松田聖子さんはデビュー前、トランプの子を産んでいます。

松田聖子さんと母親は、性格がそっくり。福岡でカウンターバーの経営をしていましたが、父親は何の仕事をしていたのかが不明。お金がなくなると、松田聖子、当時は蒲池のりこと言っていたが、学校の同級生の父親と枕営業をして金を借りたりして、のりこさんは学校に行けなくなったりしていました。私の同級生Yさんの父親から服をもらったりして、スーツやワンピースを着ていましたが、福岡でそんな恰好をしている女性は、当時いなかったそうです、それで派手なので、父親はいちいち嫉妬して怒っていました。のりこさんは男性関係もいい加減で、福岡市内中の中学校で、男をとっかえひっかえして、有名だったそうです。福岡のスクールメイツにいて、「ミスマガジン」に応募当選して、デビューしようとしたら、トランペットデビュー志望の男子高校生と駆け落ちし、話がなくなってしまいました。男子高校生は才能がないと言われ、すぐに福岡に戻されていました。作曲家の三枝成彰さんが私の通っていたピアノ教室でレッスンをして、「もうこんなことをしたら、デビューはありません」と、言っていました。三枝さんは、問題のない、河合奈保子さんと抱き合わせでデビューさせようとしていました。河合奈保子さんは実家も裕福で、問題がない、のりこさんは、東京に来る交通費をかせぐため、食事を抜いたりして、レッスン中に倒れたりしていました。「声が小さい」と言われていて、当時はバックがジャズバンドだったので、声が消えてしまう。「外国人の子でも産めば、デビューできるんじゃないの?」と、言われていました。松田さんという編曲者が出てきて、「これ作ったんだけど、聞いてくれる?」と言って、シンセサイザーでつくった伴奏で歌ったら、ものすごく合う。それで松田さんが「宗教曲を書く時、松田聖子という名前で書いていたんだけど、この名前、君にあげるよ」と言って、名付け親になっていました。

トランプは当時、世界の米軍基地のカジノの経営をしていました。ルーレットにコイルがついているという、怪しいカジノでした。立川にも来て、作曲家平尾昌晃さんが出資している「ナイアガラ」というレストランに出入りしていました。そうしたら、のりこさんは、トランプを接待して、娘を産んでしまいました。「ナイアガラ」は、1980年ごろ、火事で閉店しました。のりこさんは「松田聖子」として、歌手デビューし、ヒットを飛ばします。時がたち、1984年、母親が聖子娘をつれてきて、「噂になってしまい、学校に通えない」と言ってきました。聖子娘は、背が高くおとなしく、今のトランプの娘そっくり。松田聖子さんの親戚がアメリカにいるとかで、「So cute」と言って、夫婦でピアノ教室にやってきました。社交ダンスをやっているが、アメリカではいまいち優勝できないとかで、養子縁組をして、北方領土に引っ越していきました。三枝さんは「あんな女に、子育てができるわけがない」と言って、怒っていました。その後松田聖子さんは神田正輝さんと結婚し、神田沙也加さんを産みますが、沙也加さんも自殺してしまいました。「あんな女に、子育てができるわけがない」という言葉が、むなしく響きます。