先日久しぶりに高校の先輩達と

飲み会をした。



コロナや身内の不幸などもあって

リスケによるリスケで

私が参加するのはかれこれ4年ぶり。



先輩達は皆さん家も近めなので

チョイチョイ集まっているみたいだけど


私は家も遠いし、週末仕事なので

参加できる時にしか行けないのだが



今回は伸び伸びになった新年会も兼ねて

全員が参加した。



総勢6名



上は2歳から4歳差の先輩方。



現役の時はそりゃ1歳上の先輩でさえ

口答えも許されない体育会系な部活なのに


3歳、4歳上の先輩なんて

普段の会話も許されない


「神」


みたいな存在な感じだった。



しかし私はその中のコミュニティに

入り込み、30数年経った今でも

交流を続けている。



同期や後輩と接点は全くなくなったが



私はどこか先輩に可愛がられる

キャラクターなのだろうか。。






昭和から平成に代わろうとしている頃





中学3年生で肘を壊して

野球をあきらめ公立普通科に進んだはいいが



帰宅部は性に合わない気がしていて

せっかくの高校3年間、何か打ち込める事を

模索していた。



高校1年からアルバイトにどっぷり浸かっている同級生もいたが



やっぱり何か部活をやろう!と思いたち



どうせならその学校で一番強い

弓道部に入ろうかと悩んでいた。



前情報では3歳上の先輩は

個人戦で関東大会優勝や


団体でインターハイにも出ていて

黄金期を作っていた。



昔から試合での入賞率は高いらしく


とにかく強いが

かなり厳しい部だともっぱらのウワサだった。



弓道なんて珍しいし

公立では珍しく校内に道場が整備していたし


誰にでもできるスポーツではなかったので



一念発起

GWに入る前に単身、部室の門を叩いた。



激しいイジメなどはなかったが

私のミスで雨の日に矢の羽を濡らしてしまい

3年の先輩に殴られた時もあった。



何か粗相をすると2年生の部長が



「正座してろ!」



と道場の硬いフローリングで目を瞑り

2、30分は良くやらされていたなぁ。



しかし私は

簡単には音を上げない性格もあって

その1年後に部長となった。



なぜその部活が強かったのか、

有名な師範が顧問でいた訳ではないし

今となっては謎なところもあるけれど



厳しい上下関係

OBの方々の指導のおかげではないかと思う。



顧問の先生は何もできなくて

月一で様子を見に来るくらい。



毎週土曜日の午後には大学生になった

OB、OGの先輩方が来て

みっちりと指導がある。



学校が終われば近くのスポーツセンターに

行って自主練をする。



私の代もインターハイに出場したり

試合がある度に朝の朝礼で

入賞の報告をした。



しかし同級生からは


「参加者が少ねーからだろw」


なんて言われたが



都内でも参加校は

私立、公立合わせて70校以上あるので



結構な強豪校であった事は間違いない。



夏の合宿にはOBが大勢来ていたし


毎年会館を貸し切ってOB会が開かれていた。



その中のボス的なOBが飲食店を営んでいて


日曜日になれば

高校1年から時給が幾らなのかも伝えられずに

半強制的にアルバイトをさせられていた。



普段部活に来ない様な先輩とも

色々お世話になって


店が終わった後には

先輩の誰かが車を出して来て


遊びに行く事が常であった。



当時、学区では中の上くらいの高校であったが

毎日部活、週末はバイトで

成績はどんどん下がっていくのは必然であった。





続く