みむめのブログ
  • 16Nov
    • イヴォ・ヴァン・ホーヴェ演出作品上映会

      11月6日と7日 東京芸術劇場 プレイハウスそんなにお客さんが集まるとは思えないのにプレイハウスを使うのは密を避けるためか?一階にだけ100人ほど入っていた。1)作・ジョン・カサヴェテスのオープニング・ナイト 2006年上演2)作・ジャン・コクトーの声 2009年上演3)作・シェイクスピアのじゃじゃ馬ならし 2005年上演の順で見たが、「声」と「じゃじゃ馬ならし」がおもしろかった。「声」は、途中までどういう舞台美術で演じているかわからなかったが、前面だけガラス貼りになっている直方体の箱、つまり高層マンションの一室らしきところに女性が一人、彼からの電話を待っているという態。ガラス窓を開けた時の車の音で高層らしいとわかる。衣装が、ミッキーとミニーが肩を組んでいる絵柄を編み込んである水色のセーター。違和感を感じたが、これが後半、女性が失恋の痛手に絶望し状況が逼迫してくる様子が鮮明になると、崩れた精神のバランス、過去の甘い思い出など重複したイメージにつながりしっくりとくる。 14年前の舞台とはいえ、恋人からの電話が受話器を持つ家電話というのは不自然で、携帯の方は音楽を流し続けている設定。一人芝居となると、受話器の存在感も重要かな。前半を見ている時には、薬師丸ひろ子の「Wの悲劇」が脳内再生されるような甘美な雰囲気も漂っていたが、薬を飲んで自殺未遂をしたことをほのめかすあたりから急激に追い詰められて、最後は部屋の外に出て、両腕を大きく広げたところで瞬時にライトが落ちて幕。飛び降り自殺したことが暗示される。失恋の痛手とはいえ、自分で自分を追い詰めていく、そのスピード感に酔う。「じゃじゃ馬ならし」はとにかく下品。パンツは下ろすわ、そこに頭突っ込むわという、青年たちの性欲を可視化しましたというような有様が続く。そこにじゃじゃ馬・キャタリーナが飛び込んでくる。自分で白い冷蔵庫を引きずって来て、言いたいことをわめき散らし終わると、その中に入ってしまう。ペトルーチオがその冷蔵庫を横倒しにして底を指一本で撫でまわすところは、かなり淫猥。そんな場面が暴力的なまでに繰り返されて話が進む。ここでもキャタリーナの妹がミニーの絵柄のセーターを着ている。「声」とあわせて考えてみると「かわいいわたしを見て」の記号か?終幕近く、三人の夫が妻を呼び出す場面になると、従順だったキャタリーナの妹が上半身裸でピザを手づかみで食い荒らし初め、下品の代表のような有様になる。反してキャタリーナが静かに品性をたたえて落ち着きを見せる。夫の言いなりになったというより、居場所をみつけたような有様。激しく動き続けるので、UPになると女優のからだが擦り傷とあざだらけ。精神的なスピード感と肉体的なスピード感が秀逸な2本だった。

    • フリムンシスターズ

      11月4日水曜日 18:30シアターコクーン10月29日の夕刊に載った朝日新聞の劇評が良かった。「徹底した娯楽作である一方で、生と死、差別、権力による抑圧への深い洞察がある。」とあり、見終わったらその一言がこの舞台をいい当てていると思った。長澤まさみのからだの線がきれい。特に長い腕のライン。西新宿のコンビニで貧しい店員をやっていることにもリアリティが感じられるのだけど、沖縄の霊媒師に繋がる血筋だと言うのも、コケティッシュな魅力で納得できる不思議な味わい。最後にキラキラな衣装に変えて登場した時、おお!と声が出るほど華やか。舞台の空気を一人で変えられる姿は見事!秋山奈津子の売れなくなってきた女優の哀感がそこはかとなく感じられて、しかもそれが滑稽な味にもなっている。特定のお菓子(名前失念)を見ると万引きしてしまうという妙な癖も好きだな。阿部サダヲのヒデヨシは、俳優養成所にいるとき「男っぽく」と演技指導されると「江戸っ子」になってしまうという癖から抜けられず、おのれの限界を知り新宿二丁目に活躍の場を得たという役どころ。この設定が随所に生きていて、それがおかしい。狂言回しとして、ドラッグクイーンと思しき風体の皆川猿時が強烈。池津祥子の韓国人マダムは、明らかに韓国ドラマ「愛の不時着」のご婦人のパロディだ。残念なのは、ミュージカルと言っているけど、ワンフレーズも印象に残る音楽が無かったこと。舞台を見ていてもフリムンの意味がわからなかったのだが、パンフに松尾スズキが「島尾敏夫の小説〈死の棘〉で知った言葉で、”愚か者””狂った人”という意味だ」と書いている。見ていてこれがはっきり分かった方がよかった。

  • 02Nov
    • 11月国立劇場歌舞伎 平家女護島(へいけ にょごのしま)

      11月2日月曜日 12時-14時20分いつもながらの鬼界ヶ島の場に六波羅清盛館の場をつけての上演。中村吉右衛門の清盛の顔がいい。古怪とでもいうのか、力強さと好色ぶりが一目でわかる。平成7年(1995)に見た時はひょうきんな好色爺さんといった印象で、それもおもしろくて印象に残っているけれど。俊寛の妻・東屋(あずまや/菊之助)を我が物にしようと、中臈たち(中村京妙・中村京蔵・尾上緑)に東屋の機嫌を取らせるところ、三人の中臈が善意でやっているように見えて違和感。鬼界ヶ島の場の吉右衛門の俊寛は、もうドキュメンタリーを見ているような有様。からだに力が入らず声がでないといったセリフ回し、力が抜けているものの、久しぶりに聞く恋の話に気持ちが浮き立つさま、見入ってしまう。パンフにある通り、清盛館がつくと、妻を亡くし都に戻る意味を失った俊寛の気持ちがわかりやすくなる。中村雀右衛門の千鳥はずいぶんと丸っこい。かわいいには違いないけれど、ちょっとからだが重たそう。中村又五郎の瀬尾(せのお)が要所要所でいい形を見せる。一旦、赦免船に乗り込む後ろ姿に拍手がきた。最後、松の枝が折れ前にのめりになってから、からだを起こすと、まったくの無表情。心をつかまれる。幕が閉まっても拍手が長かった。帰りに〈おかめ〉(国立劇場近くの甘味屋)でクリームあんみつ。そのあと、伝統芸能情報館の企画展示「国立劇場の養成事業-心と技を伝えた50年-」に立ち寄る。養成所に入ると、制服として紋付・袴が支給されていると知った。紋付の生地はウールみたいだったけど。芝翫の家にいた「梅花(ばいか)じいじ」の活躍を追ったビデオを少し見る。児太郎時代の福助が「これからも色々と教えてもらって云々」というのを見て、ちょっと胸が詰まる。

