これが物理学だ! ウォルター・ルーウィン | N field golf(エヌ フィールド ゴルフ)ブログ

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これが物理学だ!

マサチューセッツ工科大学「感動」講義

著者 ウォルター・ルーウィン

訳者 東江一紀

発行所 株式会社文藝春秋

2013年10月15日第一刷

 

 

猪名川町立図書館でお借りして、

 

第9講 エネルギー保存の法則

 

だけ読ませて頂きました(笑)。

 

 

 

第9講 エネルギー保存の法則

 

振り子に付けた一五キロの鉄球は、反対側のガラスを粉々に砕く。

その同じ鉄球を今度はわたしが標的になって離してみる。

向こうに振り切った鉄球は、ものすごいスピードで

わたしの顎めがけて駆け上がってくる。

なぜその鉄球はわたしの顎を砕かないか?

 

 

 この数十年にわたしが手がけてきた中で最も人気を博している授業のひとつは、

命の危険を冒して、建物解体用鉄球が通る軌道上にわたしの頭を置く実演だ――

いや、正確に言うなら建物解体用鉄球のミニチュア版だが、

かなりの殺傷力があることに変わりはない。解体業者が使う鉄球は、

一トンほどもある球形の鍵というか巨大な鉄の玉だが、わたしが使う鉄球の重さは一五キロだ。

わたしは教壇の端に立って頭を壁につけ、両手で錘を持って顎の下に当てる。

どんな些細な力であれ、押したり突いたりしないよう、細心の注意を払わなくてはならない。

しでも力を加えたら、わたしは間違いなくけがをするだろう。

へたをすると、命を落とすかもしれない。気が散らないよう、学生たちには、

音をたてないでくれと、ときには、少しのあいだ息を止めてくれと頼んでいる――

さもないと、これがわたしの最後の講義になるかもしれないからだ。

 正直な話、この実演を行なうときはいつもだが、鉄球がこちらに向かって戻ってくるとき、

アドレナリンが体内を駆けめぐる。物理の力が救ってくれると確信しながらも、顎すれすれま

で鉄球が上がってくると、じっと立っているのがいつも不安になる。本能的に、わたしは歯を

食いしぼる。じつを言えば、目も閉じてしまう!

なぜ、とあなたは尋ねるかもしれない――

なぜ、そこまでしてこの実演をやろうとするのか、と。

それは、物理学のあらゆる学識の中で、

最も重要な概念のひとつであるエネルギー保存の法則に、絶大な信頼を置いているからだ。

わたしたちの世界のめざましい特質のひとつとして、

ある形のエネルギーが別の形へ、そしてまた別の形へ、さらにまた別の形へ変わり、

ときには巡り巡って元の形へ戻るという理がある。

エネルギーは変移するが、失われることも得られることもけっしてない。

事実、この変移は絶えず起こっている。

あらゆる文明――わたしたちの文明だけでなく、技術が未発達の文明も含めて――は、

多様なありかたでこの過程に依存している。最も著しいのは、食とわたしたちとの関係だ。

食物の化学エネルギーは、ほとんどが炭素に蓄えられ、

アデノシン三燐酸(ATP)と呼ばれる化合物に変換される。

そして、このATPに蓄えられるエネルギーを使って、

わたしたちの細胞がさまざまな種類の働きをするのだ。

キャンプファイアでたきぎを燃やすときにも、これが起こる。

つまり、木や炭に蓄えられた化学エネルギー(炭素はそれぞれに酸素と結びつく)

