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国際協力・NGO情報ブログ:別館

国際協力やNGOについて興味のある分野の情報をまとめています。

久しぶりにスーダンの話題です。もちろん、以前としてダルフールでの軍事紛争は続いているようで、休戦協定が守られていないことをアフリカ連合(AU)の報道官は伝えています(こちらのロイター@Yahoo!ニュースを参照してください)。

15万人とも言われる難民の数は更に増える一方で、その人たちを援助する国際機関やNGOは、懸命に活動を続けているのですが、活動は困難を極めるばかりのようで、国際NGO「セーブ・ザ・チルドレン(STC)」(STC英国)は現地職員350人全員を引き揚げることを決定しました。ダルフールで活動を続けるSTCはスタッフがここ2か月の間に4人もなくなり(2人は何者かの襲撃、2名は地雷被害)、活動の困難さが顕著になったのがその理由だといいます。(詳細はこちらのロイター@Yahoo!ニュースを参照してください。)

また同じく国際NGOで医療支援を行う「国境なき医師団(MSF)」は現地で採用したスタッフが銃で撃たれ殺害され、29人のスタッフと連絡が取れなくなった状態にあるそうで、実際に何が起こっているのかを把握するだけの十分な連絡手段がないという状態だと言います。(詳しくはこちらの毎日新聞記事を参照してください。)

MSFのスタッフが犠牲になったラバドで唯一活動する国際NGOであったMSFは、先週の戦闘開始以来、チームが町にはいることができなくなったといいます。またそのラバド野町は破壊され、殆どの住民が他地域へと非難しもぬけの殻になっているといいます(国境なき医師団日本のホームページより)。

このブログでも紹介したスーダン難民への援助にあてようとCD「Do They Know It's Christmas?」を発売したバンドエイド20のメンバーであるトラヴィスのフロントマンである、フラン・ヒーリィがスーダンを訪れ、その様子に大きなショックを受けたといいます。現在60万枚以上のセールスがあるというこのCDが100万枚売れば、総額で6億円ほどの支援金になるといいます。(詳しくはこちらのBARKSのウェブサイトの記事を参考してください。)

スーダンに関心を向けると同時に、各個がそれぞれ何ができるか?を考えたいですね。
ここのところガッツリと個人的に書いてきたので本の紹介をしますね。つい先日…といっても先月下旬ですが…に出版されたのが、左の『<連続講座>国際協力NGO-市民社会に支えられるNGOへの構想』(今田克司・原田勝弘編著、日本評論社)という本。

よくよく考えてみると国際協力NGOのことをきちんと総論的にまとめた本と言えば、『NPO/NGOと国際協力』(西川潤・佐藤幸男、ミネルヴァ書房<2002年>)ぐらいで実際にはないということを改めて思います。国際協力NGOの活動は実際様々でそれを個別具体的にまとめ、また受け手は呼んでいくことで積み重ねるものだと思うのですが、それでもこうした総論的・教科書的なものというのは必要です。しかも、各論のNGOの本というのはどちらかといえば途上国支援型のものが多く、政策提言や社会運動までを視野に入れたものは皆無に等しいのが現実です。

今紹介した2冊は特色に大きな違いがあります。『NPO/NGOと国際協力』の方はどちらかといえば外から見たもので、『国際協力NGO』の方は内から、体験から出てきたものです。もちろん、どちらも一長一短がありますが、今回は後者の執筆者の多くが単に研究だけではなく、それぞれの活動を客観視し(できてないものもありますが)論じている点で、前者よりも優れているという気がします。

総論的な話から各論まで、現地支援型の活動から政策提言活動や社会運動まで網羅されています。現代日本の国際協力NGOについて知りたいなら、まずこれを手にとって!とNGO関係者も胸を張れるものだなぁという気がしています。(執筆者の多くも個人的に信頼できる方が多いですし。)

一方で、昨日までにこのブログで書いてきた「開発教育」や「キャンペーン」など、日本でNGOを考えるときやはり触れて欲しい…というか、触れるべきだろう項目もあるように思います。また、復隊取るにある「市民社会」を、つまりは日本社会に置いて「市民社会」または「市民」をどのように捉えるか?という視点をもう少し明確に、しっかりと出しても良かったな、という気がしています。

それであっても、日本でNGOに関わる人間としては、もし国際協力NGOに関心がある方には是非手にとって欲しい一冊です!
いくつかコメントを頂いたのでもう少し「開発教育」について書いてみようと思います。

昨日も紹介した(財)開発教育協会はウェブサイトで開発教育の目的を「共に生きることのできる公正な地球社会の実現」としていると書きました。そしてそのために必要な目標は「(1)知ること、(2)考えること、(3)変わり、行動すること」とあります。ここで考えてみると、この(3)というのが、一番の特色であると言えるのだろうと思います。

昨日のブログで「問題解決に向けた具体的な方向性を如何に参加者の人たちと一緒に考え、作り上げていくか?」ということが一番大事だと思うと書きました。しかしこれは反面Guchiさんが書かれていたように、「中途半端で終わりがち」であるのも事実です。また参加した「開発教育」を掲げる講座でここに辿り着いたことはありません。