  • 17Mar
    • NTL フリーバッグの画像

      NTL フリーバッグ

      3月13日金曜日 11:40TOHOシネマズ日本橋談志が落語は人間の業の肯定だ、と言ったと聞くが、この一人芝居は落語が描かなかった喰い詰めた「女性」の業の肯定だ。「女の一生」の布引けいが「自分で選んで歩き出した道ですもの。間違いと知ったら自分で間違いでないようにしなくちゃ。」という健気さを見せて共感を呼んだのが前の世代なら、このフリーバックの女性の壊れっぷりはまさに当世。彼氏に自分の一番すきなところを写メして送ってといわれ、トイレの中でオマタとオッパイを撮っている時の呆けた無表情が抜群にいい。こんな下品なことをしているときに虚無が全身に出る。しかも、Phoebe Waller-Bridgeの演技のうまさで、大笑いできる名場面になっている。同じことをしていなくても、わたしのどこかにもこれはあるよ。PCでポルノを見ている時も同じ。実家に行き、玄関に出てきた父親の顔を掌で押すという、本人も言う通りわけがわからない行動を淡々と話す所も妙に心に残る。何をしてもどこか寂しくて、わかっているけど行いが常識からずれていく。最後に幕開きと同じ、会社の就職面接場面に戻り、面接官に投げつける定番の下品な一言で終わる。その瞬間、ダメだこれじゃ何一つ状況は好転しないよ、とは思うものの、何とかせにゃあと爽快にまっしぐらだから、生きていけるぞこれはと力強く確信もできるので、全部OKデアル。日本で上演するなら寺島しのぶ、松たか子でも良さそうだけど、ちょっとちゃんとしている感が出過ぎるきらいがあるので、長澤まさみとか 吉岡里帆でどうかな。

  • 03Mar
    • NTL ザ リーマン トリロジーの画像

      NTL ザ リーマン トリロジー

      2月19日水曜日 11:40シネ・リーブル池袋去年ロンドン旅行をした時、評判になっていた舞台。なるほど、納得のおもしろさ。「売り家と唐様で書く三代目」までのリーマン一族150年の興亡を描く大河ドラマ。それをたった三人の俳優のみで描き切る。時代が推移しても衣装は変わらず1800年代のスーツとコートを身に着けたまま、わずかにサングラスを使うくらいで演じ分ける。例えば、三代目ボビー・リーマンを演じた時のアダム・ゴドリーは、顎を上げ、サングラスを気障な仕草で掛け、すっとした立ち姿で登場。また、結婚相手の若い女性を演じた時のサイモン・ラッセルは手首を直角に上げた瞬間に女性になった。舞台なら、体形、年齢、性別など演技力で作り出してみせるという見本のような見事な演技。商売で成功するのと相反し、ユダヤ教信者としての宗教行事が軽んじられていくことが、喪に服す時間で端的に表されている。最初に三兄弟の長男が亡くなった時、残りの兄弟二人はユダヤ教の教えの通り一週間の喪に服す。三男の時は三日、次男の時は三分。リーマン・ショックで崩壊することは知れているので、三代の当主がそれぞれ悪夢にうなされるシーンは的中する予言になっていて怖い。ずっと踊り続けて、死んだことすら忘れているというエンディングも栄華と虚しさが満ち満ちていた。エス・デヴリンの装置もよかった。直方体の透明な箱の中で三人は演じ、その背景にモノクロの映像が流れることで、場面の転換が行われている。三人の顕密な仲が箱に閉じ込められていることでイメージできるところから始まり、時が流れるにつれ、視界が狭くなり閉じ込められているような感じを与えることで箱の装置が生きていると思った。しかし、この透明な直方体はヨーロッパの芝居で好まれるのかな?NTL「イェルマ」、2017年来日公演 イヴォ・ヴァン・ホーヴェ演出「オセロ」でも使われていた覚えがある。日本でもNTLの三人の俳優と同じく五十歳代で、香川照之、佐々木蔵之介、堤真一あたりで上演できそうだ。

