前回の話せる場が必要ということの続き的なものになります。


突然ですが、

オープンダイヤローグってご存知?


私は2年ほど前に本の表紙のタイトルで見かけたなーくらいでした。

なんと言うかその時期、色んな精神療法調べ過ぎて、辟易してまして、特に深く読んではいませんでした。

(私の大きな一助となった認知行動療法でさえ、

はいはい、気休め気休めと諦めの境地でした。)


しかし、ここへきて認知行動療法から道が広がりオープンダイヤローグに再び出会いました。


日本では、10年くらい前から注目され始めている

療法で、フィンランドのケロプダス病院が発祥です。患者、家族や関係者、医師、看護師などが

同等の立場としてグループで患者の話を聞いて、それぞれが考えを言うという、めちゃくちゃシンプルなものです。シンプル過ぎてなぜこれだけで治っていくのか、日本から学びに行った医師は拍子抜けして、頭をかしげるしかなかったと語っています。

十分な時間の中で患者が話したいことを話しきらせる、そして、患者が話している間、聴く側も否定もせず聴ききっていくということ。


ここには多少のルールはあれど難しい理論や技法も特になさそうなのです。



ただ、内容はシンプルであるものの、フィンランドではカウセリングしたいと要望があれば直ちにグループが組まれ、始まります。特に統合失調症の患者に効果があり、急性期には毎日でも行われるとのこと。


診療5分、しかも初診の予約はなかなか取れない、カウンセラーが常駐してるところも多くない日本ではなかなかのハードルの高さ。


やはりフィンランドだから🇫🇮叶う医療でもあります。


まず、カウンセリングを日本で受けようと思っても、即受けることは難しく、どこで?ってなりますし、臨床心理士さんへ辿り着く道筋もそんなパッと浮かびません。じゃあ、即受けれる民間になるとかなりの高額。しかも、自称心理士の方も溢れています。


でも、このオープンダイヤローグは日常生活でも気軽に落とし込めるもの。

家族や友達、知人、ちょっとした知人にでもモヤモヤをちょっと話すとか、逆に話を聞いていあげたり。

オープンダイヤローグのように、長くゆっくり聞けなくても、短い時間でもただただ、話す。ただただ聴く。

なんの解決にもならないけど、これもオープンダイヤローグ風のことです。3人以上だと尚良し。

話しをしっかり聞いて、それに対して自分の意見を言うこれができるともっとオープンダイヤローグ風になりそうです。



悩みも鮮度です。ぐーっと苦しいときに少しでも吐き出すことが出来ると、目に見えないところで無意識化で圧縮され、余白が出来てくる。

この余白こそが活力に変わるのだなーと感じます。

何日かしたら忘れてしまっているけど、心にこびりついていく何かどす黒いものに変わる前の対処なんですよね。改めてそう思います。