円の面積を算出できないでいるので全然更新していなかったが、ちょっとリマーカブルな番組を見てしまったので感極まっていきなり更新する。


NHK BS1で、先ほどべト君ドク君の昔日本で有名になった話のドク君のその後の話をやっていた。


海外ドキュメンタリーという番組だった。


これは強烈に心に突き刺さった。


昔、ベト君の脳水腫と臓器不全進行のため、元気なドク君を助けるためにとうとう2人の分離手術を行って成功した、という話までは日本でもメディアで大きく報じられた。


しかし、ベト君の障害はその時点でも重篤なもので、手術成功を喜ぶ明るい報道の裏で、ベト君の未来は決して明るいものではない事は暗に示され、これから2人が背負うであろう運命は決して手放しで幸せと呼べるものではないだろうということをうかがわせていた。


それからベト君、ドク君の消息については何の報道もされていなかったのだが、今回改めてその後の詳細が明らかになった。


ベト君は、もう長くは持たないと思われていたのに、実はつい最近まで頑張って生きていた。


しかし厳しい運命は、ベト君の容態に関する事だけではなかったのである。


うまく書けない。


ドク君は、立派に成長し、すばらしい女性と結婚して子供が生まれ、親父になっていた。


しかもその子供は、何かを象徴するかのごとく、また男女の双子だった。全くの健康体で生まれた。これは本当にほっとした。ドク君は世話になった日本にちなんだ名前を2人に付けた。富士と桜である。ドク君は本当に恩義に厚い人間である。その昔、分離手術については結局ベトナム当局が他国に頼りたくないという意向で自国の医療チームを編成して見事に成功した。しかしそれでも精密検査等で世話になった日本のことを大事に思って憶えてくれていたのである。


その点はとても明るい話題である。本当にドク君は立派に成長した。自分の身体の障害も問題にせず、けなげに奥さんや子供の世話を自ら進んで行い、家族のために必死に働く。あっぱれな男である。途方も無い困難を乗り越えて、自ら幸せを掴み取っている。これには感動した。


しかし、障害を受けて生まれた、という過酷な運命は、ドク君と実の両親との関係を粉々に引き裂いていた。


ドク君は、生まれた自分たち結合双生児を、親が捨てた、と思っている。ドク君たちが実の母親に会うのは、7歳になって分離手術を受ける直前になって初めてだった。手術には実の両親の同意が必要だったため、病院がやっと探し出した。それまで実の両親は、ベト君ドク君に会いにさえも来なかったのである。それまでベト君、ドク君は、病院の看護婦さんを自分の母親だと思っていた。


7才になってやっと、のこのこ出てきた実の母親を、ドク君は母親だと認めることが出来ない。


母親と実の姉は、それから病院の同じ障害児施設に雇われてドク君と非常に近い距離で働いているのだが、心情的に他人以上の断絶があった。両者とも一言も口をきかない。このような緊張関係を、ずっと続けてきたのである。


ドク君の正義感の強さは、一見して分かる。昔日本で話題になったときも、「この子は芯のまっすぐ通った本当にいい子だ」という感じがした。分離手術後の状態が好転しないベト君を、ドク君はすっと介抱し続けていた。たった一人の肉親だった。成長して施設内で事務の仕事を得た後もドク君は、ベト君が回復し、話が出来るようになることをずっと願っていた。最近ベト君がなくなるまでずっとそうしていたのである。


だから、一度自分たちを放棄した母親と姉に対しては、同じ施設で顔を何度も合わせる事があっても頑強に無視し続けていた。20年に渡って、その存在を無視し続けていたのである。この人に対する思いやりの深さ、正義感、芯の強さが、裏返しとなって実の母親に対する壮絶な拒絶となって現れていた。


