1月8日金曜日 11:00
「石切梶原(いしきりかじわら)」
四本もバラバラとした感じで見取狂言(みどりきょうげん)が並ぶ中、この一演目が今月の、イヤイヤ今までの中でもすばらしい一幕だった。
*見取狂言 「通し狂言」と対になる言葉。長い一本の芝居の良い場面だけ上演するものを何本か並べて上演する形態。今現在、歌舞伎座は大抵見取であり、国立劇場は通しであることが多い。
吉右衛門の梶原。今までも、そのセリフ回しは抜群によかった。今回、こんなところがなぜいいのかと言うほどの名場面があった。
中村歌六(なかむら・かろく)の六郎太夫(ろくろうだゆう)が、自分が切られていないことに気づくまで中村芝雀(なかむら・しばじゃく)の梢(こずえ)とやり取りをしている。
その横で梶原は刃こぼれが無いか確認している。その時、吉右衛門は立って上手(かみて)に向けた体の前で刀の鍔元から刃先を眺め、下手(しもて)に向き直って刃先から鍔元までじっくりと見分(けんぶん)している。
傷ひとつつかなかった刀のすばらしさに感服して笑顔をみせる。ただそれだけの動きなのに、陶然とする形のよさ。間のよさ。
この場面を目に焼き付けられただけで、芝居を見に来てよかったと心底満足できた。
周りを固める面々も十分な働き。
歌六の六郎太夫が、梶原に向かって事情を明かす時、ちょっと躊躇するせりふの緩急のよさ。
娘梢を家に帰らせるために嘘をつく時、梢の視線が自分から外れると、わずかに憂える風情をみせるのが、しみじみとしてよかった。
*事情を明かす 六郎太夫が刀を売りに来た訳を梶原に話す。梢の許嫁は、頼朝に味方する軍資金調達のために梢を傾城勤めに出そうとするが、梢の父・六郎大夫は家の宝である刀を売って資金に充てようとする。
中村歌昇(なかむら。かしょう)の俣野(またの)には爽快な勢いがある。父・又五郎が同じ役を務めた時、梶原に刀を渡す形がよかったのを覚えているが、目の動きだけなら今回の歌昇の方がいい。
この前に二本。
「廓三番叟(くるわ・さんばそう)」
片岡孝太郎(かたおか・たかたろう)、中村種之助(なかむら・たねのすけ)、市川染五郎、三人の踊り。
種之助の、去年の自主公演「船弁慶」で見せた静の愛らしさが、ここでも又見られた。新造松ヶ枝という役どころだが、顔も姿もポチャポチャとして可愛い。
*種之助 平成5年生まれの23歳。父は中村又五郎、兄は中村歌昇。三人揃って小柄な役者だが腕がある。伯父が歌六。
「義経千本桜 鳥居前(よしつねせんぼんざくら とりいまえ)」
中村橋之助(なかむら・はしのすけ)の忠信(ただのぶ)より、弁慶の坂東彌十郎(ばんどう・やじゅうろう)の方が立派で恰幅があった。
中村松江(なかむら・まつえ)の逸見藤太(はやみのとうだ)が意外や滑稽で楽しかった。このような軽い三枚目がうまくできる役者だとは思わなかった。
*軽い三枚目 逸見藤太(又は早見藤太)という役は「道化の端敵(はがたき)」といって、悪い奴なのだか滑稽に見せる約束になっている。
最後に玉三郎の「茨木(いばらき)」
これはよくなかった。片手で踊る所はどこも面白くないし、腕をつかみだし箱を蹴る所、揚幕に飛び込むところ、どこも動きが鈍くからだが重い。
真っ白に塗った顔の頬だけふわっと赤くする化粧は能面からとったのか。数日後、国立能楽堂展示室で見た山姥の面(おもて)が全く同じ作りだった。
渡辺源氏綱(わたなべのげんじつな)に尾上松緑(おのえ・しょうろく)、太刀持(たちもち)に左近(さこん)と親子共演。
松緑は最後に真っ赤な舌を見せるところで、随分顔が大きくなった。左近はきちんとした立ち居でまずは無事。
*片手で踊る所
下のブロマイドのように左手は着物下に隠し、右手だけで扇を扱い踊るのが見どころ。
六代目尾上菊五郎。

*腕をつかみだし箱を蹴る所
ブロマイドがその直前。
渡辺源氏綱が一条戻橋で鬼の腕を切り取った物語は有名。
六代目尾上梅幸。

*最後に真っ赤な舌を見せるところ
伯母真柴だと思っていた人が正体を現し茨木童子に変じ、腕を持ち去られ、無念の形相で幕となる。
その時の姿がブロマイドのもの。口を開け、真っ赤に塗った舌を出す迫力ある顔になる。
七代目松本幸四郎