    • 二月歌舞伎座 昼の部

      ㋁7日金曜日 11:00「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」大顔合わせ、見ごたえ十分の昼の部だった。*〈加茂堤(かもづつみ)〉中村勘九郎(なかむら・かんくろう)の桜丸(さくらまる)。柔らかく、清々しくて素敵な桜丸。三好清之(みよしきよゆき/勤めた役者は嵐橘三郎あらし・きつさぶろう)一行がやって来て、立廻りになるところで「天まで知らぬ」と言って、目線をすっとあげた瞬間の目とかたちのきれいなこと。*〈道明寺(どうみょうじ)〉では、坂東玉三郎(ばんどう・たまさぶろう/人間国宝)の*覚寿(かくじゅ)にみごたえあった。夜明け前のわずかな時間のうちに、この老婆の身の上に、次々と驚天動地の出来事が襲って来たドラマなのだということが初めてわかった。襖が開いて覚寿が姿をみせると客席がどよめく。玉三郎が老婆か!という感じか。杖を振り上げた形はよくなかった。力がなく、迫力がまるでない。ただ、ここで「六十に余って白髪あたま」から「邪魔に思うたこの白髪、今日と言う今日、役に立田。頭を剃って衣を着れば、打擲(ちょうちゃく)の杖は持たれぬわい」というせりふがはっきりと聞き取れ、今更ながら、そんな事を言っていたのか、と感じたのが、芝居の最後に効いた。娘が殺される、殺したのは聟と察するやその聟を自らの手で仕留める、甥の*菅丞相(かんしょうじょう)が木像になる奇跡を眼前に見る、と覚寿の身になって見ればジェットコースターに乗って翻弄されているような時間だ。それが終わった時に「有為転変の世のならい、娘が最期もこの刀、聟が最期もこの刀、母が罪業消滅の白髪も同じくこの刀と、取り直す手に髻払い、初孫を見るまでと、貯い過ごした恥白髪、孫はえ見いで憂目を見る」と言って、ここで覚寿のドラマが終わった。そのことが初めて分かった。真っ赤な着物がかけられた伏籠が出ると、そこから菅丞相のドラマが始まる。この伏籠のあざやかな赤が場面転換の色に見えたのも初めて。片岡仁左衛門(かたお・にざえもん/人間国宝)の菅丞相は、連行されるために部屋を出て、きざはしに右足を落とし、遥か彼方を見やる姿が息をのむ程見事。菅丞相の万感の思いが、この一瞬にあふれ出て、見ていて涙ぐんでしまった。お昼は木挽町広場で歌舞伎うどん。ちょっと味が濃いがぱっと食べるのには便利。*〈加茂堤(かもづつみ)〉加茂川の土手という意味。そこで起こった出来事。*〈道明寺(どうみょうじ)〉実在する寺。 http://www.domyojitenmangu.com/index.html覚寿が住んでいたという。*覚寿(かくじゅ)歌舞伎の老女の大役「三婆(さんばばあ)」の内のひとつ。「盛綱陣屋」の微妙(みみょう)、「菅原伝授手習鑑」の覚寿(かくじゅ)、「本朝廿四孝」または「輝虎配膳」越路(こしじ)を三婆と呼ぶ。*菅丞相(かんしょうじょう)菅原道真のこと。菅原氏の丞相。丞相は大臣の唐名(古く中国で、天子を助けて国政をつかさどった最高の官/日本国語大辞典より)。

    • アルトゥロ・ウイの興隆

      1月27日月曜日 14:00KAAT神奈川芸術劇場とても興味深い戯曲だった。ヒトラーがあらゆる手段を使い独裁者としての地位を確立していく過程を、シカゴのギャングの世界に置き換えて描いた1941年の戯曲。戯曲を書いた時点で、ヒトラーがどういう人物が喝破していたという。平日の昼ということもあるけれど、観客に男性は一人、二人と見かける程度。 1,262人収容という劇場のほとんどは女性であり、草彅剛ファンではないかな。全編ジェームス ブラウンの曲に乗せて軽快に進む。草薙が主人公アルトゥロ・ウイなので、登場した瞬間にもう沸点を越える。2018年6月世田谷パブリックシアター・トラムで「バリーターク」を見た時、草薙の柔軟で大きな動きに引き込まれたのと同じ。その時、彼に負けず劣らずからだが動いたのが松尾諭。TVでは暗い、偏屈な役を演じていたし、丸っこいからだから鈍そうなイメージを持っていたけれど、舞台で見るとそのイメージを裏切る役者だった。この彼がロイの仲間エルネスト・ローマを演じる。草薙の横に居ることが多いのだが、ジェームス ブラウンの音に体が小刻みにみごとにリズムを刻んでいるのは彼の方だ。興行として無理なことだが、松尾がロイを勤めたほうが、戯曲の趣旨を生かせたのではと思う。最初に登場した瞬間には、観客が「あんた誰?」という目線を送り、ジェームス ブラウンの音楽に乗って、次々と企みがなされていくにつれ、そのリズム感の良さとともに魅了されていく。それがヒトラーに熱狂する民衆の気持ちに重なる、となれば一層面白かっただろう。最後に「熱狂する庶民をコントロールするのは容易なことだ」といったような意味の字幕が出て来て、拍手を送る観客に突き刺さる。けれどもアンコールに応えた草薙がその字幕を指しても彼の魅力に圧倒されて拍手はさらに大きくなるばかり。そう言えば、この舞台でシャウトしすぎたせいなのか「ブラタモリ」の四万十川の回のナレーションの声がつぶれていたナ。

  • 25Jun
    • Rosmersholm ロスメルスホルムの画像

      Rosmersholm ロスメルスホルム

      6月5日 水曜日Duke of York’s Theatre14.30pm台本は2008年メジャーリーグ発行 笹部博司の演劇コレクション イプセン編03「ロスメルスホルム」で読める。NHKBS「マスケティアーズ パリの四銃士」でアトスを演じていたTOM BURKE主演。好きだったので、彼が生で見られると思うだけでワクワクした。「ロスメルスホルム」はわかりにくい話しだ。読んで、観ても、最後に二人が入水心中をするという結末には違和感がある。台本にはない演出が加えられている。幕開きで、レベッカが窓から外を見る。その時に窓を開けようとして手にけがをする。彼女が罰せられるべきだという、一つの象徴のようだった。また、後半でロスメルが、家の使用人たちを解放すると宣言をして、ばらまくように花を手渡す場面があった。なので、イプセンの台本に独自の改変を施しての上演なのかもしれない。大道具がよかった。写真の様に居間の壁面に先祖の肖像画が二十枚以上掛かっている。この家が代々続いてきた家柄だと見てわかる。ただ、正面に一枚、黒人の当主の肖像画がある。これが何だかわからなかった。クロル役が黒人のGiles Tereraだったことと関係があるのか?わからない。椅子や机、肖像画すべてに布がかかっていて、使用人の手で順次取り払われて行く所から芝居が始まる。この家が暫く使われていなかったことがわかるのだが、リズミカルな動きでとても魅力的な幕開きだった。レベッカ、クロル、ロスメルの三人が食事をとる時、レベッカだけがぞんざいな祈りをしてとまどうところが、後の三者三様の思想にかかわる仕草になっていた。この食事中の会話で、お客さんが何度も笑ったのだが、後で台本を読み返してもなぜ笑ったのかわからない。最後は、レベッカとロスメルの二人が庭に出て行き、直後にクロルが部屋に戻って二人の姿を探していると、正面の壁の下から突然、一気に水が流れ出て来て、舞台を覆う。これは衝撃的な幕引きだった。心中してしまう意味はわからないが、全てを呑み込ませる勢いがあった。TOM BURKEは貴族然としたたたずまいが素敵だった。クロル役のGiles Tereraが滑稽なところも真面目に議論を仕掛けるところもセリフの緩急がよかった。劇評などは良いようだが、三階などは三分の一程しか埋まっていない。わかりにくい芝居だという点が集客にも出ているのかもしれない。二階は小さなバルコニーに出られる。小さな劇場なので、それだけでも開放的な印象を受ける。劇場に入る時、プリントアウトした紙を係員に見せたら、そこの階段を上って行けと言われるままに三階に行き、三階の係員に紙を見せたら一階ボックスオフィスでチケットに換えて来いと言われた。戻って列に並びなおして換えて貰う。これまたロンドンの劇場ではありがちなことなのでしょうね。右隣に座った、一人で見に来ていた青年が大変に礼儀正しく、座席を出る時、私の前を通るだけの会釈でも、きれいに頭を下げていった。顔の印象は薄いが、しぐさが記憶に残る青年だった。

