愛、とは、手のひらをその肌に触れること、の、関連記事 2007年05月07日
あの頃は、わたしだけ、生活者で、ホントに大変だったのよ。
4日に訪ねた泊(とまり)のヨーコさんは、そんなふうに言った。
ヨーコさんは、ブルホラYHのオーナー、シノさんの元ツマで、シノさんは、今では故郷の愛媛に帰ってしまっているが、彼女は変わらずに、積丹半島の泊村で、YHの奥にある、手作りのロッジに住んでいる。
ブルホラYHは、その当時より、ずっと手伝っていたマコトさんに譲って、今は、YHではなく、原発の作業にあたる人達の、寄宿先の民宿になっている。
働いてるヘルパーも、遊んでるようなもんだし、みーんないい加減で、楽しそうにやっているのに、育児と、その日のお客さんに出す、食事の献立と、毎日のYHの会計に追われて、わたしひとりが、きりきり舞いしてたのよね。
ダンナのシノザキさんは、なんにもしないで、昼間からお酒を飲んでいるし、他の皆は、旅人で、何の責任もなく、わいわいやってるし。
いつも、キーってなっていたの、わかるでしょう?
子供3人の育児の中で、YHの経営に追われていた頃。肝心の夫は酒浸り。(わたしも、シノさんが働いていたのを、そう言えば、一度も見た事がないかも知れない。) イシマツさんや、チャリ、ゲンちゃんなどのヘルパーたちは、自分の一日を、どう輝かせるかに懸命になっていた。
ヨーコさんの孤独な戦いが、今ならば、よくわかる。
ヨーコさんは、いつも、冷ややかな感じで、その風景の中にいた。長く居着く常連客にとっては、彼女の視線は、少し、痛かった。彼女の視線の冷たさに、たびたび、わたしは小旅行に出かけて行った。結局は、すぐに、戻ってしまうのだが。
ある時、お祭りがあって、YHの若いのは皆、神輿かつぎに駆り出されて、まわる家々ごとに、お酒が振る舞われるから、みんな、いったい、どんなになって帰ってくるのかとヒヤヒヤしたことがあったわねー。
こわくて、様子を見に行ったら、人だかりが出来ていて、覗き込んだら、シノザキさんが道ばたで酔いつぶれていたのよ。
他人のふりして、帰ってきたわー。
でも、ヘルパーたちは、汗でアルコールがとんじゃうのか、わりと、まともに帰って来たっけねー。
冬は、酔っぱらって、2階の窓から、積もった雪の上に飛び降りてたし、夏は夏で、カワイイ女の子が泊まった後に、その子が使ったシーツに、田山花袋、布団ごっこだー。と、いいながら、くるまったりしていた。みんな、バカだ。
笑って、歌って、ふざけあって。一期一会の瞬間に、そのたびに興奮していた。
確かに、そこにいた私たちは、生活者ではなかったのだ。
こうして、長い月日の後に、こうやって、その日の思いを、懐かしい気持ちで聞けた事はうれしい。
ヨーコさんも、昔のクールビューティなイメージから、柔らかい、温かいイメージに変わっていた。
時間という、特効薬が、彼女を、そんなふうに、変えて行ったのだろう。