ブロマイドは全て文化デジタルライブラリーより。
「石切梶原(いしきりかじわら)」
四本もバラバラとした感じで見取狂言(みどりきょうげん)が並ぶ中、この一演目が今月の、イヤイヤ今までの中でもすばらしい一幕だった。
*見取狂言 「通し狂言」と対になる言葉。長い一本の芝居の良い場面だけ上演するものを何本か並べて上演する形態。今現在、歌舞伎座は大抵見取であり、国立劇場は通しであることが多い。
吉右衛門の梶原。今までも、そのセリフ回しは抜群によかった。今回、こんなところがなぜいいのかと言うほどの名場面があった。
中村歌六(なかむら・かろく)の六郎太夫(ろくろうだゆう)が、自分が切られていないことに気づくまで中村芝雀(なかむら・しばじゃく)の梢(こずえ)とやり取りをしている。
その横で梶原は刃こぼれが無いか確認している。その時、吉右衛門は立って上手(かみて)に向けた体の前で刀の鍔元から刃先を眺め、下手(しもて)に向き直って刃先から鍔元までじっくりと見分(けんぶん)している。
傷ひとつつかなかった刀のすばらしさに感服して笑顔をみせる。ただそれだけの動きなのに、陶然とする形のよさ。間のよさ。
この場面を目に焼き付けられただけで、芝居を見に来てよかったと心底満足できた。
周りを固める面々も十分な働き。
歌六の六郎太夫が、梶原に向かって事情を明かす時、ちょっと躊躇するせりふの緩急のよさ。
娘梢を家に帰らせるために嘘をつく時、梢の視線が自分から外れると、わずかに憂える風情をみせるのが、しみじみとしてよかった。
*事情を明かす 六郎太夫が刀を売りに来た訳を梶原に話す。梢の許嫁は、頼朝に味方する軍資金調達のために梢を傾城勤めに出そうとするが、梢の父・六郎大夫は家の宝である刀を売って資金に充てようとする。
中村歌昇(なかむら。かしょう)の俣野(またの)には爽快な勢いがある。父・又五郎が同じ役を務めた時、梶原に刀を渡す形がよかったのを覚えているが、目の動きだけなら今回の歌昇の方がいい。
この前に二本。
「廓三番叟(くるわ・さんばそう)」
片岡孝太郎(かたおか・たかたろう)、中村種之助(なかむら・たねのすけ)、市川染五郎、三人の踊り。
種之助の、去年の自主公演「船弁慶」で見せた静の愛らしさが、ここでも又見られた。新造松ヶ枝という役どころだが、顔も姿もポチャポチャとして可愛い。
*種之助 平成5年生まれの23歳。父は中村又五郎、兄は中村歌昇。三人揃って小柄な役者だが腕がある。伯父が歌六。
「義経千本桜 鳥居前(よしつねせんぼんざくら とりいまえ)」
中村橋之助(なかむら・はしのすけ)の忠信(ただのぶ)より、弁慶の坂東彌十郎(ばんどう・やじゅうろう)の方が立派で恰幅があった。
中村松江(なかむら・まつえ)の逸見藤太(はやみのとうだ)が意外や滑稽で楽しかった。このような軽い三枚目がうまくできる役者だとは思わなかった。
*軽い三枚目 逸見藤太(又は早見藤太)という役は「道化の端敵(はがたき)」といって、悪い奴なのだか滑稽に見せる約束になっている。
最後に玉三郎の「茨木(いばらき)」
これはよくなかった。片手で踊る所はどこも面白くないし、腕をつかみだし箱を蹴る所、揚幕に飛び込むところ、どこも動きが鈍くからだが重い。
真っ白に塗った顔の頬だけふわっと赤くする化粧は能面からとったのか。数日後、国立能楽堂展示室で見た山姥の面(おもて)が全く同じ作りだった。
渡辺源氏綱(わたなべのげんじつな)に尾上松緑(おのえ・しょうろく)、太刀持(たちもち)に左近(さこん)と親子共演。
松緑は最後に真っ赤な舌を見せるところで、随分顔が大きくなった。左近はきちんとした立ち居でまずは無事。
*片手で踊る所
下のブロマイドのように左手は着物下に隠し、右手だけで扇を扱い踊るのが見どころ。
六代目尾上菊五郎。

*腕をつかみだし箱を蹴る所
ブロマイドがその直前。
渡辺源氏綱が一条戻橋で鬼の腕を切り取った物語は有名。
六代目尾上梅幸。

*最後に真っ赤な舌を見せるところ
伯母真柴だと思っていた人が正体を現し茨木童子に変じ、腕を持ち去られ、無念の形相で幕となる。
その時の姿がブロマイドのもの。口を開け、真っ赤に塗った舌を出す迫力ある顔になる。
七代目松本幸四郎

ブロマイドは全て文化デジタルライブラリーより。