6月6日月曜日 11:00

義経千本桜(よしつね せんぼんざくら)の通し。
「碇知盛(いかりとももり) 渡海屋(とかいや)・大物浦(だいもつのうら)」

猿之助のせりふの見事さに感嘆の一幕。

初お目見得の武田タケル(市川右近の長男)演じる安徳帝(あんとくてい)が〈波の底にも都ありとは〉と和歌を吟じ終えると拍手がきた。
タケルのせりふがうまいのではなく、無心に吟じる声を頂点にもっていった猿之助のせりふの力だ。

安徳帝を前に猿之助演じる典侍の局(すけのつぼね)はせりふを*糸にのせて歌い上げていく。
「よう お聞き遊ばせや」に始まり「仏の御国(みくに)はこなたぞや」まで、帝ではなく全世界に今この絶望的な状況を訴えているみたいだ。
力強く悲劇を述べ慟哭した次の瞬間、子供の声で〈波の底にも都ありとは〉と和歌が流れてくる。これが祈りを唱えているように聞こえた。

こんな場面初めて見た。ここが一番の見どころだった。

染五郎の知盛(とももり)は線が細い。猿之助を前にして存在が霞んでしまった。
*勧進帳の弁慶を強い輪郭線を描いて勤められたのだから知盛も、とはいかなかった。
唯一、*手負いになってから長刀で兵と切り結ぶところに俊敏さと力強さがあってよかった。

この大物浦の*屋台がいつもとは違って、座敷の横に露台がついていて小ぶりの碇が隅においてあった。
けれども、露台も碇も芝居でまったく使われず、何のためにこのような形にしたのかわからない。

「碇知盛」という外題がついているのは珍しい。チラシをみると、三部の外題の形を揃えるためにこの呼び名をもってきたように見える。
〈碇知盛〉〈いがみの権太〉〈狐忠信〉が副題で、その下に場面名が並んでいる。


*糸にのせて 竹本(たけもと 歌舞伎で語りと太棹三味線で演奏される義太夫節)特有のリズムと調子をあわせてせりふを言う事。
役者に義太夫節の素養がないとできない。うまい人がすると、聞いているだけで観客の気持ちがたかまる。

*勧進帳の弁慶 染五郎は勧進帳の弁慶を勤めることを長年のあこがれとしていたが、つい先年2014年11月41歳になるまで、その機会に恵まれなかった。
弁慶は軟弱な風貌では勤まらない役だが、初役で見事立派な弁慶を演じた。知盛も弁慶同様輪郭線の太い役柄なので、見た目に線が細い優男に見えては勤まらない。

*手負い 登場人物が瀕死に陥った状態。
史実の知盛は源平の合戦において海で亡くなったが、この物語では死んだと思わせ実は生きていて義経に復讐せんとの野望を抱き機会を伺っていたことになっている。
しかしその望みは達せられず、義経の手勢に斬りつけられ、大物浦では血だらけの扮装で登場する。
写真は碇の綱をからだに巻き付け海に飛び込む直前の姿。白黒でわかりにくいが白地の衣装に赤い血がついている。
(大正7年 七代目松本幸四郎。染五郎と血のつながっている曾祖父)
知盛

*屋台 大道具のうち建物の事を指す。この場面では大物浦(現在の尼崎市大物町)にある船宿〈渡海屋〉の裏手という設定の屋台である。
知盛一行が義経の乗った船を襲うが、破れて船が沈む様を、官女達が座敷からみていいるという場面が演じられる。




*所作事(しょさごと) 時鳥花有里(ほととぎす はなあるさと)」
一面桜の舞台で気が変わっていいが、さっき岩から飛び込んだばかりの知盛が、またまた登場とはいくら*趣向が違っているとはいえ妙な構成だ。

お面をすばやく取り替えて踊るのも目新しくもなく、染五郎の踊りも特にどうということもなく、時間つぶしのために作ったのかな。

梅玉(ばいぎょく)、魁春(かいしゅん)、東蔵(とうぞう)、笑三郎(えみさぶろう)、春猿(しゅんえん)はこれだけの出演。なんとも気の毒な感じ。


*所作事(しょさごと) 歌舞伎では舞踊の事を伝統的にこう呼ぶ。

*趣向が違っている 同じ題材を違う方法で見せること。
今回、知盛の入水にいたるまでの話しを芝居で見せ、続く所作事で傀儡師(芸人)が人形で見せるという設定でお面を付け替えて数役演じ分けて見せた。



お昼は一階の売店で赤トンボのサンドイッチ¥800.おいしい。たいして食べたくない時に最適。