  • 16Jun
    • The midsummer night's dream 真夏の世の夢の画像

      The midsummer night's dream 真夏の世の夢

      6月4日火曜日bridgetheatre 19:30ロンドンに行くと決めて最初に検索をかけたのは、このbridgetheatre。ナショナル・シアターライブで見て気になっていた。 Nicholas Hytnerが「真夏の世の夢」を上演するとわかって嬉しかった。賑やかで楽しい舞台だった。事前に出演者に検索をかけたらダンサーが多いとわかったので踊りの多い舞台かなと思っていた通り、妖精たちが天井から下がったリボンテープを使って宙で踊りまくる。劇場の形態が360度型なので、どこから見ても存分に楽しめる。ロバにされてしまうBOTTOM役のHammed AnimashaunにOBERON役のOliver Chrisが一目ぼれする。そして休憩に入り、再開が近づくと、妖精役が次々に天井から下がったリボンテープに絡み始める。そのダンスが本格的になると同時にポップスがかかり、スポットの当たった舞台が上がってくる。するとそこには泡風呂につかりシャンパンを掲げている恋に落ちた二人が現れると言う仕掛け。場内大爆笑。ポップスに乗って廻る舞台上のベットでセクシーながら滑稽に絡み合う二人。その上では妖精たちが見事なパフォーマンスをみせる。 Christina Cunninghamによる衣装も化粧もラメを多用してきれいに輝く。本当に楽しい場面だった。Hammed Animashaunは、最後の結婚式の余興芝居の場でも大活躍。一人の騎士が死ぬところをパントマイムで何パターンも演じて傑作。弓を引いて、その矢が胸に突き刺さり、心臓が飛び出して、それをキャッチして戻して胸を押さえて倒れ込むといった塩梅。終演が20分程押したのも、この自由なパフォーマンスのせいか。パックはDavid Moorst。小猿という設定もあって自在に飛び回る姿にはため息が出る程。若者二人が逃げ込む森は、写真の様にベッドで構成されている。夢を象徴していておもしろいアイデア。このベッドマットからパックが飛び出したり、中に消えたりといった、単純だがびっくりする仕掛けもある。全体の構成は原作通りではない。開演前にケースに入った中世の喪服姿の女性が運ばれてくる(蜷川の海辺のカフカの舞台装置みたい)。女は直立したまま無表情にまわりを眺めている。そこに太鼓の伴奏で讃美歌を歌う一団が入って来て、東西南北の位置でお経を唱える様に歌うという、葬儀場面からの始まり。最後、皆が仲直りする直前にこの葬式の場面に戻って来る。銃を携えた人も。そこからの和解の場に入っていく。オーベロンとティターニアの不仲を国家間の政略結婚による不仲になぞらえているのか?わかりにくかった。全て丸く収まった時には立見席の観客が手を繋いでグルグル周り、最後には大きな月のボールが2個出て来て、皆がそれを突いてまわる。盛大なお祭りになって閉幕。テムズ川沿岸で新たに開発された豊洲のようなビジネス街にある劇場なので、帰り路が怖いかなと思ったが、皆一斉に駅に向かうので、さしたることはなかった。開演前、荷物を預けるのに列をなしていたので、不思議に思っていたが、何のことは無い、皆立見席の人で、上着、手荷物を全て預けないと入れないきまりになっているようでした。

    • THE PHANTOM OF THE OPERA オペラ座の怪人の画像

      THE PHANTOM OF THE OPERA オペラ座の怪人

      6月3日火曜日Her Majesty's Theatreこのチケットだけ日本で買わず、当日10時の売り出しを目当てに Leicester Squareのtktsに友人と行った。売り出し10分程前に着いた時3,40人の列ができていたが、55ポンドのチケットを35ポンドで無事手に入れることが出来た。普段ミュージカルを見ないが、これは映画で見たことがあった。その時に、変な話だなと思った。主役のオペラ座の怪人が醜い理由がわからないし、クリスティーヌを手に入れることで、醜さの解消とかオペラ座からの解放といった展開もないようだし。恋敵の様に見えるラウルにも、最初から地位も容貌も負けている。クリスティーヌも怪人の仮面を無遠慮に剥がすしね。そして最後に怪人がただ消え去るだけ。そういえば、最初のオークションの場に出て来たオルゴールもそこに出てきたきりだった。物語がオルゴールに収斂するという構成にはなっていない。と、まあ色々突っ込みどころはあるのだけれど、音楽が抜群にいいのが、この舞台の命。今回、長年ファントムを勤めているScott Daviesと、クリスティーヌ役、Amy Manfordの歌がとてもよかった。カルロッタ役のKimberly Blakeも迫力があった。仮面舞踏会の場面の大階段、そこに登場する人たちのきらびやかな衣装など、うっとりする場面も多い。もちろん、シャンデリアの落下は、全部見えなくても中々豪快。その直後休憩に入るが、シャンデリアの撮影は禁止とのこと。楽しかった。観客は観光客が多いと聞いていたが確かにそのような感じ。日本が観光客を当てにせずミュージカルを成り立たせているのは、顧みてすごい事だなと感心したりして。〈外国-ロンドン-ならでは…かな?〉私の前の席に東洋系の男性客が一人で入って来た。この人が開演と同時にiPhoneを立ち上げた。歌詞かあらすじでもみているのかとおもったがすぐに消した。しばらくするとまたつけた。又しばらくして消したのだが、目障りな事この上ないので、次につけたら肩を叩こうかと思っていたら係員に注意された。そのままおとなしく見ていたが、休憩時間後には戻ってこなかった。私の隣にいた友人よると録画していたという。劇場からつまみだされたのかしらん?ここの劇場だけ日本と同じように入場口で半券を切った。ほかではプリントアウトした紙を見るだけか、本券に取り替えた時点(入場時間前)に切り取ってしまったりしていたので、ちょっと印象に残った。

