愛とためらいの哲学 岸見一郎 / 愛の哲学 柴門ふみ | N field golf(エヌ フィールド ゴルフ)ブログ

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猪名川町・三田・川西・宝塚・西宮のゴルフレッスン

PHP新書

2018年3月1日

 

 

猪名川町立図書館にて貸出して頂き、

 

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その後、メルカリにて500円で購入しました。

 

 

 

「自分に価値があると思える時にだけ勇気を持てる」(Adler speaks)

 

人に強制できないことが二つあります。

尊敬とです。

 

フロムは、次のようにいっています。

「もしある女性が花を好きだといっても、

彼女が花に水をやることを忘れるのを見てしまったら、

私たちは花にたいする彼女の『』を信じることはできないだろう。

とは、する者の生命と成長を積極的に気にかけることである。

この積極的な配慮のないところにはない」

(『愛するということ』)

 

アドラーは、甘やかす、あるいは、甘やかされることの問題

をしばしば取り上げますが、

「われわれの文明では、社会も家族も、

甘やかされるというプロセスを無限に続けることを望まない」

「われわれの文明においては、一人の人間が、

何らかの貢献をすることなく、常に注目の中心でいることは、

適切なことではないと考えられているからである」

といっています(『個人心理学講義』)。

 

「哲学(philosophia)」の語源は知、

「知(sophia)」を「する(philo)」のことです。

その意味で、哲学の本質はだといえます。

 

インドの宗教哲学者、ジッドゥ・クリシュナムルティはこんなことをいっています。

「誰かを大いにしている時、そのから他の人を排除するのでしょうか」

(『子供たちとの対話』)

クリシュナムルティもフロムと同じように、誰かをする時に、

他の人を排斥する必要はないといいたいのです。

プラトンはソクラテスに、

酒をする人たちはあらゆる酒をあらゆる口実で歓迎する

と語らせています(『国家』)。

銘柄にこだわる人は、その銘柄の酒を好きなだけで、

本当の酒好きとはいえないということでしょう。

猫好きであるという哲学者の佐近司祥子は、

このソクラテスの言葉を受けて、

猫が好きなら汚れている野良猫も、

ふわふわのペルシア猫も、どんな猫もかわいい

といっています(『本当に生きるための哲学』)。

本当に猫が好きな人であれば頷けるでしょう。

この伝でいえば、

「あの人は嫌いだけど、あなたは好き」という人は

本当には人をしているとはいえないことになります。

 

は「流れ」である

フロムは西洋の言語において、

動詞よりも名詞が使われるようになったことの一つの例として、

」という名詞は、するという活動を抽象したものにすぎないのに、

人間から切り離されて実体化されてしまったと指摘しています

(『生きるということ』)。

する」という行為があるだけなのに、

それとは別に「」というものがあるかのように考えることが問題なのです。

活動や過程を「持つ」ことはできません。ただ経験されるだけです。

ですから、は持つことはできず、経験されるだけです。

その経験は、いわば不断に流れるものであり、刻々に変化します。

は持つことができませんから、一度誰かをしたからといって、

それで終わりにはなりません。

つまり、はそのまま保たれるわけではないということです。

が経験である以上、には更新していく努力が不可欠になります。

しかし、その努力は、相手とよい関係を築くことを目標とするのですから、

決して苦痛ではないはずです。

むしろ、それは喜びとしての努力です。

このようには活動であり過程ですから「持つ」ことはできません。

それなのにが、何か人が「持つ」ものであると見なされるようになった時、

人はされようとする努力も、相手をそうとする努力もしなくなります。

 

「持つ」ことと「ある」こと

フロムは、人間が生きている上での二つの基本的な存在の仕方、

即ち、「持つ」ことと「ある」ことを区別しています。

 

「持つことにおいては、持っているものは使うことで減るが、

あることは実践によって増加する」(op.cit.)

 

燃えてもなくならない「燃える柴」は、…

(『出エジプト記』)。

は典型的な「ある」ことです。

 

永遠とは「今ここ」に生きることである

 

すること、喜び、真理を把握することの経験は

時間の中で起こるのではなく、今ここで起こる。

今ここは永遠である。即ち、無時間性である」

(Fromm,Haben oder Sein)

 

の経験はダンスをする時の喜びに似ています。

いつまでもダンスを続けることはできません。

音楽が止んだ時、ダンスは終わります。

しかし、ダンスをしているまさにその時には、

このダンスはいつまで続くかということが意識に昇ることはありません。

アリストテレスは、ダンスのような動きのことを

エネルゲイア」(現実活動態)

