都立昭和高校

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母校の東洋大学については、すでに色々と書いていますが、高校については、ほとんど書いていません。すでに、高校入試も佳境となったので、私の母校、「東京都立昭和高校」について、書こうと思います。

都立昭和高校は、東京都昭島市にある、都内と言ってもかなり田舎にある都立高校です。設立は、戦後しばらくして設立し、当初は、夜学で「商業科」などもあったそうです。(現在は昼間の普通科のみ)。私が入学したのは、昭和54年(1979年)だったのですが、当時は「学校群制度」というのがあり、昭和高校は、立川市にあった「北多摩高校」と、「73群」というのを組んでいました。北多摩高校は、今では「都立立川国際学校」となっています。それで、青梅線で二駅も離れているため、いつも入試倍率が1倍以下でした。要するに、人気がない。学校群では、入試をして、どちらの学校に行かされるか?が、わからないのですよ。私は、「北多摩だったら、近いなあ?」と思っていたが、昭和に決まりました。

当時の昭和高校と北多摩高校は、「学生運動で制服を着なくてよくなった」ということで、私服可能な学校でした。一応、標準服というのはあるが、冬服だけでした。なので、夏服制服がないので、中学校の服を着てくる学生もいました。服装だけではなく、ほぼ校則もないという、「自由な校風」の学校でした。校歌に「自治の庭」という歌詞がある通り、「自主自律」を掲げる学校で、何かと学生運営で行う学校でした。入学すると、生徒会の先輩が出てきて、校則やら学校の歴史などの話をする。そんなのも、皆学生。部活動も、ほぼ学生運営でした。私は合唱部にいたのですが、曲目を決めるのも、運営も、学生。大変でしたが、「考える機会」を与えられ、それは大変大事なことでした。音楽表現なんかも、「自分たちで考えろ」と言うのですよ。「あなたは、なぜこの表現なのか?」と、聞かれる。高校生にとっては、かなり大変な課題でしたが、今考えると、それは大変大事でした。

勉強も「自主的にやって欲しい」と、言われました。理系文系進学就職分けのない学校だったので、クラスもうるさくてとても大変でしたが、今考えると、ずいぶんとすごい学校だったなあ?と、思います。もちろん、学生からは色々な意見が出ました。

現在は人気学校となり、「二兎を追い、二兎を得る」というキャッチフレーズにある通り、「勉強も部活動も頑張る」学校となりました。今では「進学指導推進校」「海外語学研修」が取れる学校となり、進学率も良いようです。私の時代は不人気校だったのですが、現在では、入試倍率もあり、かなりの人気学校です。

それで、「勉強はしたいけど、校則などに縛られたり、強制的に勉強させられるのはちょっと嫌」と考える生徒さんたちは、ぜひ都立昭和高校を目指していかがでしょうか?サイトでは、「私立の方が、進学もできるし、部活動や趣味もできる」と書いてあるものもあるが、それは人により、「都立高校だから、進学や部活や趣味ができない」というのは、全くの嘘です。進学率は、100%のようです。今では、指定校推薦なども、色々と来ているようです。

校舎も立派ですし、興味のある方は、ぜひとも説明会にご参加ください。

私は、高校も大学も自由な校風で、今考えると、のびのびと楽しく青春時代を送りました。今になって、「私は、運が良かったなあ?」と、思ったりもしますが、それは社会人になって、かなり経ってからの話です。我が家の周りも、家ごと無くなってしまったり、一家離散になったりする人たちも、沢山いました。私は、運が良かった。つくづく、私を育ててくれた、周囲に感謝する次第です。

 

 

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