
振り返る。
7月の初旬。
その数ヶ月前から親父が入院。
かんつぁんの休んだり出来ない予定とその頃わたしの体調の悪さ(咳ね、あの特殊な咳)で行けずに過ぎてたお見舞い。
わたしは親父っ子。服を買いに行くのもごはん食べに行くのも2人で行ってた。高価な物もなんでも買ってもらってた親父。そんな親父の弱った姿を見たくなくてずっと避けてた。それなら元気だった姿だけ覚えておきたくないというわたしの弱さ。あとはもう一つ理由もあったわけで。
だから意識不明になった日も行かなかった。その日また意識取り戻したと母から連絡あって、親父と電話も出来たんだけど翌日また悪いと。
ちゃまは行くべきって言ってたんだけどなかなか踏ん切りつかず。
なんかワンワン泣けてきて。やっぱり行こうと。ちゃまに連絡してかんちと2人で行ってくると言うとちゃまも行くと。
ちゃまは仕事抜けて帰って来てくれると。かんつぁんの学校に早退させてほしいと電話。塾にも電話。2人が帰ってくる間、準備してるときもワンワン泣いた。
渋滞の高速おりたら、バスの教習車の後ろに…くっそとろい。LINEしても既読ならないし、電話しても連出ない。
行くのを避けてたのに1秒でも早く行きたくなる心境になっちゃうんだよね。
聞いたことない病院だったし病室も分からず案内所にいく。
わたし親の生年月日も知らなかったわ…。
病棟にいくとなんと15歳以下はお見舞い禁止。入室は2人15分までって言われる。
アホらし。
結局かんちはディルームに居させられてわたしとちゃまでいくことに。

個室に入院してたんだけど入っていくとスマホ触ってた親父。しかもおじいちゃんそっくりなって「ぎょっ!」とした。
痩せすぎだろ…人相変わりすぎだろ…と思いつつ普通の会話をしなければと焦る焦る。
『スマホ触ってるやん』が久しぶりに会った親父への会話。焦りまくりだろ、わたし。あれだけ泣いてたのに明るい雰囲気出さねばと張り切って空回り。
すごい変わりようにマジで動揺した。
ソファに座ったら濡れてて上のエアコンから水ボタボタ。ほんとにボタボタ水滴落ちてくるの。ナニコレってなって日傘さしてソファに座わる始末。途中清掃の人が来て拭いてくれたけど他の病室もそうだと言うじゃない。病室で傘さすなんてしたことない。
母も来て結局3人入室してるし15分なんて余裕出過ぎてたし、なんならかんちも入ってこれんじゃないの?みたいな。
親父も看護師に『昨日はゆせもりーも入ってきてたんやからかんちも入れて』って言ったのに叶えられず。
『昨日はほんとにわたしたちが焦るほど危険な状態だったから15歳以下のお子さん達も入れたんです』
二人羽織とかで入ってこさせる?日傘で隠す?ちゃまとわたしで挟む?とか考えたけど結局病室とディルームでビデオ電話した。
眉毛が長くなってたから切ったり、もみあげ切ったりする。
帰る前に親父が『かんちの写真撮ってきて』と。いつもかんちの写真撮ってるよねと思いつつ撮ってくる。

もう見込みなんてないし、朝目覚めてもやりたいこともやれない日々が続く親父。呼吸が苦しくてわたしがいるときもチェーンストークス呼吸なって目を逸らしたくなった。心臓も安定せず、貧血がひどくて輸血しても至る所内出血。
『ごはんが嫌いな重湯やおかゆ。美味しいものもないし食べたくない』
主治医がきて説明してくれたけどなんだか苦しくなる。もういいじゃん、親父の好きにさせてあげなよ。
帰りにハイパーМから電話。『治療方針に腹立ったからコーヒーをボトルにいれて持って行ったわ!ゴクゴク飲んで美味しい言ってた。あんなん治療違う』
あ、ハイパーМはやったんだ?わたしもそれなら持っていこう。ってことでコーヒーケースを実家に送って、追加でまたケースで買って持っていった。
『この前危篤になったとき当直の先生やったんよ。その先生はよかった。人は満足に死んでいくことは少ないけれど少しでも本人がそう思える治療をしたい、みたいなことを言ってくれた。主治医は責任とりたくないから何がなんでも禁止と治療。でももう検査も出来ないやん。何のために禁止してんねん』
おお、家族よ。こういう型通りが嫌いな家族だったよ、思い出したわ。やっちまおーぜ、わたしら家族のやり方を。
個性というか個人を失う治療は生きてると言えるのかな。人が勝手に頑張って『並』にも届かない生き方を提供するなら『変』でいいな。本人わかってんのに。
かんちは予定つまりまくった今、病室に入れずともまたお見舞い行くってさ。
比較的新しい病院でエアコンから水落ちてこなければ綺麗な病院病室だった。
頑張ってとは言えず、また来ると帰ってきた。
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5日後、お見舞いへ。病室入れないかんちも行くというのでクラブ休んで連れて行く。ハイパーМたちも来る予定だったけどまさかの風邪っぴき。
病院ついて、なんか納得行かずかんちにもう入ったらいいわと無言で我関せずスタスタ歩けと平然装って入室。
かんちビデオ電話して見てたはずなのに絶句。でもわたしは前より顔色よくなってたから安心した。20分喋ってとんぼ返り。
この日はかんつぁんの塾で高校説明会があって行くっていうから焦る焦る。ギリギリ間に合う時間に帰れて自転車で向かったかんち。
かんちのすごいとこってこういうとこだなぁと思う。人とはズレた底力がある。
今年の夏休み、クラブも塾もない日がかぶってどこか行こうってなってたけど実家いくことにした。
んでお盆休みにいく。転院したみたいで違う病院へ。前の水滴落ちるけど素敵病院がよかったなと思ったけどスタッフの人たちがこっちのほうがよかった。
だけども。
母が祝日のお見舞い時間間違えて入れない。会わせてくれと病院のスタッフやら病棟に電話して粘ったけれどコロナが増えてるから無理だと門前払い。
というかね、ここに転院した直後にコロナに罹患した親父。その時は電話で『咳はなくて熱だけ。お見舞いは何日かあけないといけない』って言ってたけど。
ずっとコロナ状態の病院。
洗濯物をスタッフの人に渡して終わる。スタッフの方の申し訳なさは伝わったけれどわたしらお見舞いに恵まれねー。また来るねと電話で伝えて実家へ戻る。
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2日後改めてお見舞いへ。ヘアカットしてもらってたのもあるけれど以前と違って顔色もよくて見た感じが全く違った。死ぬ間際から普通の病人、みたいな。
『朝のトーストが美味い』と。
重湯やお粥じゃなくて白ご飯も出ると嬉しそうだった。でも家のご飯が食べたいと。
訳あってお見舞い時間ギリギリに行ったからたった15分ぐらい喋っただけ。それも面会時間結構過ぎてて病院からの出口閉鎖されてたという。
お見舞いが難しい今の世の中。
百折不撓とはならないな。
━━━━━━━続く。





