と呼んでいます(『形而上学』)。

これに対して「キーネーシス」と呼ばれる動きがあります。

この動きには始点と終点があって、終点に着くまでの動きは、

まだ終点に達していないという意味で未完成で不完全です。

他方、エネルゲイアにおいては「なしつつある」ことが、

そのまま「なしてしまった」ことです。

ダンスのようなエネルゲイアとしての動きは、

どこかに到達しなくても、瞬間瞬間が常に完全なのです

生きるということも、エネルゲイアです。

 

の経験もエネルゲイアです。

 

に限らず、対人関係全般が

本当はギブ・アンド・テイクではないのです。

 

大切なのは、

「自分は一人でも生きられる。

それでも二人でいた方が、

同じ経験を共有する喜びを持つことができる」

と考えることです。

 

本当のを知っている人は、相手に見返りを求めません。

 

誰かをし始めると、人生の主語が

「私」から「私たち」に変わるのです。

本当のを知った人は、

「私」だけが生きていても意味がないと思うようになります。

自分がする人がいてこそ、はじめて生きる価値がある

と思うようになるのです。

 

は、共鳴(レゾナンス)し合い、

お互いの心で感じあえる関係において初めて成立するのです。

 

相手に縛られず自由であると感じられる時、

そのように感じることを許してくれた人のを強く感じます。

は自由を求めるのです。

 

「態度が『与える』というものである時だけ成功するのが、

と結婚の不変の法則のように見える」

(『人はなぜ神経症になるのか』)

する人はを失うことを恐れないといわれています。

を失うことを怖れて、相手の気にいることばかりいったり、

したりすることはではありません。

相手が間違っている時にはそれを正さなければなりません。

 

は能力です。そして勇気です

あなたがここまで見たようなの本質を知り、

それを実現する勇気を持つことができれば、

はきっと幸福をもたらすことになるでしょう。

 

相手に不断の関心を持っていることが、

を維持するための条件だということです。

 

自信を持つというのは、三木清の言葉を使うならば、

「自分を個性として理解すること」です。

さらに三木は続けて「個性的な人間ほど嫉妬的ではない」

といっています(『人生論ノート』)。

 

相手が他の誰にも代えることができない

自分の「個性」をしていると思えれば、

嫉妬などしないですみますし、

自信を持って接すれば、

相手が他の人に気持ちを移すことはないでしょう。

 

自信を持つためには、自分の個性をまず自分が認め、

それを受け入れることが出発点です。

 

集中するとは、いまここで、

全身で現在を生きることである

(『愛するということ』)

フロムは、「いうまでもなく、

いちばん集中力を身につけなければならないのは、

しあっている者たちだ」(前掲書)といいます。

一緒にいられるのに、

他の人や事に関心を奪われていては、

集中しているとはいえません。

この集中力は、一人でいる時にも必要です。

「集中できるということは、一人きりでいられるということであり、

一人でいられるようになることは、

することができるようになるための一つの必須条件である」

(前掲書)

 

一人で過ごすことができる、一人でいても不安にならない。

そんな人だけが、二人でいる時間を楽しむことができるのです。

一人でいる時でも集中できる人であれば、二人でいる時にも、

一人でいる時のように、『今ここ』に集中できるからです。

 

いつまでも過去に執着する人にはにわかに信じがたいかもしれませんが、

過ぎ去ったあれやこれやの出来事を忘れることができれば、あるいは、

忘れることができる時にだけ、「今ここ」に集中することができるのです

もちろん、「今ここ」を生きるといっても、共に過ごし経験したことの記憶が、

指の間から次々とこぼれ落ちていくというわけではありません。

むしろ、本当に一刻一刻の「今ここ」を集中して過ごすことができていれば、

その日の最初から別れる時までに二人で話したことを、

もしその気になれば、すべて思い出せるはずです。

それが可能なのは、共に過ごした時間が「生きられる時間」であり、

喜びを伴ったものだからです。

 

フロムは尊敬とは

「人間のありのままの姿を見て、

その人が唯一無二の存在であることを知る能力のことである」

といっています(『愛するということ』)。

相手を重んじる理由がある時に重んじるのが尊敬ではありません。

人をする時に、理由はいりません。

 

さらにフロムは、尊敬とは

する人が、私のためにではなく、

その人自身のために、その人なりのやり方で、

成長していってほしいと願う」ことである

ともいっています。

 

対人関係においては、

信じる根拠がある時にだけ信じるのではなく、

無条件で信じる、あるいは、

信じる根拠がない時にこそ信じることが必要です。

 

信頼するという時、相手は何を信じるのでしょうか。

一つは、相手には課題解決能力があると信じるということです。

 

もう一つは、相手の言動にはよい意図があると信じることです。

 

二人の関係がよいといえるためには、

相手を尊敬し、信頼することが必要であることを見ました。

三つ目は、協力することです。

 

