こんばんは。約二か月ぶりの更新になります。

私、ここ二ヵ月間は怒涛の日々で、ブログの更新に割くリソースがなかった為です。記事を待って下さった方々には申し訳ない思いでございます。

ここ二か月で最大のトピックスは特定秘密保護法案が衆参両院で可決したことです。
このことで安倍政権の支持率は低下し、強権的政権運営が難しくなっていく状況になりました。

個人的スタンスを申し上げると、「今、可決しなければ次は30~50年後まで無き者にされる」という認識です。

「売国奴が反対をいているのだからこれは良い法案だ」
という言葉を聞きます。

はっきり申し上げましょう。あなた達は閉塞感に支配された国家崩壊論者、極左勢力と同じくらい日本の癌です。なぜなら法案の本質を考えることをせずにただただ感情論で考えているから。

私の認識は「これしきの法案では何も変わらない」というものです。
今までは「情報を恣意に放棄すること」ができました。
これからは「公開情報を恣意に操作できる」という状況になります。

これら二つの理念はお互い相反するものでしょうか。否、根底に流れるものは一緒です。

結論、施行されようが施行されまいが、一般庶民には「現時点では何の影響もない」ということです。

では何をすべきか、つまる所は「国家運営のグランドデザインを描き、遂行すること」なのです。
今すぐ出来ることは、「国家、マスコミが恣意的に操作をする情報」に完全恭順するか、疑問を呈しし続ける事です。

個人が人生を考える上で考えられるビジョンはせいぜい長くて3年間です。
国家で考えなければいけないビジョンの長さは最低30年。

無責任な放言に踊らされない。それが一番大切なことです。

こんにちは。4日間ほど出張のためブログの更新を出来ませんでした。ご覧いただいているかた、ごめんなさい。焼き土下座致しますm(_ _)m

さて、今日のテーマは経済学でもなんでもありません。ただの一般庶民のつぶやきです。
よく巷で目にする 「利益が確保できません ⇒ 値上げします」 のコンボ。

本当に暗愚っぷりを如何なく発揮していますよね。まあ、本当にやむを得ない場合も多々あるのですが、とかく独占・寡占・元国有企業なんかではひどい。

私の地元はバス路線がどんどん縮小していったんですね。その度に利益が上がらないので値上げしますと言っては客が減っていました。

利益を確保するために値上げしたはずなのに、結局は利用顧客数が減って、客単価は増えたが利益は変わらないという現象。よくある話です。

社会全体でみるとどうか。間違いなく不便になっているはずです

個人の利権やしがらみに取り込まれてしまうと、本当は守らなければいけない創業の理念が砂上の楼閣の如く崩れ去ってしまうのですね。

北海道電力では今年10月に一度電力値上げがされましたが、再度値上げが検討されています。表向きの理由は燃料費が高騰して適正利益が確保できないからです。

実はこの話には裏があります。今年の夏の北海道電力の電力使用量は、なんと前年よりも
平均100万kwほど使用料が減っているのです。

要するには、発電しても発電しても、家庭や企業が電気を買ってくれないから
利益確保が出来ないのです。

どこかのバス路線と同じ匂いがします。ちなみにこの100万kwとはどの程度の発電量かと言いますと、なんと北海道泊原子力発電所1、2号機の総発電量に匹敵するほどです(1号機、2号機ともに57.9万kwを発電可能)

結論、彼らが言いたいことは「今の使用量下で原子力発電再開出来たら、自分たちの給料水準を守れるんじゃない?」ということ。

せっかくなので公表致しましょう。
北海道電力 平均年収 797.5万円(H24) 社員数5674人
北海道    平均年収 435.9万円(H20)

もうね。アホかと。バカかと。地域物価というのは基本的に平均収入と相関関係があるんですよ。そう考えると、北海道電力社員は東京で言ったら多分平均年収1000万を余裕で超える価値のお金を手に入れているということです。そんな給料をもらえる仕事を果たしてしているんですかね??

