2月を振り替える。

2月始め、かんつぁん駅前でカラスに頭突きされる。痛っ!!って思ったらカラス。後ろの男子が走ってきて『大丈夫か?カラス当たってたで』と。みんなで爆笑して登校したっていうけど知らんぷり

よく似た遠い記憶が。

わたしも公園の中の道をかんち乗せた自転車で走ってたら左のほっぺたに突撃されたんだよな。あの時は後ろの家族連れのお父さんが走ってきて『大丈夫ですか?』と笑い噛み締めてたのを思い出す。  

デジャヴ。


塾の高校説明会?みたいなのがあったんだけどちゃまだけ参加。こんなのわたし興味ない。今まで参加したけど面談で聞いてるしなーといつも行ってよかったと思えなくて不参加。

ちゃまはためになったっぽく帰って来た。入れ違いでかんつぁんは塾の5教科テスト。

このテスト凄まじい点数とってきたわけです。遊んだらすぐ落ちるって分かりやす…。トドメ刺された感じキメてる


なのにご褒美でかんちリクエストの近所のビュッフェ。もう行きたくないわたしとまた行きたい2人。

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翌日からかんちの体調が怪しくなる。文化祭の合唱コンクールを無駄に頑張ってた最中、とても怪しく過ごしてたこの頃。

前日、学代の役割を聞いてきたのにその夜と当日は発熱。申しわけなさ過ぎる。

いつものようにゴミ雑巾のように暗い部屋で全く起きることなく寝てたかんち。2日ほど寝込んで元気に。

回復したと思いたいわたしらは日曜日、ドライブに行こうと和歌山へ。

月曜日に学校行くとみんなから『さぼんなや』と非難轟々。笑


祝日はバレンタインチョコ作り。わたしはノータッチと思ってたんだけど思いの外、時間かかって手伝う羽目に。今までで一番簡単なものだったんだけど。笑

15人分と予備2つ、全部なくなってウキウキで帰ってきた。


かんちは人に対して何かするとき絶対苛つくんだよね。焦りや自信のなさから来る苛つき。完ぺき求めたり評価気にしたり。終わると喜んでもらえたと解放感と満足感と達成感でストレス解消なるんだけども。

わたしはこういうのを楽しむタイプだけどわたしもやるのが嫌なことあるとこうなるから、似た不安

↑学校行事とか塾関連とか!


1週間後、わたしの体調不良。嘔吐と熱と腹痛で動けず。翌日、同じ症状がちゃまへ。ちゃまはわたしがなかった下痢も。

ノロだったのかな?

治まったもののなんだかダルい。そんな中、親父の納骨。かんちは塾でわたし1人で行くと言ったけどちゃまも行くと。自主隔離して別室でお経聞いて、遠くで納骨見守ってみんなで会食も辞退。

