はい、こんばんは。
あるとです(ФωФ)
京都は台風も去り、少し涼しくなりました。
物事の判断基準って難しいですね。
海老蔵さんが、麻央ちゃんが亡くなって間もなく子供をディズニーランドに連れて行ったことで炎上したり。
ブログの更新しすぎで非難されたり。
生きづらい世の中ですな。
傷つきながらも前向きに生きようとしてるひとは、温かく見守りたいものです。
さてさて。
個人的に不思議に感じたことがあるので書きます。
人が自分のことを肯定して話してるときに、なんだかモヤモヤするときありますよね。
わたしの場合、話してる本人が
「わたしが正しい」とか「わたしは性格が良いから」と言ってるのを見ると残念な気持ちになります。
その言葉を聞いた途端に、チベットスナギツネのような表情になる。
いや、別に自分で言っても良いんですけどね。
「わたし手先が器用だから」とか「わたし仕事のスピード早いの」とか聞いてもなーんにも違和感ないんですけど。
おそらく
◼️正しい、間違ってる
◼️良い、悪い
これって他人が評価することだからだと思うんです。
例えば事故を起こして
「もう済んだことだから」と言うのは、被害者のセリフ。
子供が迷惑かけて
「子供がしたことだから」と言うのは、迷惑をかけられたほう。
これと同じ理論なのではないかと。
これも他人が評価することなんでしょうね。
宗教やら、価値観やら
◼️正しい、間違ってる
◼️良い、悪い
を当事者が主張しはじめるから、もめる。
つまり
宗教やら、価値観を主張するときは
わたしはこれが好き
と伝えれば、相手も
「そうなんだー。わたしはこれが好き。」
と返せるのではないかな、と思うのです。
相手の言ったことを
◼️こっちのほうが良いよ
◼️それは良くないよ
と言うのは余計なお世話ですね。
わたしも気をつけます。