それはおそらく「開発教育」と呼ばれるものの実際は、「方法論」に終始しているのではないか?と思うからです。先日、いわゆる「講演」に参加しましたが、そこで講師の方から出されたいくつかの具体事例の連なりは「これはできそうだからやってみよう」と思えるものがありました。その方が極めて「変わり、行動する」ものに近かったのです。

「開発教育」には、himajinさんが書かれていたような「参加者の知識等の差がある」がためになかなか自分のなかでストンと落ちるようなものが生まれないのかもしれません。もちろん、対話を重ねるなかで「こういう考え方もあるのか」と思ったことはたくさんありますが……。

友人が「ワークショップ・参加型学習は答えがあるときにするのがもっとも効果的だと思うときがある」と言っていました。これはすごく言い得て妙です。「伝えたい、知って欲しい」ことがあるからこそ、それをワークなどの「面白く楽しく入りやすい方法」で行うわけで、おそらく、そういう思いを明確に持っているファシリテーターの方に会ったときには「勉強になった」と思って変えることが多いのだろうと思います。

そうなると、「開発教育」というのは、前のブログの記事に書いたように、「国際理解教育」のような「国家主義」的性格を持つものとの立脚点の差異のみを表しているのでしょうか?つまりは、開発教育が「地球社会」という視野で取り組む教育方法という理解です。

僕が関わっているネットワークNGOもここ3年ほど「ファシリテーター」を養成する講座というものを開催しています。今年は教材づくりがテーマですが、「何を伝えるか?」ということをどれだけ意識して、またその問題背景を学習した上で皆さんが参加してくれるのか?というのが楽しみです。一方で、「これを受講すれば何か資格が得られるのか?」という問い合わせもあるこの講座、「資格」をすぐに求めようとすること自体が「ファシリテーター」「開発教育」に適していないなぁなどと思ったりもしますが、単に「教材」という成果を求めるのではなく、そこまで辿り着くための「苦労」を一番持って帰ってもらえると嬉しいなと思っています。

それにしてもワークショップは時間がかかる…というのはひとつの事実でしょうが、何にしろ「区切りがない」ものはないだろうと思っています。貧困なり環境破壊なり、人権侵害なり、時が経てば経つほど問題はより複雑に大変になってきます。

「もっと時間があったら良かったのに…」と思える開発教育の講座に出会えると素敵なことです。しかし、その「時間」の感覚もまた、現地で今まさに問題に直面している人たちを考慮することが大切なことだろうと思います。

そういえば、この間のとあるワークショップでは、それをコーディネーターをした団体の人自らが「もっと時間があれば良かったのに…」と言っていて閉口してしまいました。最初から時間は決まっているし、そのなかで参加者の人たちに考えてもらう「しかけ」を作るのが仕事だろうに…と思うと、「開発教育」ってのも考えものだなぁとか思ったりしたのでした。

◆画像は、ウィリアム・クライドラー著(1997年)『対立から学ぼう~中等教育におけるカリキュラムと教え方』(国際理解教育センター編訳)です。NGO関係で講座をさせてもらうようになって一番最初に手に取ったのが(紹介されて)このテキストでした。5年前ですね。何か思い出深いところがあります。
昨日のブログを書き終えたあとに、使った資料などを整理しながらふりかえっていたのですが、改めて「開発教育」というものは難しいなぁと漠然と考えたりします。……と、今では普通に「開発教育」という言葉を使っているんですが、実際、これを説明しようとすると非常に難しいですね。

(特活)開発教育協会ではつぎのように紹介されています。

開発教育は、私たちひとりひとりが、開発をめぐるさまざまな問題を理解し、望ましい開発のあり方を考え、共に生きることのできる公正な地球社会づくりに参加することをねらいとした教育活動です。

1960年代に始まったこの「開発教育(development education)」が持つ40年余りの歴史のなかで、その意味合いや方法論は随分変わってきたようですが、途上国での活動をベースとしたこの開発教育というものはやはり国際協力分野で関わる問題を如何に伝え、考えるか?というところに繋がっているような気がします。

例えば、「国際理解教育」という言葉もあります。日本ではこの言葉が非常に「国家主義」的な意味合いを強く持っていることを考えると、その立地点が異なっているような気がします。やはり「開発教育」は多様性を取り上げつつも、その普遍性もまた持っているグローバルな色彩を持っています。

また方法論にどうしても収斂されてしまいがちなのもこの「開発教育」なのかなという気もします。今年の夏に福岡で開かれた開発教育に関する集会に関わって、この方法論的なものがまた「売り」であるという気もします。確かに(特活)開発教育協会のウェブサイトにあるように、「知識伝達型」ではなく「問題提起型」であるという大きな特徴があり、そのための方法論が大きく必要であることもまた事実ですが、それはNGOなり、学校の先生なりが、ワークショップや参加型の方法論をとってもなお、「問題提起型」に往々にしてなっている例というのはたくさんあるように思います。反対に「講演」を行っていても、「開発教育」となっている例も時としてあるのかもしれないということも考えます。