が熱と炭酸ガスに変わるわけだ。

弓から放たれた矢が空中を飛ぶのも、同じ理によるものだ。

弦を引いたときに、位置エネルギー運動エネルギーに変わり、矢を前方に飛ばす。

銃においては、火薬の化学エネルギーが運動エネルギーに変換され、

ガスを急速に膨張させて、銃身から弾丸を押し出す。

自転車をこぐとき、ペダルを押すエネルギーは、朝食や昼食の化学エネルギーに端を発し、

体がそれを違う形の化学エネルギー(ATP)に変換する。

次いで、筋肉が化学エネルギーの一部を、

筋肉を縮めたり伸ばしたりする機械エネルギーに変換し、ペダルを押すことを可能にする。

車のバッテリーに蓄えられた化学エネルギーは、

イグニション・キーを回せば、電気エネルギーに変換される。

シリンダーに送られたある程度の電気エネルギーが、ガソリン混合気に火をつけ、

ガソリンが燃えることで放出された化学エネルギーを放出する。

そのエネルギーが今度は熱に変換され、シリンダー内のガス圧を大きくし、

順繰りにピストンを押す。これらがクランク軸を回転させ、

その伝動装置がエネルギーを車輪に送り、車輪を回転させる。

わたしたちが車を動かすことができるのは、この驚くべき過程を通して、

ガソリンの化学エネルギーが役割を果たしているからだ。

ハイブリッド・カーの場合は、この過程を部分的に逆にたどる。

車の運動エネルギーの一部が――ブレーキを踏むと――

バッテリーに蓄えられた電気エネルギーに変換され、電気モーターを動かすのだ。

重油火力溶鉱炉では、重油の化学エネルギーが熱に変換され、それが加熱装置内の水の温度を上げ、

次には、ポンプがラジエーターを通して水を押し出す。

ネオンサインは、電荷の運動エネルギーがネオン・ガスの管を通り抜けて、

可視光線に変換される。応用例はざっと見渡しても果てしない。

原子炉では、ウラン核やプルトニウム核に蓄えられる核エネルギーが熱に変換され、

それが水を水蒸気に変え、水蒸気がタービンを動かして、電気が発生する。

化石燃料――石油やガソリンだけでなく、石炭や天然ガスも――に蓄えられた化学エネルギーは熱に変換され、

発電所の場合なら、最終的に電気エネルギーに変換される。

 

 

エネルギーは変換される

 

エネルギー変換の不思議は、電池を作ることでたやすく目撃できる。電池にはじつに多くの

種類がある。従来型の車やハイブリッド・カーのバッテリーから、

コンピューターの無線マウスや携帯電話を作動させる電池まで。

意外化かもしれないが、馬鈴薯(じゃがいま)、一セント銅貨、亜鉛メッキの釘、銅線二本

(それぞれ、両端を一センチほど削り絶縁した一五センチほどの長さのもの)があれば、

誰でも電池が作れる。釘の先場を馬鈴暮のかなり奥深くまで刺し、反対側に切り込みを入れて、

そこに一セント銅貨を差し込む。一本の銅線の片端を釘に留め(あるいは、釘の頭に巻きつけ)、

もう一本の銅線の端を、銅貨の上に置くか、切れ込みに押し込むかして、銅貨に接触させる。

二本の銅線の反対側の端をクリスマス・ツリーの豆電球の導線につないでみよう。

ほのかに光が明滅するはずだ。おめでとう!

