
渡名喜島の村落を歩いて回って見どころや歴史などを教えてくれる島観光に参加した。今日、いろいろ案内してくれたのは、村役場に勤めてたと言うTさんと言うおじさん。
では、Tさんから聞いた『渡名喜島』について書いて行こう。
『渡名喜島』の名前の由来は『戸無島』がなまって『渡名喜島』になったと言われているらしい。Tさんが子供の頃から渡名喜島の家々は、内戸がなく、いつも開けっぱなしで、台風の時だけ雨戸を閉めたそうだ。面白いが沖縄県には沢山の「渡名喜」さんがいるのよね。
『渡名喜島』は太古の昔、2つに島に分かれていて、年月とともに隆起を重ねて繋がったらしい。そに繋がった平地に村落ができた。北の島には貝塚や遺跡も出土している。『渡名喜島』には掘るとまだまだ色々出てきそうで、県から掘らない様にお達しが出ている。
その島の間にできた平地に人々が住み始め、村落ができた。その村落には島唯一の県道「1号線」がある。25mで軽1台がやっと通れる幅の道。見た目は他の道と変わりない遊歩道だが、夜になるとフットライトが付いて島の名物にもなっている。島をぐるりと囲む山道の方がアスファルトで幅も広い。島唯一の信号機もある。
『渡名喜島』の村落の道は砂地で、何となく碁盤の目ぽいが、やっぱちょっと曲がっている。Tさんによると、沖縄には真っ直ぐな道はないと言う。魔物が道に迷ってぶつかりそうなところには魔除けの石敢當がある。また、魔除けの石としてまん丸な「チキシ」と言う石が1つだけある。昔はどの家にもあり、夜になると若者がこの石を地面に叩きつけ、音を出して魔物を追い払っていたそうです。
『渡名喜島』の家はほぼ昔ながらの赤瓦の沖縄の家。2階建は数軒のみ。住んでいない家も見られますが、どの家も瓦の手入れが行き届いていて綺麗。どのお家も石垣や塀があり、フクギの木が家を守っています。このフクギの木は根っこが横に広がらず下にどんどん伸びて行くので、石垣や塀が根っこで倒れないそうです。この赤瓦の家ですが、屋根が丁度歩いている私の目線と同じ高さにあります。沖縄では、台風対策にため家は低い位置に建てるのですが『渡名喜島』では特に低い土地に建てられた家は、働き者の家と呼ばれています。それだけ土地を毎日掘って低くしていたからだそうです。でも、大雨が来たら低い所へ水は流れていきます。本州ではとても危険。でもここ『渡名喜島』では水は地下へ浸透して行くので大丈夫です。
『渡名喜島』の赤瓦の家ですが、結構早くから赤瓦が敷かれたそうです。沖縄本島では武士や貴族の家だけが赤瓦を許され、一般民は茅葺の家だったそうです。赤瓦を敷くには結構なお金が要ったと思いますが、その頃の『渡名喜島』は、薪が沢山取れたのでそれを売ったり、カツオ漁で儲けたりして潤っていたそうです。
カツオ漁は沖縄の代表的な漁業ですが『渡名喜島』もまたカツオ漁が昔は盛んだったそうです。今の漁業組合のある場所に6つものかつお節工場があったそうです。現在は1つも残っていませんが。また、島の漁師がミクロネシアなどへ出稼ぎに行って外貨を送金していた時期もあったそうです。
「渡名喜島の働き者の赤瓦の家」2025.5.4