一口に「開発教育」というと、やれ、ワークショップだ、やれ、参加型学習だ、やれ、ファシリテーターだと、その方法論に多くの意味合いを持たせてしまいがちですが、NGOとしてこれに取り組むにあたって、やはり一番考えなければならないことは、問題解決に向けた具体的な方向性を如何に参加者の人たちと一緒に考え、作り上げていくか?ということなんだろうと思います。

そのためには、「開発教育」を行う人や団体が持つ「問題意識」に多くを拠ることになり、また具体的背景をどれだけ理解し、またそれをその問題に反映させていけるか?という具体的なプロセスをまずは持つことが必要になるのだと思います。

そう思うと、「開発教育」オンリーで動くことの危うさを改めて感じます。昨日のワークショップを通して行ったことを、自らの団体やネットワークに持って帰って、如何に生かすことができるか?(もちろんそれは方法論ではなく「問題解決」に向けて)ということを改めて考えて、「地球社会」という立地点に反映させていかなければならないのだろうと思うのです。反面、ワークショップと講演という2つの方法論で伝えることで、フォローできたこともあるだろうと言う思いもありますが……。

……と、書きながらもやはり「部屋の四隅」だとかゲームだとかの具体的な方法論に収斂してしまう危うさを個人的にも抱えてきて、「開発教育」というのは難しいよなぁと改めて思います。

★画像は、開発教育協会制作・発行『開発教育ってなぁに?:開発教育Q&A』です。
今日は佐賀にワークショップをやりに行きました。(財)佐賀県国際交流協会さんが主催された、国際交流・協力セミナー「地域の国際交流・協力について考えてみよう」という講座に講師の一人として呼んで頂いて、前半1時間ほどをワークショップのファシリテーターを務めました。

タイトルに「私や地域が世界と繋がる!~地方発!国際協力のすすめ」と題して、「地域」においてNGOや国際協力活動をするというのはどういうことか?ということについての内容。後半にN事務局長がNGOの活動、またネットワークNGOについて関わることについて話をして下さるために、その話に入りやすいように…と考えての前半のワークショップでした。

内容は2つ。時間内で、アイスブレーキングとしての「部屋の四隅」のワークと後半はブレインストーミングを行いました。参加者の顔ぶれをみると、これまでも佐賀で国際交流・協力の活動に何らかの形で取り組まれている人が多いようで、自らの活動を省みるきっかけになれば…と持ってきた内容を多少マイナーチェンジして行いました。

「部屋の四隅」は、いわゆる「世界が100人の村だったら…」をベースとして、『貧困』という今年から来年にかけてのとりわけ大きなテーマである言葉を用いて、具体的に『基本的な人権』というものに焦点を当てたものでした。基本的に中身はオリジナルなのでここで書くときりがないのですが、要は4択クイズを身体を動かして行うもので、「この地球上に暮らす人間が100人だとしたら、○○な人は何人でしょう?」という問いを出して応えてもらい、「なぜそう思ったのか?」という質問をして、どう考えているか聴いてみたり、答えを紹介して現実的な数字や現状を紹介したりしました。

やはりこれまでも何らかの活動をしている方ということがあって、世界の現状を厳しいものとしての認識が多かったです。自分の目と足を使って回った途上国の現状からそういう判断をするようで、終わったあと、「改めて自分の考え方をふりかえるきっかけになった」と言って頂きました。

また後半は「貧困」をキーワードに想像することイメージすることを書き出してもらい、メンバー間でそれを元に意見交換を行って「貧困」についてみんなでどのようなことを考えているか?ということを共有する時間としました。

福岡でもこの手のワークショップをするのですが、佐賀でやってみて思ったのは、福岡でやる以上に参加者の方の関わり度合いが深かったということです。良くも悪くも福岡周辺ではこの手の講座は山のようにあります。そして、そうした講座があると顔を出す人たちも決まっていて、セミプロのような具合に参加する人が多いことも影響してか、変に「裏」を探っているのか(笑)、なかなか思うことを出さないこともあるのかなぁという気がします。

そのなかで、「ほとんどこういうものはやったことがないとって」と笑いながらもおばちゃんやおじちゃんたちが思うがままに書き記し、意見交換をしている様子を見ると、「やってよかったなぁ」と思うのです。そしてそのなかででてくる言葉に、何よりも僕が勉強をさせてもらうことにもなります。

進行をしながらも、ワークをしているグループの机にとどまって「これはどういう意味なんです?」と何度も聞いている自分がいました。こういうような、講師と受講生という関係性はあれど、お互いに学ぶことができる関係が作られ、「裏」を探るようなこともなく、意見交換ができるというのは幸せなことだなぁと思います。

終わったあとに交流会にも出させてもらったのですが、佐賀の国際交流・協力活動の現状を伺うことができて、非常に面白かったし、勉強になりました。参加して下さった皆さん、ありがとうございました。また是非一緒に何かできればいいですね!