【渡部昇一】歴史通は人間通 | N field golf(エヌ フィールド ゴルフ)ブログ

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に引き続き、少し。

 

 

 

大分、仏教や禅のお勉強からは

 

脱線しております(笑)。

 

 

 

◉「道」を求める日本人

 ひとつのことを徹底的に追求していくと、

追求している対象を突き抜けて、あるいはそのものを超越して、

人間の道に至る

という発想を日本人は持つようになった。

茶道も香道も装道も、みなそうだ。

「道」という単なる物理的な「もの」に、

人間的な精神性を与え、だからこそ極めつくすものだと考えたのは、

世界広しといえども日本でけのことだと思う。

  『知的余生の方法』(新潮社)

 

 

◉自分の本当にやりたいことは何か

 チャールズ・ダーウィンは、

人間にとって重要なのは、頭のよさよりも心の態度である

と言ったという。

つまり、価値ある人生を送るために本当に必要なのは、

学問の世界でいう頭のよさではなく、

真剣にものを考え一意専心する態度である

と言いたかったのだろう。

 そのダーウィンであるが、小さい時は勉強ができなくて、

才気煥発で賢い妹のほうが息子だったらよかったのに、

と親から言われて育ったという。

 しかし、ダーウィンは自分が興味を持ったことは

納得するまで追求するというねばり強さを持っていた。

そして、最終的には、あの生物の進化思想と自然淘汰説を明らかにした

『種の起源』という、たいへんな学問的成果を残したのである。

これは、それまでの人間の価値観を覆すほどの偉大な業績であった。

 この話を、私は旧制中学時代に恩師の佐藤順太先生からうかがったのだが、

その後の人生を考えていく時にたいへん参考になったことは言うまでもない。

 なるほど、いわゆる「カミソリのような頭」ではなくても、

深い興味と探求心、自分の人生で一番大事なことを見極める力さえあれば、

歴史的な業績をおさめることも不可能ではない

――そんな希望を私に与えてくれたのである。

 この話に深い感銘を受けたこともあって、

私は学生時代をとおして、先生方や書物の中から、

なるべく多くの教訓を得ようと心がけた。

 それは、言葉を換えれば自分の本当にやりたいことは何か、

どんな人生を送りたいのかということを、

真剣に考えていた、とも言えるだろう。

 そして、自分の好きなことをして身を立てていくのが夢であり、

究極の幸せであり、そのためにこそ自分は生きているのだ、

という確信を抱くようになった。

 その私の「好きなこと」とは、

本に囲まれ、それを読んで過ごすような生活、

または本を執筆するような生活、

つまり「知的生活を送る」ということであった。

 これはまた、ただ食べるためだけの生活でなく、

もっと人間らしく生きるということでもあった。

 幸いにして、私は大学を修了すると大学院へ進み、

ドイツ・イギリスの留学を経て、母校で教鞭を執ることができた。

その道は、おおむね愉快であり、

自分の立てた志のとおりの人生を送っているという充実感もあって、

幸せな日々であった。

好きなことをしている時、人は苦労を苦労と思わないからである。

  『すごく「頭のいい人」の生活術」(三笠書房)

 

 

◉気概

 孟子は、

自ら省みて縮(なお)くんば(正しければ)、

千万人といえどもわれ往(い)かん

と説いています。

 そこまで崇高でなくても、日々の一挙手一投足にも、

やはり私たちは自分なりの気概を貫いて生きていきたいものです。

 気概とは、その人の生き方の証であり、

その人の哲学の反映でもあるでしょう。

それは自分のアイデンティティーの裏返しでもあるのです。

 よく、人は自分の顔に責任を持てと言われますが、

それはとりもなおさず気概が

そこはかとなく表面にしみ出てくることを言っているのです。

 こう考えますと、

人生とは、

自己実現を一つ一つ図りながら、

自分の内なるものを高め、

気概を作り上げていく過程

と言えるのではないでしょうか。

言い換えれ、

精神を創造していく道程

なのです。

そして、時折、自分を省みて、

気概がどの程度まで向上してきたかを確認し、

さらに高めていくことが必要なのではないでしょうか。

 その時に、自分の人生という背骨を、

熱すれば溶けてしまうようなロウや、

押されればボキッと折れてしまうプラスチック、

ましてや、どこかから借りてきた骨で形づくるのではなく、

まさしく内面から熟成されて結晶した気骨で作り上げていくことが、

深みのある人生を築き上げるのでしょう。

 もちろん、気概には

孟子の先述の言葉のような勇ましく力強い気概もあれば、

柳のようにしなやかで決して折れない気概もあるでしょう。

それは人さまざまだと思います。

 しかし、

人間の価値、人生の価値というものは、

気概においてそれが推し量られるという真理を、

私たちは深く考えなければならないと思います。

それは時代を超えても

永遠に真理であると言えるのではないでしょうか。

  『わたしの人生観・歴史観』(PHP研究所)

 

 

◉三福のすすめ

 (幸田)露伴は『努力論』で、

責任は自分にあるという態度で努力する

といい運が寄ってくる可能性が高い

と言っているわけですが、

いい運が来たときにどのような態度をとるべきかということで、

「惜福」「分福」「植福」の三つの考え方を示しています。

「惜福」とは、

いいことがあったときに、

その福を使い尽くさないで一部を惜しんで、

あとのために残しておくことです。

お金のない人が宝くじに当たったが、

有頂天になってしまって身の破滅を招くというのは、

惜福とは逆のことです。

露伴は惜福の例として、徳川家康を挙げます。

家康はいい運が来ても、

有頂天になることはなかったというのです。

「分福」とは、

いいことがあったら自分だけで独り占めしないで周りの人に分け与えよ、

ということです。

その例として挙げられるのが豊臣秀吉です。

秀吉は周りの者たちに分け与えることを怠らなかったから、

天下が取れたというわけです。

「植福」とは、

自分のところにいいことが来るとは限らないけれど、

とにかくよいことをふだんからやっていこうということです。

たとえば、木を植えても、

自分が生きている間はその木は自分のためにならない。

しかし、孫の代には木材として売れるかもしれないし、

おいしい木の実をつけるかもしれない。

福はなくならない。これが植福なのです。

 露伴は、

これをやったら必ず幸せになると言っているわけではありません。

しかし、今を生きる私たちは、

自分のやることに責任を持ち、

惜福、分福、植福を地道に積み重ねていくこと

が大切といえるのではないでしょうか。

  『読書こそが人生をひらく』(モラロジー研究所)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

事をやりとげようとする

「積極的な気持ち」

 

こちらに行き着くようです(笑)。

 

 

 

それでは皆様、本日も

 

楽しくお過ごし下さい。

 

 

 

最後まで読んで頂き、

 

ありがとうございました。

 

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