中島啓江(けいこ)さんという、オペラ歌手がいました。

この人、ともかくも、太っていて、顔も良くない。何しろ、アイドル全盛時代に、その姿で出て売れた人です。

メジャーデビューするまで、かなり大変だったので、その話をします。

 

最初に会ったのは、私の小学校時代で、私が通っていたピアノ教室に、作曲家、当時はまだ学生の、青島広志さんと来ました。中島さんは、音楽短大に通っているのに、楽譜が読めなかったのですよ。理由は、小さいときに芸者置屋に売られてしまい、ろくに学校に通えなかったから。父親の借金が返し終わると、家に戻されていたそうでした。それで、できれば洋楽を勉強したいと思っていたので、「芸者置屋の邦楽は良くない」と言われて、やめていました。

 

それで、楽譜は読めない、声がでかすぎて他の人の声が消えてしまう、伴奏を全く聴いていない。私が、「学校で、もみじ、という曲を、輪唱でやった」と言ったら、「それなら歌える」ということで、ピアノ教室のゲストで出てもらいました。そうしたら、石橋義也さんという、親戚で指揮者が来て、「カルメンだ!中島はオペラ歌手にするんだ!童謡歌手なんて、とんでもない!」と言い出し、一回だけでした。青島さんが、「小中学校の教科書の楽譜が怪しいのに、カルメンなんて、歌えるはずがないでしょう?」と言い出し、怒っていました。中島さんは、小中学校の教科書の復習から、やっていました。

 

私が予備校時代、日経専売所にいた時も、やってきました。「ドヴォルザークの、わが母の教えたまいし歌、というのを、やってほしい」と、言ってきました。私が「それなら高校の音楽で歌ったし、テストにも出たから、学年で音楽を取った人なら歌える」と言って、教科書を持ってきて、ピアノを弾きながら、教えました。中島さんは、間奏の数え方がわからない。それで、拍の数え方を教えました。オブリガードをつけるのですが、それもでかすぎる。私が「ベートーヴェンの、春(スプリングソナタ)という曲があるのだけれど、それはヴァイオリンとピアノで、主旋律が交互に出てくる。なので、ここはピアノ伴奏が主旋律なので、オブリガードは小さく歌う」と、言いました。そうしたら、歌えてしまったのですよ。S夫妻という、二期会歌手の人たちが教えていたのですが、チェコスロバキア語の楽譜とか、ベースの楽譜とかが出てきました。要するに、歌えないように、嘘を教えていました。音楽家が集まって来て、「あなたは、いつも音楽界の常識を破ってくれるわね」と、言われました。「教育係を、やってくれないか?」と言われたが、「私は、音楽学校ではなくて、普通学校で習ったことしか、教えていない」それなら、公立大学の講師の先生がいるから、と言われてやってきたのが、石橋義也。この人、「そんなこともわからんのか!」と言い出し、中島さんは泣き出してレッスンにならない。音楽家の先生方が来て、「石橋義也さんは、中島さんの教育に口出ししないようにしてもらおう」ということになりました。宮本亜門さんが来て、「アメリカで、太った女の人が三人出るミュージカルがあるから、それをやらないか?」と、言ってきました。一年経って、「アイ・ガット・マーマン」で契約が取れ、中島啓江さんは、メジャーデビューしました。

 

なお、S夫妻は、東洋大学混声合唱団のボイストレーナーをしていましたが、首になってしまいました。指揮者は、石橋義也。だいたい、石橋さんが、教えられないのが、いけないんじゃないの?Sさんたちは私たちを呼んで「あー、嘘をおしえるんじゃなかった」と、言っていました。キリスト教会で歌ったのですが、「シューベルトのアヴェ・マリア」を歌い間違え、去っていきました。中島さんは、Sさんたちより、石橋義也さんより、有名になりましたが、亡くなりました。

 

亡くなったあと、「中島さんをトリビュートした歌の会をつくる」とかで、雑誌ぶらあぼ、に求人が出ていました。電話したら、音大の声楽科を出た女性が出てきて「自信があるなら、やってみればいいんじゃないですか?」などと言ってきました。何ができるの?この人。しばらくしたら、コロナが流行り、会もなくなりました。跡形もなくなり、女性も不明になりました。