こういうからくりはYouTubeで何十となく見ることができる。試してみるといい。

 言うまでもなく、エネルギーの変換はわたしたちの身の周りで絶えず起こっていて、

なかには他と比べて顕著な変換も存在する。

きわめて反直観的な例として、重力位置エネルギーと呼ばれるものがある。

わたしたちは概して、静止物にエネルギーがあるとは考えないが、実際にはあるのだ。

かなり大きく働く場合もある。重力は常に物体を地球の中心へ引っ張ろうとするので、

どんな物体であれ、ある高さから落とせば速度を増す。

その際、重力位置エネルギーを失うが、運動エネルギーを得る――

エネルギーは失われず、また創り出されもしない。

これはゼロサム・ゲームなのだ! 質量の物体が垂直方向に落下すれば、

その位置エネルギーはngh(gは重力加速度で、約九・八メートル毎秒毎秒)に相当するぶん減少するが、

運動エネルギーは同じ値だけ増加する。

その物体を垂直方向に上へh動かせば、重力位置エネルギーがmghのぶんだけ増加するので、

人はそのエネルギーを生み出さなくてはならない(つまり、仕事をしなくてはならない)。

 一キログラムの質量の本が床上二メートルの本棚にあるとしよう。

それが落下すれば、その重力位置エネルギーは一×九・八×二=一九・六ジュール減少するが、

本が床に触れた瞬間の運動エネルギーは一九・六ジュールとなる。

 重力位置(ポテンシャル)エネルギーとは、よくも付けられた名前だと感心する。

こう考えてみよう。わたしが床から床から本を拾い上げて本棚に置けば、

その仕事に一九・六ジュールのエネルギーが投じられる。

このエネルギーは失われたのだろうか? そんなことはない! 

 本は床から二メートルの高さにあるのだから、そのエネルギーを運動エネルギーの形でわたしに返す

潜在力(ポテンシャル)”を有している――翌日であろうと、翌年であろうと、

わたしがそれを床に落とすそのときに! 本の位置が高くなるに従って、

"潜在的(ポテンシャル)に"有効なエネルギーの量は増すが、もちろん、

わたしはその高さのぶんだけエネルギーを余計に生み出さなければならない。

 同様に、矢を放ちたければ、あなたは弓の弦を引くだろうが、

それにもエネルギーが要る。その弓に蓄えられたエネルギーは“潜在的”に有効であり、

あなたが選んだ瞬間に、位置(ポテンシャル)エネルギー運動エネルギーに変換され、

矢に速度を与えるのだ。

 

 

なぜ鉄球はわたしの顎を砕かないか

 

 さて、ここに単純な方程式がある。これを使って、とてもすばらしいものをお見せしよう。

ほんの少し数学の話を我慢してくれれば、ガリレオの最も有名な(非)実験がなぜうまく働くかがわかるだろう。

思い出してほしいのだが、ガリレオは異なる質量(従って異なる重量)のボールをピサの斜塔から落として、

落下時間が質量の大きさとは無関係であることを示したとかれていた。それを引き継いだのが、

動く物体の運動エネルギー(KE)は物体の質量と速度の二乗の両方に比例する

というニュートンの運動の法則だ。方程式で表わすと、KE=½mv²。

物体の重力位置エネルギーの変化が運動エネルギーに変換されるのだから、

mghは、½mv²に等しい。よって、方程式はmgh=½mv²が成り立つ。

両辺をmで割れば、mは完全に消え、gh=½v²となる。

次に、分数を消すために、両辺に2を掛けると、2gh=v²すなわち、

ガリレオが実験していた速度vは、2ghの平方根に等しい。

さあて、質量が完全に方程式から消えていることに注目! 

 文字どおり、mは因子とはならず、速度が質量に影響されることはない。

具体的な例を示そう。仮に一〇〇メートルの高さから(任意の質量の)岩をおとしたとする。

空気抵抗を無視すれば、毎秒約四五メートル、すなわち毎時約一六〇キロの速さで地面に衝突する。

 では、(任意の質量の)岩を数十万キロの上空から地面に落とすところを想像しよう。

地球の大気圏には、どれほどの速度で突入するだろう? 

残念ながら、速度を2ghの平方根とする右記の簡単な方程式は使えない。

重力加速度は地球への距離に大きく依存しているからだ。

月ぐらいの距離(約三八万四四〇〇キロメートル)から地球への重力加速度は、

地球の表面近くに比べると三六〇〇分の一しかない。

数式を見せられないので、信じてもらうしかないが、

なんと時速四万キロほどでその岩は大気圏に突入する!

天文学上、重力位置エネルギーがいかに重要であるか、あなたにももう理解できるだろう。

第13講でも論じるが、物質が遠く離れたところから中性子星に落ちれば、

秒速およそ一五万キロで衝突する。そう、秒速だ!