母と姉は、まるで他人の我が子との勤務に耐えられなかったのだろう、病院を人知れずやめて、皿洗いの職を見つけて、どん底の生活を細々と営んでいる。ドキュメンタリーはその母や、再婚している実の父のインタビューまで詳細に及ぶ。自分たちは子を見捨てたのではない、子供の将来を考えたら病院に預けるしかしょうがなかったと言う。7才になって病院に探し出されるまで、まだ生きているとは思っていなかったのだという。生まれたときは本当に究極の貧困の中での出産だった。正直両親の言い分は、単なる言い訳にも聞こえる。母親が垣間見せる施設での業務態度にも、障害児に対する何らかの生理的嫌悪感をうっすら感じ、多少憤りを覚えたりする。しかし、しょうがない選択だったとも思える。あの状況で、結合双生児を育てるという決断をするというのはやはり重責が過ぎるとしか言えない。すぐ死んでしまうと思っていたというのも、全然面会に行かなかったというのも、親として失格だとは思っても、それを咎める資格が、果たして一般の人々にあるのか、それほど立派な生き方をわれわれもやっているかと言われれば、答えに窮してしまう。その重い運命を、両親も背負い続けていた。償うことの出来ない重く巨大な罪を延々と償うかのごとく、母と姉は住む場所も満足でない困窮の生活を、「大丈夫です」と悲しげな笑顔とともに細々と続けていく。


いろいろ思うことが多くて破裂しそうになるくらいの番組だった。一番最初に思ったことが、この圧倒的な重い境遇をしっかりと受け止めているベトナムという国の驚異的な風土の存在だ。これはドキュメンタリー上では詳細な展開は無い。しかし流れる映像、職場やドク君の家庭、ドク君の奥さん方の家庭でのドク君の歓迎のされ方、兄弟が生まれた故郷の人々等の映像からの印象からかすかに想像できる。いろいろな軋轢は実際あったと思うが、それでもこの実の母と子の究極の緊張状態を、20年も同じ職場で暖かく見守ろうとしてきた職場もしかり、ベト君ドク君のように生まれて捨てられ続ける障害を持った子供を引き取って大事に育てる施設がちゃんと運営されていること、ベト君の遺灰が安置されている納骨堂の大事にされている雰囲気等、共産圏といえども人間の心理的バックボーンとしてまっとうな宗教の支えが正しく働いている状況なのだということが強く印象に残った。


他にもいろいろあったが細かくかけるはずも無い。


あとドク君が土日に勤めている日本資本関係の旅行案内所の窓口に来た若い女性の2人組のことだけ言及しとく。ドク君は日本でははっきり言って有名人だ。だから多くの日本人旅行者がその案内所に訪れる。ドク君はその窓口で、訪れる日本人旅行者の相手をするのが重要な仕事になっている。話をしたり、一緒に写真を撮ったり。ここを訪れる日本人観光客は、みな善意の人だ。ベト君ドク君を知ってって会いに来る日本の人々が善意の塊であることはいうまでも無い。だからあの若い女性の観光客2人も善意の人だということは間違いないだろう。


だが着ているものが薄いシミズのような肩紐つきの着物で、ブラも付けてないから乳房も乳首の突起も布地が密着して丸分かりなのである。とてもまじめで清楚な感じの子で、善意を持って会いに来ているのも丸分かりだから、かえってそんな素敵な娘がこんな格好して来られると、明け透けなエロビデオばっかり見慣れている男性諸氏からすると思いがけずものすごく新鮮で、猛烈にエロチックに感じてしまうのである。海外でそんなあぶない格好で出歩くな、といっているわけではない。別に自分でもそのような状況をあらかじめ期待してきて着ているんだろうから、伴うリスクも自覚してるだろう。それを自己責任でちゃんとわきまえているのなら、国内でも海外でも、むしろどんどんそういう格好で繰出してもらってかまわないし、その方が現地の男の人たちにとっても究極に幸せだろうしそれを摘み取ることも無粋だと思う。実際自分としてもそういうことはどんどんやってもらいたい。もしベトナムという国を気に入ってやってるのならベトナムの巷の男供の天使となって究極のチャーミングさを惜しげもなくさらして好きなだけもみくちゃにされて夢と希望を振りまいて欲しいのだが、時と場所、場合は考えるべきだと思う。


