脳はバカ、腸はかしこい 藤田絋一郎 | N field golf(エヌ フィールド ゴルフ)ブログ

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脳はバカ、腸はかしこい

腸を鍛えたら、脳がよくなった

著者 藤田絋一郎

発行所 株式会社三五館

2012年11月4日初版発行

 

 

猪名川町立図書館で3週間お借りしましたが

 

読み切れず、

 

ブックオフオンラインにて、220円で購入して

 

続きを読ませて頂きました。

 

 

 

 第1章 腸が脳よりかしこい

 

 腸に最初に神経系細胞が出現した

 

今まで述べてきたように、

人間の脳は神経系が極端に進化し、多様性に満ちたものになっています。

しかし、生物の進化を見てみると、

最初に神経系ができたのは脳ではなく腸だったのです。

 ニューロンと呼ばれる神経細胞が出現したのは、

ヒドラなどの腔腸動物の腸の中であることはすでに述べました。

腔腸動物には脳がなく、腸が脳の役割をしていたのです。

 動物はこの腔腸動物をもとにして、2種類の系統に分かれて進化しました。

一つは昆虫を頂点とした腹側神経系動物です。

もう一つは私たち哺乳類を頂点とした背側神経系動物への進化です。

 腔腸動物から腹側神経系動物への最初のステップは、

私の好きなサナダムシや吸虫類が属する扁形動物です。

この扁形動物にはじめて「中枢神経細胞」が出現しました。

それがタコやイカなどの軟体動物頭足類の「巨大脳」と

昆虫など節足動物の「微小脳」へと続いたのです。

この動物系の脳進化の頂点は地球上で最も繁栄している動物群である昆虫の微小脳で、

これは「小型・軽量・低コストな情報処理装置の傑作」ということがいえます。

 腔腸動物から背側神経系動物の神経系の進化は、

まずウニやナマコ、ヒトデなどの「棘皮動物」から始まります。

棘皮動物ではまだはっきり神経系細胞は認められませんが、

原始的な中枢制御機能を持つ「介在神経系細胞」が出現します。

 さらにナメクジウオやホヤなどの尾索類になると神経管が出現し、

それが脊椎動物の管状神経系へと続きました。

その頂点になるのが哺乳類で、

さらに私たちヒトの大脳皮質の発達した脳にたどりつくというわけです。

 脊椎動物の脳もヒトの脳になるまでたいへんな進化を遂げてきました。

5億年前の恐竜が持っていたのは橋や延髄、脳幹や小脳からなる「後脳」だけでした。

これは生存に欠かせない呼吸や平衡感覚、さらに警戒などをつかさどっていました。

後脳のあとにできたのは中脳で、

中脳蓋と大脳脚からなり、視覚、聴覚、反射の協調をはかるとともに、

眼球の動きなども調節していました。最後に付け加えられたのが前脳です。

終脳間脳とからなり、言語や意思決定に関わるようになりました。

 ヒトの脳は最も古い脳である後脳の上に中脳をかぶせ、

さらに二つの脳の上に前脳がおおいかぶさっていて、

そしてさらにその上を大脳皮質ですっぽり包んでしまったのです。

 私たちの脳は何度も上書きされ、

古い字句が新しい字句の下に隠れている

古代の羊皮紙」のようなものになっているのです。

古いものの上に新しい系統を重ねる拙いやり方を

技術の漸差的な重複」と呼んだ人もいます。

また、ノーベル経済学賞を受賞したハーバド・サイモン博士は、進化は

とりあえず満足を得ようとした結果」であると述べています。

 私も、このような「とりあえずの進化」を逃げてきた人間の脳が、

自分の報酬系だけを満足させればよいという

極めて自分勝手でわがままなものではないかと思っています。

 多くの人たちは大脳皮質を発達させたヒトの脳が、

この地球上で得た最高の作品だと思っているようです。

 しかし、本当にそうなのでしょうか。この章のはじめに示したように、

大脳皮質を発達させたヒトの脳のおかげで、

人類は次第に子孫を残せなくなってきたのです。

そればかりではなく、自分が生存している地球自体を汚染し、

存続不可能な状態に追い込んでいます。

私は「小型・軽量・低コストの情報処理装置」を備えた

昆虫の脳のほうが、最高傑作ではないかと思っています。

現に昆虫は地球上で最も繁栄している生物です。

近い将来、人間は地球から消え去り、昆虫が謳歌する世界になってしまうのではないか、

と私は思っています。

 

 

第2章 幸せな脳は腸が作る

 

 

  腸内細菌でトキメキ&ドキドキの恋愛が続けられる

 

(前略)