翌日の月曜日、かんつぁんが同じ症状。そして一番酷いことに。動けないかんちを車まで運べないからマジで初めて救急車呼ぼうかと思ったほど。

おゲロ様の病院の小児科に電話したら1年診察に来てないと7000円かかるから近くの小児科へ行ってくれと。動けないしわたしは運べないんだけど。

やだーって言うとそっちのほうが早いって言われる。やだー車まで運べないし近くの小児科のパーキング事情悪いからそっちに行きたいと。

結局すんごい渋られたのでいつもの小児科へ。したらさー点滴打ってくれないし、吐いて飲めないのに錠剤の整腸剤しかくれなかった。しかもノロじゃないって言われる。

行く意味なかったわ。

車から乗り降りすることも帰宅後玄関で動くことも出来なかったかんち。わたしの肩にどっぷりもたれ掛かって車から降りて玄関で30分ほどぐったりしてた。

文章で書くとふむふむって感じだけどほんとにもたれ掛かられたかんちとの一歩がしんどかった。

2日間欠席したんだけどその前に似た症状の子が欠席したこと、その後クラスや先生も続々と。

原因わたしだって言うけど、わたしなの?滝汗


そして
学年末テスト。

社会以外駄目だったと、帰ってくるなり泣いてた。

勉強のやり方が間違えてんじゃないの?って言うと図星だったのかギャンギャン泣いてたけど。

あ、これはうるさくなるやつだと逃亡しました。

頑張って勉強してたんだけれど結果でないとしんどいわな。

だけどさ、今のこれで泣いてたら4月からどうなるのチミ!って思うけどね。かんちは長い目でみると小さな結果を大きな結果に思うことがあるからさ。

あとやったことよりやらないことを選択するのも大事なんだよなぁとつくづくスマホ時間を憎たらしく思う日々。


塾の社会の先生はめちゃくちゃ喜んでくれたそうで『質問来てマンツーマンで教えた甲斐があった!今までなんでやねん!て思うこと多かったしな』と。

英語、個別に行かせたいと悩むぐらい落ちてきた。これはもうヤバいを通り越して手遅れかも。

そして1月末から2月いっぱい、クラブ休部した。

振り替えってみると2月悲惨泣き笑い






年末からのかんつぁんはと言うと、毎年恒例みんな集合のごはんランチはわたし抜きでちゃまと2人で参加。

アートホテル大阪ベイタワー、スカイビュッフェ。今回は大晦日に総勢18人集合。


その夜かんちは友達6人でカウントダウンへ。学校の子もたくさんいて楽しかったそう。


お正月はちゃまの実家へ行くのはやめてそこから数日後お通夜お葬式に。

翌日、男の子の友達と電車で奈良へお出かけ。奈良公園行ったり散歩したり。

疲れないのかな?と思うほど出かけるかんつぁん。


12月は塾の冬期講習あったんだけどもバタバタして欠席もあったりで復習も宿題も出来ず、行かなくてよかったんじゃ…?という有り様。勉強する時間もなくテストもさっぱりな結果に。