    • Henry IV Part 2

      6月2日 日曜日Globe Theatre 13:00昨日、ほぼ満員のグローブ座に驚いたが、打って変わって日曜日の今日はガラガラ。三階席は15人程しかいない。やはり昨日はHotspur人気によるものだったようだ。残念ながら舞台も精彩がない。ファルスタッフは昨日と同じように、お客さんの飲み物を取り上げて元気よく動き回るが、なにせ、立ち見も20人そこそこ。昨日と同じ客席いじりをみていると、二番煎じな感が否めない。最後に出演者全員でダンスをする。これが軽やかな振付でよかった。三階正面最前列に席を取ったのだが、この席、足元から真下が見えるので怖い。世田谷パブリックシアターの三階最前列と同じ。なんとも落ち着かなかったのだが、隣の青年は手すりに肘をかけiPhoneを空中に出して平気でいじっている。休憩の後は誰も座っていない二列目に移動してゆったりと観た。〈外国-ロンドン-ならでは…かな?〉開演直前、男性客が入って来て、私の右手に座っていた老夫婦に「初めて見るの?」とか何とか言って声を掛けた。ふと見ると、なんと昨日の男友達風の男性ではないか。昨日着ていた青いシャツまで同じ。え?それじゃあ昨日一緒に居た老夫婦も知り合いじゃなくて、あの場で声を掛けただけなの?このおじさん、毎日劇場に来て、気安く声を掛けておしゃべりを楽しんでいるの?昨日もこの日もお金のやりとりをしているような感じは全くなかったので、ガイドではないようだ。芝居が始まると、この日は暑かったためかズボンのすそをまくり上げ、ビール片手にリラックスして舞台を見ている。大向こうさんみたいな人なのかな?後で地元の友人に聞いてみたが、わからないとのこと。奇妙な観客に出会ったなあ。

    • Henry IV or Hotspur Part 1 ヘンリー4世あるいはホットスパー パート1の画像

      Henry IV or Hotspur Part 1 ヘンリー4世あるいはホットスパー パート1

      6月1日土曜日GLOBE THEATRE19:30Lyttelton TheatreからGLOBE THEATREまではテムズ川沿いを歩いて15分くらいなので、空いた時間はテート・モダンのマーク・ロスコの部屋でまったり。作家本人の希望により薄暗くなっている部屋はじっくり、ゆっくり見るのに最適だった。昼夜ハシゴの鋭気を養いグローブ座へ。プリントアウトした紙をみせて入場。赤いエプロンをつけた方に席の入口を確認し、クッションを貰う。クッションはチケットと一緒にWEBで注文。こちらはプリントした紙を渡してクッションと交換。クッションカバーとエプロンが同じ赤い色だったので、これがグローブ座カラーかな。2階正面席2列目に陣取り開演まで周囲を眺めていると、お客さんが続々と入って来る。土曜の夜とはいえ、こんなにたくさんの人が見に来るものだとは思わなかった。座席は満席、立見の土間も八割がた入っていてぎっしり。この芝居、何と言っても抜群に魅力的だったのはホットスパー役の MichelleTerryという女優。題名にor Hotspurがつくだけのことはある。見ていて、この人は確かにホットスパー役だが、この芝居のホットスパーはこんなに小粋で俊敏で魅力的な役柄だったか?と自分が見誤っているのではないかと思ったくらいだ。NoとYesというだけのセリフが、抜群の間の良さでネイティブの観客と一緒に笑えるのだ。ホテルに帰って検索をして、女優の名前が分かったのだが、劇評をグーグル翻訳にかけると「一般的解釈の役作りではないが、こんなに魅力的なホットスパーは見逃すべきではない」といった事が書かれている。納得である。Glynn MacDonaldのファルスタッフは、大きなお腹を立ち見客に撫でまわさせたり、お客さんの飲み物を取り上げたり、しきりと観客にちょっかいを出しながら盛り上げる。ビールを貰って飲み始めた時には、役者仲間から「やりすぎ!」といった茶々も入る。大げさな仕草はしないし、上品な顔立ちだが、せりふのうまさで笑わせている。10時終演のあとも、Terryの演技の余韻が心地よかった。〈外国-ロンドン-ならでは…かな?〉私の前の席の三人連れ、老夫婦とその男友達らしかったが、三人並んで座り友達が熱心な説明役を買って出ているようだった。開演前に「そこ俺の席」とご老人が来たので、男友達は2列目に移ったが、その時「残念、来ちゃった」といった仕草をしていたので、ちょっとおかしかった。だがこの男友達に翌日びっくりさせられることになる。

  • 12Jun
    • Top Girlsの画像

      Top Girls

      6月1日土曜日National Theatre 内 Lyttelton Theatre14:15戯曲は1992年発行 構想社「トップ ガールズ」で読める。キャリル・チャーチル著 安達紫帆訳同じ著者の「クラウドナイン」を見ていたので見たいと思った。戯曲を読んだとき、二条なる「とはずがたり」を書き残した人が出て来ることを知ってびっくり。戯曲を読んだときとそう変わらない印象の、まあまあかなといった舞台だった。冒頭の一幕、歴史上に名を遺した女性達が、皆大変恵まれた立場か、男性のお蔭で名を残せたという背景がある事に気が付いた。そこに自力で会社での出世を掴んだ主人公が配される構図になっている。イギリスの旅行家、 Isabella Bird役がせりふで「妹と彼女の夫にとても良くしてもらった」と繰り返しつぶやくのも、そういう意味があったのかと納得。Wendy Kwehの二条は写真の通り、髪型もドレスもデザインされた独特のものなので違和感なし。和歌を読み上げるとき、いきなり声が裏返って詠う様は日本人が和歌を詠むイメージと同じで、周りが「何それ?」と一瞬凍り付くのがおもしろい。〈外国-ロンドン-ならでは…かな?〉大きな建物の中に複数の劇場がある。Lyttelton Theatreの一階席に入る入口が二か所ある。チケットを見せたら左側の入口に行けと。左側に行ったら右側の入口へと。戻ると左側へと。わざと派手に困惑した表情をして左入口の係員に再度チケットを提示したら、「ああ、ここの階段降りてね」って。まあ、ありがちな事なんでしょうね。一階最後列で見た。最後列は安いので一列埋まっていたが、最前列から三分の二が端から端まできれいに埋まり、その後ろにパラパラと観客が。真ん中ゾーンが埋まりそうなものなのに、なぜか横広がりにきれいに埋まっている。客席は全体が傾斜しており、背もたれも低いので、最後列でも役者の足元まできれいに見える見やすい劇場だった。上手下手の壁に英文字幕が出る。英語が不自由な私でも時々目をやると「あの場面だな」と確認できたのだが、これを読んでいたら舞台が目に入らない位置なので、耳の不自由な人に親切だとは思えなかった。字幕眼鏡Smart caption glassesの貸し出しもあるようで、使っている人がいた。休憩時間、ロビーに出られる。このロビーは劇場全体のロビーで誰でも入れる。けれども再度席につく時、何のチェックもなかった。最後の30分だけ只見をしようという奇特な人もいなかろうが、大様なものだ。