実際ドク君はあの2人の娘に会ったとき、男なら絶対見せる「お~」という歓喜の表情をただの一瞬も見せなかった。


あの歓喜の表情はどうやっても隠せない。隠しても視線の動き、体のどこかの所作、雰囲気に出てしまうのである。それはビデオ映像でもはっきり分かる。


しかし、ドク君は一瞬たりともそんな気配を見せなかった。ドク君は障害者だとしても、ちゃんとした一人前の男である。あの歓喜の感情は、男なら隠しおおせるはずが無い。。気配が無かったとすれば、それは違う感情を持っていたのである。ドク君は、あの瞬間、嫌悪感を抱いたのだと自分は推察する。嫌悪感なら、隠すことが出来るからである。


大事な日本人旅行客だから、沸きあがった嫌悪感をとっさに殺して、応対することが出来たのである。


ドク君にとって、家族とは、絶対不可侵の聖域だ。それを犯すものこそ、この世の究極の悪である。それが自分に特有の境遇から来る、偏った見解で他人に強要できないものだと頭では分かっていても、心は受け入れない。


自分の実の母親であっても、それを犯したものは、究極の罪悪と心が決定してしまうのだ。それを許すと、ベト君が浮かばれないのである。心の中で、ベト君を一人置き去りにしてしまうことになるのだと思う。そんなことは彼にとって死んでも出来ないのである。


彼は自分が家族を大切にすること、奥さんを、子供を大切にすること、自分の人生を実り多いものにすること、堅実に生きることに、通常よりもはるかに強い意志を持っている。だから、普通の男性が手放しで歓喜するようなそんな超スイートな格好で女の子が現れても、こころときめいたりしない、逆に嫌悪するのである。


ドク君にひと時のパラダイスを進呈しようと思ってそんな格好で来たんだと思うが、どういう状況になるのか予測がつかないときは、ある程度わきまえて差し障りのない対応もすべきである。逆にドク君にとっては大変失礼なことになってしまったと思う。彼は通常の人とは比較にならないくらい、真面目に人生に取り組んでいる。真剣に取り組んでいる。それは、彼の境遇がそうさせるのである。そうせざるを得ない状況に追い込まれて、それでも必死で生きているのである。もし訪れる人が善意の塊であるのなら、そこをしっかり理解しておかないと、相手を究極に馬鹿にすることになる。彼を馬鹿にすることなどわれわれに出来るか?そこらへん、しっかり対応して、失礼の無い様にすべきだったと思う。


しかしNHK BS1で、あんな究極の清楚エロが堪能できるとは夢にも思わなかった。


近況の状況が手放しで喜べないものとしても、結婚し、子供が出来て(しかも男女の双子!!)、ひとまず良かった、と見ている側から見ればほっとできる材料である。しかし、ドク君の表情には、真の安らぎも笑顔も無かった。彼の性格の真摯さが伝われば伝わるほど、障害と生きるという困難にさらに加えて存在する彼の直面している現実の重さ、極めて困難な状況と言うものがひしひしと感じられ、いろいろなことを考えずには居れなくなる。


それに比べたら、日本の政治の現状とか、なんて茶番なことに無駄な時間を費やしてることか。比較するとアホらしくなる。まだ日本は余裕しゃくしゃくなのである。小沢が政治生活に何の疾しいところも無いそうだ。マス添えさん連立の飲み会でやっと存在感出てきたらしいね。


ナにやってるんだろう。


こんなわけ分からん先生方には学ぶところは少ない。真剣に生きてる人たちから、生きる意味を改めて教えてもらわないと、自分も不真面目千万だ。


疲れたので語尾決裂