 ドーパミンを作るには、食べ物から

フェニルアラニンというアミノ酸を摂取することがの必要です。

そして次にドーパミンの前駆体を作る腸内細菌が必要になりまます。

私たちの行動を決めているのは、元をいえば脳ではなく、腸内細菌

だということなのです。

 ドーバミンが十分あれば変わらぬ愛を維持することができるように思うかもしれませんが、

脳がドーバミンを求め、次から次へと欲求を充足させるように働く

依存性の高い物質であることも確かです。

また、ドーパミンが多すぎると、

幻覚や妄想などの統合失調症に類似した中毒症状が出るとも言われています。

 先ほど恋愛関係が2〜3年で安定状態に入ると述べましたが、

恋愛のドキドキやときめきを長く維持したい人は、

PEA(フェニルエチルアミン)をできるだけ長い期間分泌させればいいわけです。

PEAは微生物発酵で作られますから、

やはり腸内細菌を活性化するような生活習慣を維持することで、

いつまでも若く、青春時代の恋愛が続けられるのかもしれません。

 

 

 科学とエセ化学

 

(前略)

 実際は、科学とエセ科学の境界線を引くのは難しいことです。

科学によって導かれた結果だからといって、100%正しいわけではないからです。

逆に実験や観察がいい加減な場合でも、得られた結果が正しい場合もあるのです。

本当の科学者とは

科学は私たちの行なっている観察や実験で100%正しい結果を得ることはできない

と思っている人のことなのです。

 現在の医学では、EBM(Evidence-based-medicine)が声高に叫ばれており、

エビデンスがあればすべてが正しい結果であり、無条件に信用してしまう傾向にあります。

しかしそのことは、たびたび重大な間違いを起こしているのです。

エビデンスがあるからといって科学を無条件に信奉することは、

エセ科学から離れていくように見えながら、実はぐるりと回ってエセ科学に近づくことになるのです。

 私は脳で考えるだけでなく、腹の感覚を重要視しています。

宇宙のように謎だらけだけど、私たちの命を確かに支えてくれている腸の存在を常に想い、

そんな中で腸内細菌の観察や実験を今もなお続けているのです。

 
 
 幼児期の英才教育は子どもをダメにする
 
(前略)
 子どもの発展途上の脳を正常に発達させるには、「感覚的経験」が必要で、
しかもその経験は生後まもなくの時期に形成されます。
この時期を「臨界期」といいます。
臨界期に幼児に感覚的経験をさせないと、重大な障害が起こるというわけです。
 感覚的体験を起こさせないで、幼児期から難しい高等教育ばかりを施していると、
脳のその後の正常な発達が望めなくなります。
つまり、幼いうちの脳にむりやり詰め込もうとする教育は、
外界からの刺激が多すぎて知覚機能が麻痺し、
脳は一生子どものレベルから成長しにくくなるという弊害が出てくるのです。
 
 
 個性や才能は3歳〜15歳の間に作られる
 
 さて、シナプスの形成が3歳までに行なわれる話をしました。
ではなぜ、3歳までに必要以上のシナプス結合を形成して大量に回路を作っておきながら、
その大半を使わずに使用不能としてしまうのでしょうか。
 赤ちゃんがこの世に生まれると、
脳はまず自分が生きるための重要な知識や習慣をたくさん吸収しなければなりません。
赤ちゃんはハイハイする前からすでに学習能力を持っています。
しかし3歳まではその情報をただ一方的に吸収するだけです。
赤ちゃんにとっては見るもの聞くものすべてが膨大な情報量です。
新しい脳は生きるための基本的な情報を吸収することに精一杯で、
まだ世界観というものは形成されません。
 シナプス形成をしながら生きるための基本的な情報を吸収する時期を過ぎると、
脳はフィルターをかける作業に移ります。
これは先に述べた「シナプスの刈り込み」です。
シナプスの刈り込みが行なわれる時期を「感受性期」と呼び、
この時期にその子が興味を持っ楽や美術、
スポーツやアカデミックな活動に関わって忙しく脳を機能さていると、
脳細胞はその活動に反応して、それに適した回路を形成していくのです。
逆に毎日テレビゲームばかりしている生活だと、その活動に適した機能が強化され、
その他の部分が摘み取られて、大切な神経回路が消滅していくのです。
 
