6月16日火曜日 11:00
席に座ると随分元気な話し声が劇場内に反響している。三階はほぼ男女の高校生が占めていて、その声だった。
大声ではないけれど若さのエネルギーでワンワンする感じ。すごいもんだね。


「天保遊侠録 てんぽうゆうきょうろく」
中村橋之助(なかむら・はしのすけ)の勝小吉(かつ・こきち 勝海舟の父)。真山青果(まやま・せいか)の脚本が良くできているから、毎回おもしろい。
前回歌舞伎座で見たのは平成二十一年。扇雀の芸者八重次(やえじ)が雑でよくなくて、萬次郎の阿茶の局(あちゃのつぼね)に品格があってよかったのをよく覚えている。

そのときも橋之助だったが、今回、彼が一番よかった。手足に力味がないので、いかにも堅気に向いてない感じが漂う。
役人の接待を<もうやめだ>と言うまで、我慢したり、キレかかったりといった気持ちの動きもよくわかって、小吉が単純一方の男ではないとわかる。

八重次は中村芝雀(なかむら・しばじゃく)。小吉のことを怒っていても色気があり、売れっ妓になったのが納得できる芸者ぶり。

驚いたのは八重次の妹分芸者、奈良吉(ならきち)を勤めた中村児太郎(こたろう)。妹分らしい控えた目線に色気があって良い芸者だった。本当に進境著しいな。
お父さんの福助(ふくすけ)は、雑駁な芝居が目に立つ人だが、児太郎は丁寧。違う性分の跡継ぎでこれからが楽しみだ。

「新薄雪物語 しんうすゆきものがたり」
仁左衛門の秋月大膳(あきづき・たいぜん)の大きいこと!昼の部は彼が一番だった。
編笠をかぶって花道から登場した大膳。笠をとった時の顔の立派なこと。爽快な悪者だ。

Twitterで竹本葵太夫(たけもと・あおいだゆう)が、本を読むとおもしろいとあったので、読んでから観劇。
読んだ面白さからすると、不満は市村家橘(いちむら・かきつ)の来国行(らい・くにゆき)。適当に芝居をしているみたいで、つまらない。松本錦吾(まつもと・きんご)が勤めたらよかったのに。
来国行は息子・来国俊(くにとし)を勘当して不仲なまま、大膳に殺されてしまう。この親子の在り方が後の、正宗・団九郎親子の話に絡んでくるのだから、役の作りようはいくらでもあるだろうと思った。


序幕・新清水花見の場では、錦之助の左衛門と中村梅枝(なかむら・ばいし)の薄雪姫がきれい。
三階の高校生も、これなら一目ぼれで恋に落ちたという話に納得できたのでは。
ただ二幕目詮議の場で、同じ薄雪姫が児太郎に変わったのは不親切。
見慣れていてもアレレ?という感じがあったもの。

菊五郎は少し足を引きずっていたが、色奴・妻平(つまへい)の軽味は抜群。時蔵の籬(まがき)ときちんと恋人同士に見える。
水奴たちとの立ち回りでは、何もしていないようでいて、きっちりとした間で若手勢揃いの奴の動きを制している。
立ち回りを見て、あ、前回これは三津五郎だったなと思い出す。それを菊五郎が勤めなくてはならない座組みが少し寂しい。
五十歳代の立役がいれば、仁左衛門も菊五郎も二役する必要が無かったのではないかな。

詮議の場では、この菊五郎が葛城民部(かづらき・みんぶ)で場を締める。
左衛門と薄雪の手をとって扇の下で手を握らせるところは情味があふれてよかった。


この狂言を昼夜で分けて通したのは、お客さんを呼びたかったのだろうけれど、今回は不親切な感じがする。

お昼は食べずに、めでたい焼きだけ。高校生は¥250もするたい焼きを買わないと見えて、この日は商売あがったりの様で空いていた。

*真山青果
明治11年1878-昭和23年1948 小説家 劇作家。
元禄忠臣蔵、荒川の佐吉、天保遊侠録と、今でもよく上演される。

*お父さんの福助
中村福助のこと。2013年、歌右衛門襲名を目前に控えて病に倒れ、只今療養中。

*竹本葵太夫
現在、竹本の第一人者。竹本とは歌舞伎専門の義太夫演奏者のこと。
熱心にTwitterをしていて、その内容は観劇の参考にもなる。
彼が勧めた本とは「新日本古典文学体系 竹田出雲 並木宗輔 浄瑠璃集」

*色奴
役柄の一つ。武家の下男を奴と言うが、その役がハンサムだと特に色奴という。

*水奴
妻平をやっつけようと登場する敵方の奴たちは、手に手に水桶を持って登場し、水を掛けるような立ち回りをする。それを通称、水奴と呼ぶ。
結婚する男に地元の独身男性が石を投げつけたり、水を掛けたりして祝った習俗に基づくらしく、ここではそれを、籬と結ばれた恋人妻平に嫉妬した敵方の仕業と結び付けたもの。

*めでたい焼
歌舞伎座三階で売っているたい焼きの名称。小豆餡の中に紅白の求肥がはいっているところから「めでたい」としたもの。普段は休憩時間中に売り切れてしまうほどの人気商品。