質量たったーキログラムの岩であったとしても、

衝突時の運動エネルギーは約一京三〇〇〇兆(13X100¹⁵)ジュールとなり、

おおよそ大規模(1〇〇〇メガワット級)発電所が半年で産出するエネルギー量に匹敵する。

 異なる種類のエネルギーが相互に変換され、

ふたたび元に戻ることがあるという事実はじゅうぶん注目に値するが、

もっと劇的なのは、エネルギーの純損失が絶対に生じないという点だろう。

絶対にだ。すばらしい。

建物解体用の鉄球がけっしてわたしの命を奪わなかったのも、この理由による。

 垂直距離hの高さにある顎の真下まで、一五キログラムの鉄球を持ち上げるとき、

わたしは鉄球の重力位置エネルギーをmgh増加させる。

手を放すと、鉄球は重力による振動を開始し、mghは運動エネルギーに変換される。

ここで言うhとは、わたしの顎から、ひもの端に結んだ錘の最低位置までの距離だ。

鉄球が軌道の最低点に達すると、その運動エネルギーはmghになる。

鉄球が弧を描き終わり、振動の上限まで来ると、

運動エネルギーはふたたび位置エネルギーとなる――従って、

振動のまさに最高点で、鉄球が一瞬止まる。

運動エネルギーが尽きれば、動きはなくなるからだ。

しかし、それはほんの一瞬で、すぐに鉄球は反対向きの振動を始め、

位置エネルギーがまたもや運動エネルギーに変換される。

この運動エネルギーと位置エネルギーの和を、力学的エネルギーと呼ぶ

摩擦(この場合は、錘にかかる空気抵抗)を無視すれば、

力学的エネルギーの総量は変わらない――保存されるのだ

 つまるところ、鉄球は放たれた点より高く上がることはない――

軌道のどこかで余分なエネルギーが加えられないかぎりは。

空気抵抗はわたしの安全クッションだ。

振り子の力学的エネルギーのごい少量が空気抵抗に吸収され、熱に変換される。

その結果、錘はわたしの顎のわずか三ミリ手前で止まる。

このようすは、〈物理八・〇一第一一講〉のビデオでご覧いただける(この本の帯の写真にもある)。

妻のスーザンはこの実演を三回見ているが、毎回、体が震えるという。

何度も練習するのかと、ときじき尋ねられるが、わたしはいのも真実の答えを返す――

練習する必要などありませんよ。エネルギー保存の法則を信じていますからね。

ええ、一〇〇パーセント。

 しかし、鉄球を放すとき、ほんの少しでも力を加えるようなこと――

例えば、うっかり、咳をして、思わず鉄球を押してしまうとか――をしたら、

錘は放した位置よりやや高い点まで戻り、わたしの顎を砕くにちがいない。

 

*自分でこの方程式を使うときは、gには九・八を当てはめ、

hの単位はメートルに、従ってvはメートル毎秒にすること。

hが(床上)一・五メートルなら、物体は秒速約五・四メートル、

つまり時速約二〇キロメートルで床にぶつかることになる。

 

 

エクササイズをエネルギー消費から考える

 

生命作用の基本に関わるジュールの量を考察すれば、文明維持に貢献するエネルギー変換の

べき偉業を正しく認識できるようになるだろう。

例えば、人間の体が一日に約一〇〇〇万ジュールの体熱を発生させていることを考えてみよう。

病的な発熱の場合を除けば、人間の体はおよそ三七度の体温で機能し、

赤外線の形で、平均、毎秒約一〇〇ジュールの割合で熱を放っている。

ざっと見積もって、一日約一〇〇〇万ジュールだ。

しかしながら、この熱は気温と体の大きさによって決まる。

体格が大きければ、毎秒当たりのエネルギー量も多くなる。

この熱と、白熱電球から放射されるエネルギーを比べてみよう。

一ワットは、一秒当たり一ジュールの消費に等しいので、

一秒当たり一〇〇ジュールは一〇〇ワットに相当し、平均すると、

人間は一〇〇ワットの白熱電球と同程度の放熱をしていることになる。

人が白熱電球ほど熱く感じないのは、はるかに広い表面積に熱が分配されているからだ。

電気毛布の発熱量がたった五〇ワットしかないことを思えば、

冬に、電気毛布を使うより誰かといっしよに寝るほうがずっと心地よい理由も、

得心が行くだろう。とっくにわかっていたかもしれないが。

 