三学期の始業式のあとはクラブ終わってから美容室へ。かんつぁん一人で自転車で行く。終わったあとはショッピングして帰ってきた。

この頃、男の子や女の子と河川敷でマラソンしに行くことにハマってた。学校近くに自転車とめてそこから歩いて河川敷に行って走りまくる。

ありえねーと思いつつ、それを楽しんでたから夜のマッサージだけしてあげてた。


友達9人と夜ごはん行ったり、ショッピングモール行ったり、友達の家にいったり、とにかく1月は遊びまくったかんち中学2年生。

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クラブの演奏会もあった。

市の音楽団やら大学やらとの合同練習のためにホールや大学やら中学校やら行ってた。あっちこっち自転車で走る走る。

演奏会終わっても夜はまたマラソン。ヘトヘトに疲れるのになぜか楽しげだったこの頃。

そんなこんなであっちゅーまに終わった1月。

この1月中頃からクラブ欠席し始めたかんち。その話はまた今度。





1月末、母が大丈夫か見に行く。重いものや猫の新しいトイレやトイレのものや日用品をたくさん買って持って行った。

わたしは実家帰るとき買いに行くのが面倒くさいなと思う日用品をよく買って持って帰るようにしている。


母が親父の服の整理したいからちゃまが着たい服どんどん持って帰ってと。ずっとTシャツやポロシャツやトレーナーまでクリーニングに出してた親父。


親父世代のブランド服もらってもなぁ…と思いながらパジャマにしようと数着貰ってきた。その中でパーカーを気に入ったかんち。あげる。


祭壇の前で色々喋ってたら猫ムサシがわたしの膝の上に来て眠ってた。


まだ他の片付けをしたくないからご飯食べに行こうと母。結局わたしらご馳走になりに行っただけ。



納骨。

数日前からわたし→ちゃまと体調崩す。やべー行けないかも。でも行かなきゃなと思い、行く。でもでもヤベーと思って自主隔離して遠巻きにいた。

母が喪服じゃなくて黒い服でいいからと言ってたのに黒い服で行ったのはわたしとちゃまだけだった。

『いいからいいから』って言うけど居心地の悪さよ。でもわたしは慣習打破派なので居心地悪くても気にしないことに。

めっちゃ人来るのね。お通夜や葬儀で見た顔多かった。

ちゃまのおじいちゃんが亡くなったときに納骨見たのが人生初。それも20年以上前のこと。

ああやってするんだ。

親父、墓に入る。

終わる。


母は父、母、姉、兄と亡くし、親父のおじいちゃんの入退院や病院通いとおばあちゃんを看取り、父を今亡くした。

ぽっかりだろうな。

友人と牡蠣小屋行ったりランチ予定入れまくってるみたいだけど、ぽっかりだと想像つく。

ご近所さんには頼るけどわたしには頼ってこない母。

今は猫ムサシと二人。

猫ムサシも頼りない好き勝手ワガママ猫です。

親父が亡くなったあとわたし的に不思議なことだと思ったこと。ちゃまとご飯を食べに行ったところで親父と後ろ姿や髪型や服装や歩き方そっくりな人がいたこと。

え?って思ってちゃまに言うと『見た見た。俺もびっくりした』と。

TikTokに出てきたおばあさんがおばあちゃんそっくりだったこと。

道端で果物や野菜売ってるおじいさんがおじいちゃんそっくりだったこと。

一番は親父そっくりなそのお客さんだったけど。あれほど似る?

成仏しろよー。


綈袍恋恋。
感恩戴獲。
愛別離苦。

━━━━━━終。





お通夜。

変な感じだけどやっとお通夜って感じだった。なんで年末年始に親父のことで気を取られなきゃならないと若干思いもしたわけで。最後の最後に『やりやがったな』という小憎らしい気持ちにもなったわけです。

ただ、ちゃまの休めない仕事や学校クラブ塾と休みのないかんちがちゃんとお別れ出来るのが年末年始だったわけで。 

こんなこと含めて『やりやがったな』と思うわけです。


お葬式の祭壇見るといつもお笑いかとしらけた目で見てしまうわたし。そして、親父はこんな花に囲まれたくないだろうなと。

母が家族葬にしたいと家族葬に。家族葬とそうじゃない御葬式の違いって何?

めっちゃ人来るし落ち着かないし。全然家族じゃない人いてたし。これは連絡魔の母が『やりやがったな』という感じ。

お通夜の日、泊まったわたしら一家。親父はエアコンの効いた小部屋に棺ごと運ばれてわたしらは障子あけるとご対面出来るってやつ。ずっと障子あけてたけど。

泊まった部屋が広すぎて。
親父のところで喋ったり寝たり起きたり気ままに過ごす。お経なんて親父嫌いだよなと親父の前で大好きだった長渕の歌をかけながら3人で踊り歌ってたら清掃の人が入ってきてた。それがもうわたしのツボ。

