「わかっているは思考」 | 必要な時に必要な事を描く者

必要な時に必要な事を描く者

特にしなくても良い。
描くべき時に描くだけの内容を記していく。
それで良い。

「感じているのに」に「気づかない」場合と
「わかっている」と「思い込んでいた」
だけと
どちらも同じ感じがするが
「感覚で気づいた」は「発見や思考の取り外し」

で、下の方は「思考していて、感じてはいないか、難しく考えすぎて、本来の事が感じにくくなっている」

コンピューターよりもハイスペックな
「脳が考えるのが好きだからだ。」
勿論良いことも沢山ある。
でもその脳は、五感を通して思考をするらしい。
そして今までの経験から「似たような過去」を探しだし「新しい歩みを防ごうとする」
それは、脳が「新しい未知の経験はリスクがある」と、言わば防衛手段をとっているからだと思う。

ただ人間は同じ時間、場所にはまず留まれない。
昨日は昨日処ではなく、1秒1秒コンピューターで言ってしまえばアップデートされているんじゃないかと。

要するに今の自分に昔の「楽な自分」を
「上書き」しているのが、「脳」だ。
だから人は本当は「変わっていない」
はずは無く、「毎瞬、毎瞬変化している」

「変わりたいと思うのはとても良いことだけど変わって「何をしたいか?」」
が「大事だと」今は思考している(笑)

感覚では書くの面倒とか思いながらも
こうやって自分の思考を書くことにより
自分がくだらねぇ事に振り回されてんなと
苦笑してるが。

「変わりたいと願い続けて努力しても」
真面目な人は「変わらない」
前のブログにも書いたが、
生きてるだけで身体のカロリーは消費され
「痩せていくのに」
「痩せたい、痩せたい」と逆に言えば
「痩せたくない、まだ全然痩せてないよね身体ぁー」と「脅迫して、洗脳」しているようなもんだ。
「思考は電気信号となり身体に命令するから勿論、痩せ難く「なる」」
だって「本当の現状」を「受け入れないで」
「未来ばかり見てるから」

話を戻す。「痩せたい」を「変わりたい」に置き換えると「毎日同じ日は来ないのだから、本来人は変わっている」と
感じる。
「変わりたい=少しずつ違うのに認めない=変わりたくない」と同じだろうと
私は思う。
まぁ「感じた事→思考」に少しはなってきたと脳が思ってくれると嬉しい口笛

あと、小説新しいの書きましたが、
アップしたら最新の記事としては出ない事を初めて知りました。
今回は「第4号」です。
記事はアップされてるので良ければ探して見てください。

まぁ、「行動しながら感じて味わう」が
いちばん「人として何かに気づいていく」
感じかする。