 
 個性や才能は3歳から15歳の間に作られる
 
(前略)
 子どもは難しいことはわざと無視して聞き流してしまい、
自分のわかる言葉ものだけに意識を集中して吸収します。
ですから言葉を覚えるのは大人よりはるかに早いのです。
このフィルタリング作業は3歳以降、10年以上続きます
その間に親から譲り受けた遺伝的特性と体験に基づき、
フィルターをかける回路流れが良くて使いやすい回路とが選別されていきます。
 またこれらの回路は、
使用頻度がさらに高くなることでよりいっそう強靭で高感度なものになっていきます。
自分の好きなことや興味あることに熱中しているとき、
「楽しい」「しっくりくる」という感覚は、
選別されて強くなったシナプスを使いつつ、さらに回路を鍛え上げているという証拠です。
一方、フィルターをかけて使われなくなった回路は、シグナルを送っても反応を示さなくなります。
これは嫌いなことをしなければならないときに
「なんだかピンとこない」「つまらない」という気分になることでもよくわかります。
 よく考えると日常の生活においても、個々の鍛えられた回路は自己主張をしています。
知識欲の回路を強めた人は、
常に「なぜ?」「知りたい」という気持ちがあり、ところかまわずどんどん疑問をぶつけます。
また、競争心の強い回路を持った人は、
信号が青に変わった途端にだれよりも早く横断歩道を渡り、一人で満足感に浸ります。
このような個々の独特な性格は「長所・短所」とも言われますが、
私は「個性・才能」であると考えています。
個性や才能は遺伝的要素ももちろんありますが、
3歳〜15歳までの間に受けた経験や生育環境が大きく作用し、独自の強いシナプス回路を作ります
この時期に膨大な情報にフィルターをかけ遮断し、不必要な何十億個のシナプスを失い、
自分に合う必要なものを選択淘汰させることで、個々の才能や独特の世界観が生まれてくるのです。
 もしも、情報フィルターがかけられない脳であった場合、
その子どもはどんな些細なことでも記憶できる恐ろしい子どもになるでしょう。
見るもの聞くものすべてのかに記憶され、忘れたくても忘れることができません。
その結果、一般的な概念を作ることができない子どもになってしまいます。
つまり考えることも、感動することも、人間関係を築くこともできない、
個性や嗜好や判断力や情熱のすべてが欠如した子どもになってしまうのです。
 したがって、シナプスの数が多いからといって、賢い子に育つというわけではないのです。
賢さなどの才能は、最も強靭な回路をいかに上手に利用するかで決まります
使用頻度や刺激によって強い回路を作るためには、
何十億ものシナプスを失うことは当たり前のことで、むしろ必要なのです。
 
 
 あなたが持つ強靭な回路は何?
 
ここまで、3歳〜15歳までに脳の回路が形成され決定されるということを述べてきましたが、
すでにこの時期をたいした刺激なく過ごしてしまったので自分は才能がない⋯⋯
と嘆くことはありません。
幸いなことに、すべての人は素晴らしい個性と才能を必ず持ちあわせています
ただ、その存在に気づかず活用できていないだけなのです。
その才能を発揮するためには、
フィルタリングによって淘汰されてしまった回路を無理矢理に修復させる努力をするよりも、
自分が持つ強靭な回路はどのような特性かを知り、それを褒め、さらに鍛錬を重ね、
じっくり成長させることがいちばん良い方法だと私は思っています。
自分の強い回路の特性というのは、
本人にとっては普段から当たり前のことばかりなので自覚するのが難しいのですが、
他者との交流やさまざまな挑戦、多くの経験を通して独自の才能を導き出し、
大事に育ててほしいと思います。
(中略)
 また、私は大リーグで活躍しているイチロー選手が、
小学校6年生のときにを読んだことがあります。
6年生のときの彼の夢は、一流のプロ野球選手になることでした。
イチロー選手は、自分の野球に対する才能を認め、
それを伸ばすにはどうすればよいかについて、6年生のときから真剣に考えています。
そのイチロー選手の才能を最大限に伸ばすよう指導した人は、
イチロー選手の父、チチローと呼ばれている鈴木宣之さんです。鈴木さんは
子どもが夢を見つける最初のきっかけは、親が与えるものだと思っています
と語っています。
「もし一朗がサッカーをやりたいと言っていたら、
私も一緒にボールを蹴っていたかもしれません」
 イチロー選手が、野球選手としてこんなに成功したのは、
早くから自分が持つ強靭な回路を自分自身で見つけ、
親がそれを後押しした結果だと私は思っています。
 