スタッフの人もこの場的に笑うことは失礼だけどもどうしましょ、みたいな。『雰囲気壊して申しわけないですけどお風呂のお掃除させていただきます』と笑いかみ殺してた。

ツボ。

わたしの結婚式で父母が飛び入りで『シャボン玉』歌ったんだけどそのシャボン玉歌ってるときに入ってこられたんだよね。

というかシャボン玉を結婚式で歌うってどーよ、この夫婦。

でもこんなのがいい。

絶対に要るメイク用品を忘れてきたので早朝コンビニに買いに行く。前日はヘアアイロン忘れて買いに行ったんだった。非日常ってこんなもん。


葬儀と初七日。

あっけなく燃えちゃった親父。さっきまで人の形してたのになくなっちゃった。骨壺大と小を持ち帰る。

家についたらお葬儀屋さんが色んなものをせっせと運んでちょっと休もうよ!と言いたいぐらい落ち着くことなく事が運んだ。

家族葬なのに人がたくさん来てめっちゃ疲れた。内心、来んなよとまで恨み節。というかやっぱりぼーず3人もいらね。

親父の友人から笑い話も聞く。母が1日3本と決めてたタバコ。なのにけっして吸い殻の数が合わないと母がよく言っていて。親父の友人がせっせと渡してたそう。

『ええやん』と笑って話してくれた。その人は父の服をたくさん貰ってくれた。『淋しいわ』と御友人。

お葬式、家族葬の基本料金よりオプションが凄まじい料金に。なんじゃこれ。


ちなみにお葬式途中、母とお坊さんで寺に髪の毛をおさめに行ったんだけど、寺に行く坂道で転倒して顎バックリ割れて負傷。

葬儀中、何してんの?と思ったら血ボタボタおってんの。マジでボタボタ。やめてくれぇ。

わたしらそのことが可笑しくて。母は痛いし、情けないし、やることいっぱいでそんなどころじゃなかったんだけど、わたしらは他人事と思って笑ってた。

喪主として挨拶の文も事前に『聞いてて』と暗記してたけど寝てしまうわってぐらい長文。やめろやめろと添削して短めに。

✪✪✪✪✪✪

大変だわ、世界から人が一人亡くなるということは。

ここから母の怒涛の書類書きが始まった。それはそれはマイナンバーカードの役立たずが露呈したっての。

わたしは何も出来ず用意しろと言われたことをこなして愚痴聞いて励まし続けただけ。

お通夜とお葬式二ついる?わたしはいらないと思います。マナーポリスもいらないと思います。しきたりや慣習はどこかで変えていこうよ。

親父に送ろうとせっせと動画や写真を撮ってた日々。なんだかなぁ。


星夜一縷。

━━━━━続く。






8月下旬の台風予報の頃、親父から電話。『台風来るかもだからベランダ片付けておくように』我が家のベランダはそっちほど広くないから物を置いてないんだけど、うん、と返事。動画送った猫ムサシのことなど話す。

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9月初旬、お見舞いに。
かんちのクラブの予定表が前日に配られたんだけど1日しか休みがないってことで行ってきた。

お昼ごはん集まって食べようと予約していく。ハイパーМの声のデカさよ。予め親父に言ってなくて当日の朝もLINE来てたけど行くことは言わずにしてたら、

みんなでゾロゾロ病室に行くと親父はびっくりしすぎて目が点になってた。

この時、個室に空きがなくて3人部屋なんだけど『同室の2人の痰が絡まったときの音がほんとに嫌』と真似までして笑かしてくれた。本人も笑うほど体力少し回復。

母も『久しぶりに笑った顔見た。みんな来ると嬉しいんやろな』と。

かんちと親父が並んだ写真とるとかんちが巨人だった…。マジで小さくなっちまった親父。

かんちと母の体重同じってどうよ。身長も同じぐらいだけど、なんなん。

日曜日の面会時間はたった1時間。14時〜15時までって厳しくない?3人程度、15分程度と書かれてたけど1時間いた。

この頃はわりと眠れてごはんも食べれていた。

けれども、母には毎日電話で「帰りたい」と泣いてることはわたしは知ってるんだけど、わたしらにはいつもの親父でいたいんだな。

気を落としてる親父にわたしは何度となく頑張ってと言ってしまってた。寝る前にもう言うのはやめとこ、と思った。

頑張ったってこの先何があるんだと本人も分かってるんだから。

赤星氏の活動のサインつき車椅子が病院にあった。妙に感動する。

ほぼ毎日LINEで画像や動画やら送る。


9月中旬、退院。
5か月ぶりの家。

家についたと電話あったんだけど晴れやな高揚した声で嬉しそうだった。

猫ムサシどう?って聞くと『逃げてどっか行った。近寄らへん』と。あれだけ猫可愛がりして入院の原因つくった猫なのに。

最初の入院はムサシ追いかけて転倒して大腿骨骨折。親父はずーっと猫好き過ぎる人生。

運動会に向けてリレーの練習してる動画送ると折り返し電話。『みんな足速いのになんでかんちは足遅いねん』と。こっちが聞きたいわ。笑

退院後の生活を聞く。

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10月初めから下痢続いて母が匂いに悩まされてるとのことで介護用品の消臭のものを数種類とその詰め替えと一緒にどっさり送る。

10月中頃、次は便秘。
一難去ってまた一難。

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11月初旬、下痢と潜血。CT撮った結果、虚血性大腸炎。また下痢。