    • Betrayal 背信の画像

      Betrayal 背信

      5月30日14:30Harold Pinter Theatr日本でチケットを押さえた時、この芝居が一番売れていた。戯曲はハヤカワ演劇文庫で読める。幕開き、二脚の椅子があり、三人の登場人物が佇んでいる。不倫関係にある二人の会話で始まるが、女性の夫は舞台後方で真横を向いて静かに立っている。中心人物の三人は、その場面に居ない人物が退場せず、ほとんど舞台にいて、静かに気配を漂わす。この演出が良かった。夫婦と夫の親友、その親友が妻と不倫をしている感情の絡みが目に見える。元の戯曲は設定した年をはっきりと指定。始まりは1977年としているが、この舞台では年月はテロップで「二年前」「五年前」と写しだされ、時代をはっきりとさせていない。その分、内容が普遍的になっている。地名も旅先のベニスははっきりとそう言っていたが、ロンドンの地名は、聞き取れなかったのかもしれないが、カットされていたようだ。印象的な場面がふたつ。夫が妻に、自分の親友と不倫していることを知っていると告げる場面。正面をむいて並んで椅子に座っている(写真はその場面)。妻は、夫の話を静かに聞きながら、夫の手から腕にかけてそっとゆっくりと指を滑らせる。許しを乞うている風ではない。繋がりを求めているような仕草。危うくなった二人の関係が壊れない、ぎりぎりの繋がりか。せりふの中に2回も、男が不倫相手の女の、子供を抱き上げ放り上げてあやした話が出て来る。戯曲ではそれだけなのだが、この舞台では最後の方(たぶん第八場。密会場所のアパートでの会話)で、突然5歳ぐらいの子供が飛び出してきて正面を向いて突っ立つ。その子を夫が抱き上げ椅子に座って顔をうずめる様に抱きしめてじっとしている。椅子の乗った回り舞台がゆっくりと、妻と不倫相手のまわりをまわる。子供の存在が、こんなに効果的に使われるとは意外だった。夫婦関係だけではなく、子供の存在も絡んで、三人の関係が成り立っている。おもしろかったのは、夫と不倫相手の親友が食事をするところ。観客は、すでにこの時点で夫が妻と親友の不倫を承知しているとわかっている。夫は不倫相手にワインを注いでやるのだが、口ギリギリまで注いで知らん顔をしている。肉を切る時に切りにくそうにいらだった仕草をオーバーにみせるが、どちらも笑いが起こるコミカルな演技。その変な様子の意味がさっぱり呑み込めない不倫相手の男の表情も笑いを誘う。実に知的でセンスの良い舞台だった。〈外国-ロンドン-ならでは…かな?〉WEBでチケットを買った時、既に残り少なかった。私が買った4列目の席は「前に柱があるので決定的な場面を見逃すかもしれない」という条件付きで安かった。右隣りから5席は空いていたが、パンフとシャンパンまたはアイス付きで高かった。開演5分ほど前に、私の前の席(同じく柱が邪魔になる)の男性が劇場の案内人に断って柱の前の2列目に移動した。ほぼ同時に私の右隣の女性がさらに右手の人に「この空いている席、お連れさんが来ます?」とかなんとか聞いてから右にずれたので、わたしも彼女にOKをとって右にずれ、柱の問題はなくなり観る事ができた。最後まで空席に誰も来なかったのでよかったが、来たら元に戻ればいいくらいの感じ。これはよかったな。ちなみに私の右側の席の人達、誰一人パンフやシャンパンを持っていなかったので、たぶん当日券ディスカウントかなんかで買ったのだろう。

  • 04Feb
    • NTL ジュリアス シーザーの画像

      NTL ジュリアス シーザー

      2月1日金曜日吉祥寺オデオン 19:40National Theatre LiveBridge Theatre開演と同時にロックコンサートの始まり。動く舞台の周りに観客が立見で入っていて、舞台を取り巻いている。中に橙色のベストを着た警備員のような役者がいる。立ち見客は、ローマの群衆に見立てられているだけではなくて、演説を応援するビラやフラッグを振り回したり、舞台の移動に伴って動いたりと芝居の中に取り込まれている。この演出がおもしろかった。ブルータス役のベン・ウィショーがよかった。陰のある知的な雰囲気。シーザーの暗殺を企てる時も、書斎の中で本と書類に囲まれて語る。シーザーを倒すまで、登場人物は皆、コートとマフラーをしっかりと着込んだ格好。寒さの中、ぐっと考え込んでいる様が現れている。シーザーを撃ち殺すと―原作は刀だが―上着を脱ぎ、シーザーの血に手を浸す。それまでのモノクロ衣装から一転、赤い血が鮮烈。アントニー役のデヴィド・モリッシーが、ブルータスよりずっと場数を踏んだタフな政治家を演じる。演説の詞の力だけで聴衆を引き込むところも、大げさな振りはひとつもしないのに、とまどっている様にみせつつ魅了していく。うまい。書斎派のブルータスと、現場派のアントニーという政治家の対比がよくわかる。キャシアスは女優のミシェル・フェアリー。戦場で追いつめられた状況で、ブルータスとささいな誤解から言い争い、その誤解を解いていくところは聞かせる。どの役者もせりふが粒だっている。演出は、ヤング・マルクスと同じニコラス・ハイトナー。