私たちはの経験を通じて何を学ぶのでしょうか。

それは、人は一人では生きられず、

他者との繋がりの中で生きているということです。

それを知った時、する二人は「私」ではなく

「私たち」の人生を生き始めることになるのです。

そのような人生を生き始めれば、

たとえ相手がいなくなるようなことがあっても、

たとえ、死が二人を分かつことがあってもです。

ですから、今はする人がいるのであれば、

先のことを思って不安にならず、

日々のよい関係を築く努力をしましょう。

そのような努力をすることが、生きる喜びになるのですから。

 

 

 

メディアファクトリー

(株)KADOKAWA

2015年3月27日

 

 

「普遍」

「いつ、いかなるときにも通用する真理」

自然科学で言うところの「自然法則」

 

疑う→事実を認識する→自分で結論を出す

これが、私の考えた「哲学的思考」の利用法です。

 

カント 定言命法

「つべこべいわずに、とにかく従いなさい」

という絶対的命令のことです。

「いついかなる時もその行為が普遍的法則となっても通用するような、

そんな行動だけをしましょう」

「ひょっとしたら、この行為を私は将来後悔するかもしれない。

そういうことは人としてやるべきではない」

 

哲学を学ぶと

① 役に立つ

② お得だ

③ 日常の「ヒント」

 

「人格を手段としてのみ扱うのではなく、

目的として扱うべきである」

 

ライプニッツ 微積分

世界を構成するものは無限の小さな「モナド」である

 

「視点を変える」、それは、

「相手の立場に立って考える」という、

」の基本でもあります。

 

「人は他者に配慮することなく、生きていけない」

「人は一人では生きていけない」

=「人は自分勝手に生きては、いけない」

 

哲学でいう「倫理」

これが正しいとするのではなく、

正しいことが何なのか追求する方法論であります。

つまり、「理屈抜きの正しいこと」はあり得ません。

 

「常識を疑う」「疑うクセ」

「哲学的思考」の第一歩

 

哲学を一言でいうと、

「物事の本質」を見抜くための方法

を教えてくれる学問

ということができるでしょう。

 

まず、「物事の本質を問う」こと。

次に「私はこう思うのだけれど、あなたは違うようだ」

という他者との相違を認めることが重要です。

 

「恐怖は常に無知から発生する」エマーソン

「自分が無知であることへの自覚こそ、

多くを知る扉」になる

「自分は知っている事より、知らない事の方が多い」

といういましめ

 

「無知を恐れるな。偽りの知識こそ恐れよ」パスカル

 

「重要なことは何を耐え忍んだか、ということではなく、

いかに耐え忍んだかということだ」セネカ

 

「ささいなことが我々の慰めになるのは、

ささいなことが我々を苦しめるからだ」パスカル

 

事実というものは存在しない

存在するのは解釈だけである」ニーチェ

 

「人は常に、自分に理解できない事柄は

なんでも否定したがるものである」パスカル

 

「ユーモアとは、相手に対する思いやりのこと」

アルフォンス・デーケン

相手に事実を楽に考えてもらうために

事実に味付けするぐらいなことで十分なのです。

相手に対する思いやりの笑いは

「意表をつくたとえ」「話し手の卑下」

を駆使することで生まれてくるのはないかと思います。

 

されることは幸福ではない。

することこそ幸福だ」

ヘルマン・ヘッセ

 

「泣くことも一種の快楽である」モンテーニュ

 

「幸福は人生の意味および目標、

人間の存在の究極的な目的であり狙いである」

アリストテレス

 

「この世で最も素晴らしく最も美しいものは、

見ることも触れることもできません。

心で感じられるだけです」

ヘレン・ケラー

 

ライプニッツ 密教の教え

「この世界に存在するものは全て神の意思の反映である。

だから、美しくないものは存在しない」

 

先達がああでもない、こうでもないと悶絶してきた記録

があるわけですから、私たちはそれを参考にして

自分で考えることが重要ですね。

人から押し付けらえたものではなく、

自分で考えるべきことが大切だと思います

羽入佐和子 哲学者 お茶の水女子大学学長

 

 

 

恋愛だけでなく

 

友愛やゴルフ愛

 

にも通じるものがあるように

 

思います。

 

 

 

ただ単に

 

ゴルフが好き

 

というのに止まらず

 

ゴルフを愛している

 

という方が、

 

たくさん増えるといいな

 

と思います。

 

 

 

当然、ゴルフは、

 

数、スコア

 

が重要で、

 

一番の関心事ですが、

 

どんなゴルフ場も

 

愛せればいいな

 

と思いますし、

 

道具

クラブを含めたゴルフ用品

 

も愛せればいいな

 

と思います。

 

 

 

ゴルフにおいても

 

エネルゲイア

 

という考え方は

 

とても大切なように思います。

 

 

 

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