争のあった時代の記録は
貪るように読んできた
この時期は
Nスペとかで
沖縄戦や広島長崎の話
県の戦争資料館で
働いていたこともあり
どういうわけか
この時代に惹かれます
10年程前に母をモデルに
あの時代から現在までの
三世代の物語を中編小説に
して書いてみました
小説らしきものを書くのが
その頃の趣味?みたいな…
とにかくビンボーだったので笑
お金のかからない遊びでした
久しぶりに
自分の書いたものを読んでみたら
なんだかまた
書きたい気持ちが湧いてきます
お父ちゃま
お母ちゃま
そう呼んでいました
(恥ずかしい〰︎)
私に子供が生まれてからは
ジィジバァバだったけどね
その方が楽になり
最後までソレでしたね
今 こころの中で呼ぶとき
やっぱり
お父ちゃまお母ちゃま
なんです
不思議だよね…
私がバァバになってしまった
きっと
笑ってるでしょうね
ここに自分が生きてる
その意味を思う
それが私の8月なのです