http://www.nikkei.com/article/DGXNASFC3000Z_Q3A130C1L41000/
北電、過去最悪の最終赤字1440億円

まあ、とりあえず普通の企業なら平均年収は100万円ぐらい落ちたっておかしくないです。というか300万円減っても、それでも並以上の生活水準です。

5674 × 3,000,000 =  170億2200万円
人件費で削れますね!(ゲス顔)

あと、脱税対策なんかで地方におったてた無駄な建物を全部売っていただきましょうか。
1000億ぐらいはひねり出せるだろ。出せよ。

なんだか北海道電力叩きに終始した感じがありますが、
あなた方が本気で襟を正し、北海道民の気持ちを考えることを始めれば、自然と利益は回復するはずです。でも、無理だろうなぁ・・・。




教育論、始めます。ここでの教育論は個別具体なものではなく、国家という枠組みの中でどうするべきかをお話ししたいと考えています。

大学入試改革、達成度テスト二種類の創設
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20131031-OYT1T01520.htm
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013110102000118.html

5年後を目途に大学入試制度が大きく変わります。
簡単に説明すると、高校時代に複数回受験可能な「到達度テスト」を受験し、ある程度の点数帯をグループ分け、後は面接その他人物評価をする、というものです。

個人的に私は賛成の立場です。
反論材料に・・・
①高校時代何度も何度もテストをすると「勉強漬け」の毎日になり、人間的な幅の成長を阻害する。
②大学受験なんて、一発勝負が基本じゃないか。
③口先だけの学生ばかりがいい大学に行くようになる。

等々・・・。

① ⇒ 何が問題だ、という話。勉強は人格教育を否定するものなのか・・・?だとしたら教えているもの自体が「何かおかしい」のだろう。私は高校時代、何でもいいから一つの事に打ち込むことが大切だと思っている。それが、部活でも、勉強でも、両方でも、いいじゃないか。一つ言えるのは、この時代に頑張らなかった人間は、その先の人生中々頑張ることが出来ないということだ。

② ⇒ 一発勝負じゃないじゃないか。どうしても行きたい大学があれば浪人してでも行くだろう。自分は浪人をしたが、決していい物じゃないと思う。大体の人間が成績は上がらないし、何のために?と思う。19歳、20代前半という広がる世界を最も感じられる時代に最低1年間時間が奪われるのは、大体の人間にとって非常に悪い事だと思う。それなら高校時代にきっちり頑張った人間が報われる方がいい。

③ ⇒ 完全に僻みの構造だろう。自身のコンプレックスとか、色々な迷いと自ら向き合った人間は、口が下手でもオーラがある。確かに面接の判断基準が、「学生時代に部活の部長をやりました」だとか、就職活動面接で大量発生する嘘つき阿呆共を判断するのと同じなら問題だ。アカデミックな道を進むに足る知的探究心があるかどうか、それが入学基準にならないと駄目だろう。

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社会問題に、「誰でも彼でも大学に行き過ぎ」というものがある。今や半分の人間が大学に行く時代だ。大学に行く理由が無くても「皆行くから」というだけで行ったりする。

確かに大学に行った方が就職は「有利」らしい。大学の勉強なんて大した意味はないと社会に出た人間がかなりの割合で感じているはずなのに、大学を出たほうが「有利」なのだ。アホらしい。

はっきり言って、高校時代にしっかりと自分の道を考えて、ある程度答えを出した人間の方が、明らかに社会全体にとっては有能なのだ。だったら、中途半端な気持ちで大学に行かれるよりは、高校卒業後1~2年遊んだっていいから、早く自分の生きる道を考えるべきなのだ。

大学時代??勉強しませんでしたよ(笑)

このセリフが恥ずかしいと思える世の中にならないと、日本社会の復活は遠い。

このテーマはまた書いていきます。よろしければお付き合いください。

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