三遠山 その①明智城 | 62歳を楽しむ日記

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この4連休に北アルプス登山を計画していましたが、コロナ感染拡大のため断念。その代わりと言っちゃぁなんですが三密を回避して岐阜県内の山城巡りに出かけました。

 

岐阜県は大きく五つの地域に分かれます。

高山や白川郷のある奥飛騨(ブルー)

下呂温泉のある南飛騨(イエロー)

大垣・関ケ原のある西濃(オレンジ)

岐阜市を中心とした中農(パープル)

そして今回訪れた東農地方(グリーン)

鎌倉時代から東農地方を治めていたのは遠山氏

源頼朝の重臣である加藤景簾氏が戦功をあげ地頭として赴任。

 

その子景朝が岩村城主となり地名をとって遠山氏初代となり、

 

景朝の子景重が明智城を築城し明智遠山氏の始祖となりました。

つまり遠山氏の宗家は岩村遠山氏で明智遠山氏と苗木遠山氏の三家を「三遠山」といって一族でこの東農地方を治めていたのです。

 

 

前置きが長くなりましたが、その「三遠山」の居城を今日一日で巡ろうというものです。まずは岐阜県恵那市の明智城へ、 

AM 08:00 駐車場は私の他に誰もいません。

 

駐車場のすぐ隣に立派な寺があります(龍護寺)

 

 

寺の一角に明智光秀の墓がありますが、こんなもんは言ったもん勝ちです。   だって光秀の前半生は誰も知らないんだもん チュー

 

山県市の光秀のお墓よりずっと立派ですビックリマーク

 

明智荘だけに明智光秀生誕の地というのはもっともらしいですね。

 

光秀の父、光安は遠山景行と同一人物???

 

明智遠山氏は江戸幕府の旗本として存続しました。ちなみに江戸町奉行の遠山の金さんこと、遠山金四郎景元は明智遠山氏の子孫になるのです。世代で違うのでしょうが私の中で「金さん」といえばやっぱり中村梅之助さんですね。

 

登山道は主に三つありますが龍護寺から行きます。

 

明智城はまたの名を白鷹城と言います。

 

土塁(敵を防ぐ土の堤防)

曲輪(防御施設のひとつの区画のこと)

 

畝状空堀(竪堀が連続している、敵は横移動ができない)

 

堀切(尾根をスパッと切って両岸から挟み撃ちにする)

 

頂上(本丸)に着きました。眺望はあまりよくありません。

結局誰ともすれ違うことなく下山。三密回避できました。

 

 

続く・・・・