    • 浅草歌舞伎 第2部

      1月15日火曜日 15:00劇場に入る前に、浅草藪で天ざる。西山で福々まんじゅうとコーヒーセット。コーヒーは初めて頼んだが、これもいい味だった。お年玉ご挨拶は鶴松。「残念なお知らせが二つ」と振って、ひとつは時間を見誤ってご挨拶の時間が少ないこと。もう一つはこのご挨拶が「松也兄さんでも、カッコイイ隼人さんでもない」ことだそうで、盛大な拍手を貰ってました。「寿曽我対面」巳之助の小林朝比奈がすごかった。所作がいいのは勿論だが、破壊力抜群。こんなに勢いのある朝比奈は初めて見た。朝比奈が元気なので、五郎の松也がこれまた目いっぱい力んでいる。歌昇の十郎と、役としては逆だと思うが、二人共動きがきれい。「番長皿屋敷」身分差がある社会で、結婚してもらえるどうか不安に思う女性に何の「忖度」もないという無茶な物語なので、好きな話ではない。隼人の青山播磨。せりふを歌い上げて聞かせるというところまではいかないが、どのせりふも語尾までしっかり言えていて違和感がない。梅玉が「播磨の役は隼人に」と指定して、隼人はとてもうれしかったそうだが、期待に応えていると思った。種之助のお菊。小柄でふっくらしているので、こういう素朴な女性役にぴったり。橋之助の放駒四郎兵衛。登場した姿が子供。これは致し方ない。鶴松の腰元お仙。とてもきれいな着物を着ていた。水色が映える総柄。今のお嬢さんが着てもいいのではと思えるもの。鶴松の芝居も控えめながらきちんとしていて気持ちいい。奴・権次に蝶十郎。お菊を斬り捨てようとする播磨を止めるところのセリフ回しに難があるが、からだをまるめた姿は奴らしくてよかった。播磨の伯母・後室真弓に錦之助。錦之助の女形とは珍しいが、意外や恰幅が良くて形になっていた。親子共演の場面を作るための配役だと思うが、それが受けている様には見えない。「乗合船惠方萬歳」鶴松の芸者、目線、顎先、手の先と、きれいな線を描く動き。こんな芸者さん、お座敷に呼んで間近で見てみたいと思った。巳之助の萬歳、種之助の才蔵、二人の息がぴったりとあっている。鼓を置いて、その上に扇を乗せる振りのあたり、リズムに乗って楽しかった。実に気持ちよく公会堂を後にする。

  • 16Jan
    • 浅草歌舞伎 第1部

      1月4日金曜日 11:00浅草公会堂先ずは浅草寺に参拝。大して混んでもいなくて、すんなりお詣り。お年玉年始ご挨拶は坂東新悟(しんご 28歳 坂東彌十郎の息子)。終演時間を読み間違えていたので、挨拶の時間が短くなってしまって、芝居のあらすじを紹介できないので、パンフかイヤホンガイドをどうぞとか、携帯の電源云々とひたすら告知に徹して数分で終わり。もうちょっと楽しい話をすればいいのに。「戻駕色相肩(もどりかごいろにあいかた)」駕籠舁きが二人と島原の禿、合計三人の踊り。筋が分からなくても見た目で楽しめる舞踊。中村歌昇、種之助兄弟(かしょう29歳とたねのすけ25歳、中村又五郎の息子)の踊りがシャープ。見ていて気持ちがいい。間に挟まっている禿役の中村梅丸(うめまる22歳 中村梅玉ばいぎょくの部屋子/へやご)とのバランスもいい。若々しく、正月気分に浸れる幕開け。*部屋子 門閥外の見どころのある子どもを「部屋子」として幹部役者が引き取り、全て面倒を見る。梅丸は、歌舞伎が好きで人を介して梅玉に紹介してもらい歌舞伎の世界に入ったらしい。↓数年前のインタビューだが、経緯が詳しく書いてある。https://www.kabuki-bito.jp/special/terakoya/01/index.html(尚、このページの最後に並んでいる松本錦成は、その後歌舞伎の道に進むのを辞めているので、そういうこともある。)「義賢最期(よしかたさいご)」中村鶴松(23歳 18代目勘三郎の部屋子)の葵御前と梅丸の待宵姫が並んでいるところは、二人があまりに若すぎて、桃色と紫、色違いの着物着ているお姫様にしか見えない。こういう並びも浅草ならでは。片岡愛之助の義賢は片岡仁左衛門の真似に見えるのに、尾上松也(まつや 33歳 故・尾上松助の息子)にそれがない。声が形作るイメージの違いだろうか?松也は持ち前の良い声が音吐朗々と響く。それが武将の悲劇のBGMのように聞こえる。最後の仏倒れまでの動きも早く鮮やか。新悟の小万が義賢を心配して右往左往するところなど、心情がからだににじみ出ていてうまかった。戸板倒しで、いつもは戸板の木の面に乗るのに、金地に松の絵を上にして乗っていた。見た目は派手になるが、滑りそうでもある。*仏倒れ 仏像が倒れる様に、体を真っすぐにすたままうつ伏せに倒れる倒れ方。義賢は幕が引かれる直前、座敷の上から三段程のきざはしにむかって豪快に倒れるので、最大の見せ場となっている。*戸板倒し 戦いの最中に、戸板を〈コの字・左90度回転の形〉に組み立て、義賢がその上に立って乗ったところで、片側に倒して見せる。見せ場の一つ。「芋掘長者」若手が総出。腰をフリフリ踊る仕草も、揃って大げさにふっている。新悟の緑御前が、婿に田舎者の芋掘藤五郎を選ぶと、他の皆が一斉に「エェ~!」と驚く間の良さ、客席大笑い。一人、重しとして中村歌女之丞(かめのじょう ベテランの女形)が松ヶ枝家後室として出てくるが、さすがの立ち居振る舞い。役のらしさに寸分の隙も無し。皆の息があっていてにぎやかで楽しい一幕だった。帰りに浅草藪へ。20分程並んだが鴨南蛮を食べて暖まる。