病院から帰った母とLINE。

その後父と電話。『ふらつくから危険やー』

ゆせの誕生日で電話出なくてムカついて、りーに電話かけたら横にゆせが居ておめでとうと言うとぶっきらぼうに話されたと苦笑いしてた。あとかんちのプリクラ画像送ったら『どれがかんちや?』と。笑

あとでコレがかんち、と矢印描いて送ってあげた。わたしも最初分からなかったプリクラ加工。


12月中旬、部屋から出るときに転倒。前とは反対側の大腿骨骨折。母があれほど転倒に気をつけてと言っていたのにと怒る。救急車の中から悲壮感と怒りと絶望感。

この骨折でもう駄目だとわたしも絶望感でいっぱいになったんだった。

その日の夜、ハイパーМと長電話。その後夜遅く、母が病院から家に着いたと連絡。

『明日手術。心臓が正常の半分も動いてないことと色々なことを考えて厳しい手術になるとの説明。寝たきりになるかもしれないら術後の経過が良くないかもしれない、若しくは最悪のとこになるかとしれないけど手術するのか?と聞かれたけど即決で承諾した。よかったかな?病院がイマイチなところに運ばれたから術後すぐ転院したい』と。

このときわたしは即決した母を非難した。手術すると決めるのは親父だと。しなきゃいけないことは分かってんのにどうしようもない憤りで母にあたった。

翌日の手術の朝、父から電話。
『歩けるまで頑張ってたのにまた戻ってもた。もう嫌や死んでもええわ。正月楽しみにしてたのにかんちにも会えんわ。もうすぐ手術やけどもう歩かれへんわ。日常生活よりも病院で過ごすためだけの手術やわ』

頑張ってとは言えず。何を言っていいか言葉も持たずうん、うんと聞くだけのわたし。

痛いから手術しか手段はないんだろうけどそこまでしなきゃならないのかな。QOLとはよく言うものののこれが如何ほどのQOLなのか。どう選択してもほど遠いものになるのなら好きな人たちと好きな場所で好きな時間を過ごす選択をしたいわけで。それすらも叶えられないんなんてね。

来なくていいと言われて紅葉見に行った日に行っとけばよかったと今でも後悔。

わたしが知らずにいる日々の生活だって母と父は大変なのに。 

何かあると集まるより日常で集まるほうがいいんだよな。

✪✪✪✪✪✪

手術後2日目父から電話。この日はわりと長く話した。

手術が終わったこと、もう歩くことは出来ないだろうし気力もないけど車椅子でなんとか家に帰りたいと。

ハイパーМがお見舞い来てくれたと嬉しそうに話してた。最後はかんちに会いたい。お正月会うのを楽しみにしとくわと言って電話終わる。『かんち連れてきてや』

それが最後の会話になっちゃった。

このことを母に電話したらハイパーМがお見舞い後、父は母に泣きながら家に帰りたいと電話したてたそう。

いつもこれ。

わたしらの前と医療スタッフにはいつもの強い父、冗談まじりに饒舌に話す父、癖が強い父。外ではみんなに冗談言ったり毒吐いたり頼ったり拒否したり、喋るのが好きだった父。小憎くらしいちょっと無邪気な人。

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12月下旬、母から『心臓止まった。今病院へ向かってる。葬儀屋さんにタクシー頼まないと…』最後らへん聞き取れず電話切れた。