 
第3章 腸を可愛がれば、脳はよくなる
 
 「良い子」に育てるのは「悪いこと」
 
(前略)
 両親が社会的に立派で子どもが「いつも良い子でいなさい」
という態度で接していると、大人が想像する以上のストレスが子どもにかかり、
精神的な行き場がなくなってしまいます。
その気持ちをうまく発散できないまま成長し、
ある日突然キレて大事件を起こしてしまうのです。
 ではこのような子どもにしないようにするためには、
親としてどうしたらいいのでしょうか。
 一つは両親ともに立派すぎないことです。
お父さんがどこか抜けていたり、
お母さんが小さいことにはこだわらずおおらかに子どもに接したりするほうがいいのです。
 また世の中にはきれいなものばかりでないことを、
小さいうちから伝えておくといいでしょう。
昔話や童話の多くは、本当は残酷物語です。
世間には悪い人がいること、悪い面もあることをきちんと伝えています。
子どもたちは小さいうちから世の中の怖さを知りながら、
そんな目にあわないように自覚して成長していくのです。
 しかし今の社会は子どもを悪いことから遠ざけ、
まるで無菌状態で育てようとしているのではないでしょうか。
現代の文明社会で立派な子どもを育てるためには、
精神的に弱い「良い子」ではなく、
心の免疫力のある「たくましい子」に育てることが大切なのです。
免疫力のある子どもにするには、腸内細菌を増やすことです。
腸の環境を良好な状態にすることです。
 まず腸内細菌のエサである野菜、豆類、穀類を使った
お母さんの手作りの食品を摂らせることです。
良質の細菌をいっぱい含んだ納豆、味噌、ヨーグルトなどの発酵食品を積極的に摂らせ、
化学調味料や添加物の多く含まれる食品をなるべく食べさせないことです。
 
 
 残忍性の抑止に一役買うおとぎ話
 
(前略)
  私が研究している腸内細菌も同じで、
善玉菌と悪玉菌と呼ばれるものが絶妙なバランスをとり拮抗しながら、
私たちの健康を守ってくれています。
 腸内細菌の世界ばかりでなく、
私たち人間の精神も、善悪のバランスの上にかろうじて存在しています。
子どもの時代に善と悪と両方を持ち合わせながら成長していくのが
人間としての正常な生き方につながるのです。
 また、道元禅師は『正法眼蔵』の「諸悪莫作」の巻の中で次のように述べています。
  善悪は時なり、時は善悪にあらず
 たとえ世間一般の人のほとんどが善だという行為も、
必ずしも将来的に絶対的な善ではないということ
を知っておかなければいけないということでしょう。
 
 
 「金魚を一匹突き殺す」
 
(前略)
 私たち人間はこの地球上で
生きているものを殺すことなしに生きてはいけない存在なのです。
私たちは毎日命あるものを食べています。
子どもには、このような残酷性が私たちに自然に備わっていること
を知らさなければならないということになります。
その上で残酷なことがどのような意味を持つか、
子ども自身で判断させることが必要になるのではないでしょうか。
 北原白秋は子どもの身のうちから自然に出てくる残酷性について、
子どもの養育に当たるお母さんに知らせようとしていたのです。
 
 
 時には20歳の青年よりも60歳に青春がある
 
 「人は成熟するにつれて若くなる」
 これはヘルマン・ヘッセの言葉です。
身体は老化するのに、心はどうして若くなるのでしょうか。
私は「感性」が人の心を若くしていると思っています。
「感性」は先祖から新生児に継承され、3歳までの養育環境で目覚め、
青年期で不活化され、自己研鑽をすることで磨きをかけ、
高年齢になって完成されるのです。
その感性が人の心を若くするというわけです。
 人間だけが幼形成熟をする動物であるということはすでに述べました。
つまり人間だけが感性を研ぎ澄ますことに努めれば、大人になっても幼児の心のように
「無心の驚き」「好奇心」「遊び心」「偏見のなさ」
などを持ち続けることができるということなのです。
 生後3歳までは感性の甦りのときであり、この時期に知能的な刺激が感性の前に述べました。
この時期には知能的な刺激よりも、先祖から継承され感性を育むために必要なのです。
 それでは、先祖から継承された環境とは何でしょうか。
私はその一つが腸内細菌だと思っています。
腸内細菌は私たち人類の出現以前から私たちと共進化した生き物なのです。
腸内細菌を人類の誕生前後の状態に保っていれば、感性が育まれるはずです。
 
 
第4章 食べ物は脳をだます、腸はだまされない
 
 木を見て森を見ずの脳、余計な手を加えられたくない大草原の腸
 
(前略)
 日本人の脳は「木を見て森を見ず」の状態になっているのではないでしょうか。
それに伴い、脳の指令によって腸はいらない栄養や添加物をどんどん与えられ、
草がほとんど生えない状態になりつつあります。
 本来、私たちの腸はもっと多様性に富んだ栄養を欲しているはずです。
身体にいいからといって、
一つの成分だけを精製した食品ばかり食べても、腸は喜ばないのです。
ピュアなものほど身体に悪い」と私は思っています。
また、粗食がいいからといって、炭水化物や悪い油ばかり食べることも腸は喜びません。
 人類発生当初に私たちが食べていたような、
まるごと地球をいただくような食事が理想的です。
そうすると、腸内は青々とした緑の大草原のようになって正しい食物連鎖となり、
健康的な命のサイクルが回り始めるのです。
 
 
 
はいはい、○○食べたらいいんでしょ
 
的なものが知りたくて
 
読ませて頂いている訳ではないので、
 
そういった意味でも
 
とてもためになります(笑)。
 
 
 

 

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