 三階上にあるオフィスまで、エレベーターを使わずに階段をのぼると想定しよう。

階段を使うのは健康的な心がけだと思っている人が多いが、算術的に検証してみるといい。

三階ぶんの高さを一〇メートルとして、一日に三回、そこを歩いてのぼるものとする。

わたしはあなたの風貌を知らないので、仮にあなたの体重を約七〇キロとしよう。

一日に三回、その階段を上がるのに、どれほどのエネルギーが必要だろうか? 

もっと心がけをよくして、一日五回ならどうだろう?

三階ぶんを一日に五回――健康のための大決心だ。

あなたが生み出すべきエネルギーはで、は一階から四階までの高さ。

七〇キログラム(日)と一〇メートル毎秒毎秒(g)と一〇メートル(h)を掛け合わせ、

一日五回だから、さらに五を掛けると、答えは―三万五〇〇〇ジュール。

この数値と、あなたの体が毎日放出する一〇〇〇万ジュールを比較してみよう。

たった三万五〇〇〇ジュールのために、食べる量を少し増やさなくてはならないと思うだろうか?

ばかばかしい。全散出量のわずか〇・三五パーセントにすぎないのだ。

それなのに、セールス業者は相変わらず、荒唐無稽な宣伝文句でカロリー燃焼器具の売り込みを仕掛けてくる。

けさも、わたしは高級ダイエット商品を特集した通信販売カタログ誌を開き、

「普通の日常生活を送りながら、余分なカロリーの燃焼」を図る,加重装具"の広告を見つけ

たばかりだ。腕や脚が重くなる感覚を楽しめる人もいるかもしれない(わたしは遠慮する)し、

1着ければ筋肉は強くなるだろうが、この種の拷問で体重が大幅に減ることはうがいい。

 賢明な読者なら気づくはずだが、階段を一日五回のぼるのだから、

当然ながら同じ回数だけ下りなくてはならない。

下りるときには、その三万五〇〇〇ジュールは、筋肉や靴や床に、熱の形となって放出される。

もしその高さを一気に跳び下りたら、

のぼりで積み上げた重力位置エネルギーのすべてが運動エネルギーに変換され――

おそらく骨の一本や二本は折ることになるだろう。

というわけで、四階まで歩いてのぼるのに三万五〇〇〇ジュールを必要とする一方で、

下りるときにそれを利用可能な形で取り戻すすべはない。

ただし、あなたの運動エネルギーを取り込み、

それを例えば電気に変換するような優れものの装置を考え出せれば話はべつで、

それこそがまさにハイブリッド・カーの原理なのだ。

 違う角度から見てみよう。あなたが階段のぼりを実行する時間帯の枠を、

一日一〇時間に広げてみる。

例えば、午前中に一、二回、午後に二回、最後は夕方に、という感じだ。

この一〇時間、すなわち三万六〇〇〇秒間に、あなたが放出するエネルギーは約三万五〇〇〇ジュール。

これは、率直に言って、話にならないほど少ない――平均約一ワットだ。

これを、あなたの体が通常発する毎秒約一〇〇ジュール、

すなわち一〇〇ワットというエネルギー量と比べてみるといい。

おわかりだろうが、階段のぼりによって燃焼されるエネルギーは、ほんとうに微々たるものだ。

あなたのウエストサイズにはなんの変化も起こらないだろう。

 しかし、階段のかわりに標高一五〇〇メートル級の山に登るとしたらどうだろ?

