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ネズラー通信編集部のブログ

ネズラー通信編集部の公式ブログです。

シャーペン。
※途中まで友人の実話。
 今も埼玉にいる。

知っていますか?
印刷の99%は日本とドイツで独占している、

言っても過言ではない。

私は印刷会社の営業マンとして、
厳しい就職氷河期の中、
大手印刷会社に就職が叶った。

私と私の妻となる恋人は、
占術や縁起の類は信じない無神論者で、
仏滅に
奈良ホテルで結婚式をした。
格安だったが、
奈良ホテルのスタッフが、
妻の名前を書き間違えてくれたので、
寝室は、
インペリアルスイートになった。

ここは皇室関係者が泊まる部屋かな?
などと想いをはせつつ、
2人の子供に恵まれた。

私たちは縁起も占術も、
あまり信じないので、
大阪で非常に家賃の安い場所に住んでいたが、
さすがに
治安に不安があったので、
大阪は高槻という場所に引っ越した。

マンションをローンで買ったとたんに、
本社が吸収合併され、
私たちは埼玉へ移住することになった。

マンションのローンは残ったまま。
売るに売れない・・・

苦しい。

私の大学は、
社会福祉学部という学部を
日本でもいち早く設置した学校だ。
私はその卒業生となる。

学位は取得しているが、
教育要領が大きく変化し、
介護士も看護師にも登録できない。

だが、

私は履歴書を福祉センターというところに
送ってみた。
初めて携帯がなり、
面接に来てくれ、という。

地図を片手に、
その福祉センターに行くと、
何故か、パチンコ屋の裏にある。



私は
よく分からないまま、
パチンコ屋の裏の薄暗い路地にある、
宝くじ売り場のような、
小さな小屋を覗いた。

高年の女性と目が合った。





「あんたかい。
 面接に来たのは?」

「ここは福祉のセンターですよね。」

「なんだい。何も知らないのかい。」
シャーペン。

わたしの家は
所謂、機能不全家族だった。
いつからだろう。
幼い頃は幸せだった。

わたしの最初の結婚も大失敗だった。
18歳で長女を出産。
DV男から逃げ、
ひたすら子供のために働いた。

今の時代、
「ガテン系女子」という言葉があるが、
わたしは
水道工として働いた。

無茶をしたものだ。
幼子を抱え、60kgのパイプを運んでいた。

時代は流れ、
再婚し、
わたしは幸せを手に入れた。

長女も孫を産み、
わたしは大家族だ。

趣味の織物の仕事も
オーダーで受けるようになり、
母業、縫製、
そして、最近、年老いた両親が気になり、
「福祉」という言葉が気になった。


福祉か、
何か世のためになるのなら、

私は履歴書を福祉センターというところに
送ってみた。
初めて携帯がなり、
面接に来てくれ、という。

地図を片手に、
その福祉センターに行くと、
何故か、パチンコ屋の裏にある。



私は
よく分からないまま、
パチンコ屋の裏の薄暗い路地にある、
宝くじ売り場のような、
小さな小屋を覗いた。

高年の女性と目が合った。





「あんたかい。
 面接に来たのは?」

「ここは福祉のセンターですよね。」

「なんだい。何も知らないのかい。」
シャーペン。

大学は国立だった。
私は中学生のときに流行った「バイテク」に
非常に興味を惹かれ、
大学は理科系に進学した。

それなりに名門校で、
多くの学会長や、
ノーベル賞受賞者を排出していた。

ただ、
卒業すると同時に
政権が変わった。
女性議員のレンポーさんが、
「日本にはスパコンはいらない」

言い切るほど、
研究者は追いやられた。

私は遺伝子解析の精度を0.03%高める論文で、
大学の最優秀賞を受賞した。
0.01%壁が難しいのだ。

だが、
履歴書を200通送ったとて、
誰も相手にされない。

プライドなんてなかった。
毎日、職業安定所に自転車で通っていた。
自分の心が折れそうで、
そして、
自宅にずっと引きこもってしまいそうだった。

ある日、
職安の担当官から、
「毎日来なくていいよ」と言われた。

辛かった。

何となしに、
福祉という言葉が世間で流行りだした。
それまでは優生保護法という名だったが、
色んなものが改名していった。

福祉か、
何か世のためになるのなら、

私は履歴書を福祉センターというところに
送ってみた。
初めて携帯がなり、
面接に来てくれ、という。

地図を片手に、
その福祉センターに行くと、
何故か、パチンコ屋の裏にある。



私は
よく分からないまま、
パチンコ屋の裏の薄暗い路地にある、
宝くじ売り場のような、
小さな小屋を覗いた。

高年の女性と目が合った。





「あんたかい。
 面接に来たのは?」

「ここは福祉のセンターですよね。」

「なんだい。何も知らないのかい。」




先週末は
神戸の相楽園へ

イシガメノ赤ちゃんを触らせてもらったり
友人の出店するハンドメイドを覗いたりして

わたしにとっては沢山歩きました
パイロットのSUPER-GP1.6㎜。




憲法が改正された。
世界中の動きだった。
それは「教育」=「躾」に関するものだった。

今までは
「子供の人権」というものが
非常に尊重されていた21世紀初頭。
急激な流れだった。

失業率の増加。
犯罪率の若年化。

それは誰しも思っていたことかもしれない。
叩かれた子供は痛いが、
叩く大人の手と心も痛いのだ。



さて、
私の住む地域に
ポイ捨てや歩きタバコをする中年がいる。

「先生、お願いします。」

私の下に指導命令が出た。


夢想家 920 ky ネズラー通信(C) 山本京嗣


私は、
大正時代に使っていた竹の棒を手に取った。
大正、昭和、平成、令和ときて、
こんなときがくるとは。


待ちなさい!
そこの87歳!

私は
灰色のジャージのケツに
竹の鞭を叩きつけた!

道端にタンをはくなんて、
オテント様は許さないよ!