  • 07Sep
    • 出口なしの画像

      出口なし

      8月29日水曜日 19:00初台新国立小劇場大竹しのぶ、段田安則、多部未華子、ほぼ三人だけの芝居。面白かった。地獄に落ちた三人が一室に閉じ込められるだけという状況の中で、話し合っているうちにそれぞれが地獄に落ちた理由が見えてくる。多部未華子は六月に見た「ニンゲン御破算」にも出ていたが印象が薄かった。しかし今回はうまかった。容姿に自信があり自分が一番で、挙句に産んだ子を石で殴り殺して捨てたというのが地獄へ来た理由だが、段田に腕をからめキスをしそうでしない激しい動きをしながら、自分の思い通りにならないイライラ感が全身に出ている。演技に隙が無かった。最前列で見たので、彼女が舞台端に出て来ると顔のかわいさが目の前に迫ってタマラナイ。本当にそのままお人形さんになる。大竹しのぶは「イヤな女って言われる」と言う通り、嫌味な女の目つき、ずうずうしさがいい。段田を攻めて食いついていく迫力は圧巻。段田は、正義を貫かず姑息に逃げ銃殺刑にあった兵士で元新聞記者役。妻がおとなしいのを良い事に浮気相手を家に連れ込んだことも自慢するような男。それを思うと、もうちょっと粗野な感じの人ではないかなというイメージ。彼がメキシコへ汽車で逃げたと言うセリフが出て来るが、ブラジルにいるはずなのにどうやって行ったのか?聞き間違いか、それともありえない逃避行ということで笑うところなのか?地獄に閉じ込められていると思っていたのに、一回だけドアが開く。それなのに三人とも出て行かす、自らドアを閉める。この辺りの逡巡に見ごたえがあった。三人で出口近くを激しく動き回り、突き出そうとする人に抵抗する人、結局どうしたいのか結論は出ず、疲れていく。出て行った先に何があるかわからない恐怖も地獄だということか。舞台道具として、アグリッパの胸像とペーパーナイフがあった。ナイフは三人の争いの中で使われ、死んでいるので殺せない凶器ということなのだろうと思うが、胸像の意味がわからなかった。舞台衣装はチラシとは全く違い、大竹は黒のタイトスカートに白い柔らかい生地のブラウス。段田はダークカラーの背広。多部は水色のレースのワンピース。自分のかわいさを見せつける装い。それぞれ役柄にぴったりの選択。衣装は前田文子。

    • ナルト 猿之助千秋楽

      8月26日日曜日 夜の部漫画が元になってるとは知っていたけれど、何も読まずに劇場へ。抜擢された巳之助と隼人は期待に応えて魅力的。隼人の風貌は、3Dアニメそのもの。動きも颯爽としているし、ちょっと影もあっていい。巳之助も、くりくりと動く目が単細胞な男らしくてかわいい。けれども、これは戯曲が悪いのだと思うが設定が古臭いし悪い。まず、梅丸演じる春野サクラ。全身ピンクでかわいい女子を体現しているのは使い古されすぎていて、センスがまるで感じられない。忍者の学校では一番成績が良かったと言いながら、やってることは銃後の守りで傷ついた男の手当てをする看護師役でしかない。ナルト・サスケが主役とはいえ、こんな役割しか与えられないなんてガッカリ。サスケに告白するせりふも昔どこかで聞いたよなと思わせる陳腐なもので、しかも梅丸のセリフ回しが下手で恋の場面が盛り上がらない。旅立つサスケに追いすがるところは股旅物で、コリャ温泉場で昭和に見た芝居だよ。ナルトが笑也の綱手をババア呼ばわりしているのもずれている。綱手が出て来るので当然、自来也と大蛇丸も出て来るが、この三人が揃う古典的設定は全く使われなくて、ただ出るだけ。笑三郎の大蛇丸が女性的なせりふが怪しくてよかったけれど、これなら役名はなんでもよかっただろう。巳之助のナルトも、バカな少年だというのはいいけれど、これだけは出来るというのが見えにくい。というのも忍者の修行をして技を身に付けて行くのに、最後に最大の敵マダラを倒す時には、それまでの技は出てこなくて刀を振り回している。修行をして身に付けた技で倒してこそ、バカでもヤッター!なんじゃないのか?ナルトとサスケが対立して、さあいざ決闘となるところでサスケが「場所を変えよう!」と叫んで花道を引っ込む。え!?なんで?と思ったら、滝の大水の大道具設定のためだった。滝を出したい気持ちはわからないでもないが、そんな無理してまで…。ワンピースの二番煎じ感満載。猿之助のマダラは思ったほどラスボスでもなく、悪者の一人といった感じ。物語に食い込んで、随所で主役二人を阻むわけではないという設定が貧弱に見せるのかな。ワンピースは再演を重ねて脚本も洗練されていったから、この舞台も南座で再演が決まっている事だし、脚本見直されるといいな。

  • 03Sep
    • 八月歌舞伎座 第三部 盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)

      8月13日月曜日 18:00この芝居、今まで見て一番おもしろかったのは2011年渋谷コクーンの舞台。おふざけと凄惨な場面が交互に出てメリハリがはっきりとし筋が実によくわかった。今回、おふざけの場面-深川大和町、四谷鬼横町がまるで効かない。二軒茶屋も源五兵衛(幸四郎)を騙すために全員力を合わせて茶番を演じているバカバカしさが伝わってこない。橋之助(平成7年生)の六七八右衛門(ろくしちはちえもん)がうまいわけがないのはキャリアが浅いので致し方ないとはいえ、力不足をフォローする演出がないので、ただ下手な人が出ているというだけになっている。これは橘太郎(きつたろう/昭和36年生)で見たい。くり廻しの弥助を演じる中車(ちゅうしゃ=香川照之)はうまいのだが、長屋の連中、幸四郎の源五兵衛、七之助の小万(こまん)との会話が弾まない。五人切(ごにんぎり)の場では、衝立の血を盛大に流したり、源五兵衛が花道に出るとピンスポットで照らしたりと怖い所の演出は何かと工夫されていた。けれども瞬間的な驚きだけに終わったのは残念。最後の場面は完全に気が抜けている。飯を食べる生首の小万というのを止められないのかなあ。登場人物みな繋がってたのねというだけの場面だ。ということで、だらだらとして見疲れたなあという一幕。八月の楽しみだった吉兆の水ようかんがなくなっていたのは残念。