その場合、通常の放出量に加えて、余分に一〇〇万ジュールのエネルギーを生み出し、

使わなくてはならない。一〇〇万となると、一〇〇〇万と比べて微々たるものとは言えないだろう。

山に登ったあと、あなたは当然ながら空腹感を覚え、ふだん以上の食べ物を心から欲する状態になる。

四時間かけて山に登るとすれば、あなたの仕事率(一秒当たりのジュール値)はかなり高く、

平均七〇ワットほどに達する。あなたの体は脳に切々たるメッセージを送る――

「もっと食べさせてくれ」

 通常の一〇〇〇万ジュールより一〇パーセント多く使ったのだから、

いつもより一〇パーセント(つまり二四〇キロカロリー)多く食べればいいのだと、

あなたは考えるかもしれない。

一〇〇〇万の一〇パーセントにすぎないことは、明々白々ではないか。

しかし、たぶん直観的におわかりのように、真相はだいぶ違う。

人間の体の食物―エネルギー変換システムは――物理学的に――あまり効率的ではないので、

現実には、いつもよりかなり多く食べなくてはならないのだ。

平均的な人間の変換効率は、最大で四〇パーセント――つまり、

わたしたちは摂取カロリーのせいぜい四〇パーセントしか有用なエネルギーに変換できない。

残りは熱として失われる。というより、どこかよそへ行って、エネルギーとして保存される。

結論として、山登りの習慣を支える一〇〇万ジュールのエネルギーを余分に生み出すためには、

いつもより六〇〇キロカロリー多く食べなくてはならないということになる。

ほぼ一日に一食、付け足すようなものだ。

 

 

核融合ができれば最適の手段になる

 

そう、だいじな対策としてひとつ挙げられるのが、

自分たちが毎日どれくらいのエネルギーを使っているのかをもっと意識して、

より少なく使うようにすることだ。

わたし自身のエネルギー消費量はきわめて控えめだとは思うが、

なにしろアメリカの住人なので、世界の平均消費量の四倍か五倍は使っているに違いない。

わたしは電気を使い、自宅の暖房や給湯にガスを用い、ガスで調理する。

車を使うので、たいした量ではないがガソリンを消費する。

わたしのあらゆる消費エネルギーを合計すると、

(二〇〇九年には)平均で一日約一億ジュール(三〇キロワット時)を消費し、

そのうち約半分が電気エネルギーだった。

これはわたしのために約二〇〇人の奴隷を一日一二時間、

牛馬のごとく働かせる場合のエネルギー量に等しい。

よくよく考えてみよう。古代なら、こんな暮らしをするのは最富裕層の王族だけだった。

わたしたちはなんとぜいたくな、信じがたい時代に生きていることか。

二〇〇人もの奴隷が毎日毎日、一日一二時間も休むことなくわたしのために働くのは、

ただひとえにわたしが今のような暮らしをするためなのだ。

わたしが一キロワット時の電気、すなわち三六〇万ジュールに対して払うのは、

たったの二五セント。

だから、二〇〇人の奴隷の全エネルギー量への対価は月平均約二二五ドル

(ガスやガソリンの単価も電気と大差ないので、計算に含めた)、

つまり、奴隷ひとり当たりなんと月約一ドルだ。

だから、意識改革は絶対に必要だろう。

ただし、それだけではある程度の改善しか見込めない。

 

 

 

 

 

 

 

重力位置(ポテンシャル)エネルギー

 

を信じて

 

スイングしたいものですね。

 

 

 

少しずつ、

 

腸のお勉強をしていますが、

 

待望の

 

脳はバカ、腸はかしこい

 

 

を猪名川町立図書館でお借りして

 

読み始めましたが、

 

少子化やセックスレスの問題

 

について

 

いろいろな切り口で語られています。

 

 

 

人との関りは、

 

何かとわずらわしいもの

 

ですが、

 

若い人には、

 

人の温かさ(温もり)

 

柔らかさ


優しさ

 

を感じて

 

生きてほしいな

 

と思います。

 

 

 

 

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