三遠山 その②岩村城   | 62歳を楽しむ日記

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前回の続き

 

7月24日(金)岐阜県恵那市にある明智城をあとにし同じ恵那市にある岩村城を訪れました。  AM  10:30

言わずと知れた日本三大山城のひとつ・・・・・なのに駐車場には車が

二台だけ。歴史資料館がありますが三密回避のためスルーします。

 

登り始めてすぐこれですよ。

 

 

もうテンション上がりますアップ

 

 

敵が侵入して角を曲がると、石垣の上から一斉射撃で一網打尽!

 

 

これが有名な六段の石垣、標高721m、重機のない時代によくもまぁこんなに積み上げたもんですね


 

上空から見るとこんな感じ  (この写真は借り物です)

日本のマチュピチュとも言われていますビックリマーク

 

 

頂上に着きました。標高721mといっても登山口自体が高いので比高は150m、けっこう楽に登れちゃうのです。

 

 

 

岩村城のもう一つの有名スポット「埋門」(うずみもん)

野積(のづら)積み・打ち込みハギ・切り込みハギといった工法を一度に見ることが出来ます。

 

 

埋門の上に立ってみました。  こりゃぁスゴイ構造だポーン  

 

この岩村城には戦国末期、女城主が存在しました。

城主の遠山景任が病気で死んだのですが、養子として迎えていた織田信長の五男が幼少のため遠山景任の妻、おつやの方(織田信長の叔母)が後見人として国を治めたのです。

おつやの方は聡明で美しく領民からも慕われていたそうです。

 

しかしこの地は信濃との国境、武田氏の侵攻に籠城して踏ん張り、信長に援軍を要請しましたが、信長は長島一向一揆に手一杯で、おつやの方は家臣と領民の命を守るため敵将の妻となり、信長の五男は武田信玄の人質となったのです。

 

女城主   おつやの方

 

その後、長篠の戦で信長が武田勝頼に勝利すると織田と武田の力関係が逆転、岩村城は今度は織田氏から攻撃を受けました。

おつやの方は降参するから旦那の命は助けて欲しいと信長に懇願、開城しました。信長は一旦これを許しましたが、すぐに約束を反故にし二人を逆さ磔(はりつけ)にし、殺してしまったのです。

 

そんな悲話に想いを寄せながら下山し、次の目的地である苗木城へ向かいましょう。

 

と、その前に岩村ダムに寄り道です。

重力式コンクリートダム!

 

堤体にて

 

続く・・・・