葬儀屋?この時わたしは理解してなくてハイパーМと電話してたんだけど、母がつくまで医師が心臓マッサージしてただけだった。所謂死亡伝えるためだけのやつ。

改めてどうなの?と電話すると『今、家に帰すタクシーの用意してる』と。

あかんかったのーーー!!??なんでなーん。そこからわたしずっと泣いてたわ。泣いてはもとに戻ってまた泣くの繰り返し。

亡くなったその日母は朝から父のもとへ。
 

母が病室で父と話してても何度も眠った父。前日調子悪くてその日に処置すると言われてたことがなぜか翌日に。点滴もつけてくれず母が説明求めてものらりくらり。


今思うと手術後、半分どころか心臓がほとんど機能してなかった父にモニター付いていたら。母が気に入ってなかった病院を転院出来てたら。


そしたらお正月生きてたかもしれない。お正月明けの誕生日をむかえられてたかもしれない。

母が父のいる病院から午後家に帰宅して夜20時半頃病院から連絡。
 
母がついて21:11分臨終。

母が言うには点滴はその時ついてたそう。そりゃそうだ。病院とはそういうもの。でもこの点滴は体内には入ってなかっただろう点滴。まじで今更感、なんよ。

たまたま夜のバイタルのときに発見されたんだな。心停止から結構たってたんだろうな。

普段ナースコールをこれでもかと気軽に押しまくる父。いつもスマホとナースコールを必ず母が取りやすい位置にセットして帰ってるのに鳴らすことなく個室でたった独り眠るように亡くなってたんだな。

来なくていいと言われたけどじっとしてられない。塾行ってるかんちを迎えにいってわたしらが実家へ着いたのは23時半頃。ずっと泣いてたわたし。

ちょうど父を乗せてきたお葬儀屋さんのタクシーが帰るところだった。

家にはわたしは知らないけれどわたしを知っている人らがいた。挨拶や誰?とかどーでもいいと父の所へ向うと、いるのよ小さくなった父が。

いつもの『よう。来たか』って声も聞こえないんだよなぁ。

祖母似だった父が祖父そっくりになっていた最近。眠ってるような顔もおじいちゃんそっくり。めちゃくちゃ小さいの。

おでこパチパチしても手をぎゅーっと握っても足をこそばしても無反応なんだよな。喋れよと言ってもさ。

年末年始ということで母がお葬儀屋さんと相談した結果、 お通夜まで数日間ドライアイスで家に居させることにしたそう。母がどうしても家に居させたいと。

あれだけ遺影はこの写真にしよと言ってた写真が見つからず。結局わたしの結婚式の写真を使うことに。

宗教のことはわたしは知らないんだけどうさんくさそうな宗教語ってた母。この家はお坊さんは3人呼ぶのが慣例だとか。1人でいいやん。

父だったら『3人もうるさい』と言うはず。なのにおじいちゃんのときもおばあちゃんのときもお坊さん3人呼んだしと、3人呼ぶことにする、と。絶対うるさいって言ってるよ。

また書くけどわたしは父っ子。普通では買えないものや色んなものを買ってもらったし連れ回したりした。母より父と出かけることを好んだ。

だけどかんちが生まれたとき仕事だからとお宮参りで実家帰るまでかんちに会いにこなかったことをずっと恨んでたわけよ。その恨みで長い入院生活中お見舞いも行かなかったわけで。

7月に心停止したときからだからわたしが関わったのは半年もない。

父とわたしは考え方がよく似てるんだけれどお葬式もお墓も意味のないものだとよく言ってた。

アイスの棒でいいという考え方も同じ。逆に母はきっちりガッチリするタイプ。父の周りを忙しなく無駄に動く母に鬱陶しいから動くなといいつつ、無駄だなと放っておいた。

というか退院して1か月も家にいれなかったんだよな。

あれやこれや毎日行くところややらなきゃ行けない毎日で父も限界だったと思う。毎朝喫茶店のモーニング食べて、海外旅行大好きで車が大好きでゴルフ大好きでオシャレが大好きだった父。

全て奪われた生活してる中でわたしは楽に死ねたらいいとだけ思ってたんだけど、まさか誰も見てない時間に個室で独りで死んじゃうなんて思ってもなかったわ。それ思うと悲しい。

最後のLINEはかんちのホルン、ハトと少年。 

スタッフの人に『これ孫が吹いてるねん』と嬉しそうに話してたそう。

人が『大丈夫?』と声を掛ける相手は大概大丈夫じゃない人なんだなぁ。そして『大丈夫』と返してくる人も『大丈夫』じゃない人。

一生懸命、いち社会人として、いち父親として、いち夫として演じてた部分もあったんだろうな。わたしも子供を演じてた部分もあったしさ。

生老病死。

━━━━━━続く