あらかじめ断っておきます。このタイトルは安倍総理の薫陶を受けたわけでも、三橋氏の意見に同調をしたものではありません。私が思う瑞穂の国とは何かを語ります。


①文化の香りがする国

私が最も大事にしたいものです。文化とは実はものすごい力を持っています。1000年前のことを考えてみましょう。時代は摂関政治時代
明るい日本、創造委員会

「この世をば我が世とぞ思ふ望月のかけたることもなしと思へば」

(この世は私の為にあるようなものだ、満月のように、欠けている(足りない)ものは何もない)


日本史でもとてつもなく有名な短歌ですね。同時代、紫式部の「源氏物語」や清少納言の「枕草子」なんかが残っています。当時の歴史を現代にありありと伝えてくれるものは、政治体制でも、歴史書でもなく一番は文化です。文化があって、そこに歴史あるを知る。逆に言えば、文化を捨ててしまった国は歴史を捨てた国と同じと言えるかもしれません。


今から1000年後、我々が生きていた証を後世に伝えるのは、政治家の言行録でも、生まれては消える刹那的流行でもありません。現代の人々が「これを絶対に残したい」と思った文化的結晶が今を未来に伝えてくれるでしょう。だから私は文化は経済より別次元で重要だと思います。


②自然と共に生きる国

世界中を見渡しても、日本ほど四季に富み、厳しい自然環境の中で生きている国というのはそうそうありません。ヨーロッパなんかはとても穏やかな気候ですし、東南アジアは年がら年中熱い、日本よりもう少し北に行くと年がら年中寒いという具合です。


この激しい気候変化は「THE 日本人」を育んできたといっても過言でありません。日本人は自然に対して畏怖を感じています。特に現在は東日本大震災によってその畏怖が呼び起された状態です。それ自体は価値を持つものでも何でもなく、自然と生きる上で必要な知識だったからこそ、自然と根付いたものでしょう。


ただ、今になって思うのです。自然に対する恐れ方を忘れてしまっていないかと。

今の日本は壊れないように、壊れないように、という気持ちが先走っているように感じます。

だから自然の猛威によって破壊しつくされたときに、再び創造することが出来ない。


多少経済を犠牲にして、自然と共に生きても良いではないですか。もっとも、生き物としての本性を忘れている今の日本人にそれが出来るかどうかは別問題ですが。


③何かが一番な国

「二番じゃダメなんですか?」蓮舫議員の言葉を引用します。

僕は今の世界の国は「何か一つのSpecial One」があればいいと思っています。

およそ、物質的には満たされきってしまった現在では、イノベーションをしようとすればするほど、おかしな方向に行ってしまう。本来イノベーションとは、そこに必然性があるから起こるもので、起こそうとして起きるものではないと思います。そんなに簡単に起こせるものなら、人類はとっくのとうに不老不死で、外惑星移住してるんじゃないでしょうか。今の企業は安易にイノベーションという言葉を使いすぎる。今までの常識すら覆す技術こそがイノベーションで、大体偶然の産物からみつかるものです。


さて、二番じゃ駄目なのか。何でもかんでも二番は駄目です。どれか一つ一番を作るべき。

例えば日本だと「宇宙開発」とか「ロボット工学」なんて気性にあっているかもしれない。なぜなら新しくは「ガンダム」、古くは「からくり人形」を作るお国柄なので。


国民に夢を与えられる産業を持つ。国民一人一人は自然と生き、生物として生きる。それでいいんじゃないかな。


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日本がこれから向かうべき道は何か。それは文化的に世界に冠たる国になることだと思います。アメリカに対してだって、中国に対してだって、これぞ我が文化と高らかに謳えるものがあれば決して負けないはずです。それが戦後レジームの脱却っていうやつなんじゃないかな・・・。



瑞穂の国は経済でも、武力でも得られない。日本人の心性と矜持から生まれる!

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嫌韓論とか、反韓論とかいろいろ言われていますけど、私はもっと残酷です。

憐韓論 これが今の私の主論です。

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1888 Seoul

明るい日本、創造委員会

なんでしょう?この掘立小屋の数々は・・・。

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1897年、李氏朝鮮は自国の名前を「大韓帝国」に改名します。何故か。清国が1894年、日清戦争の敗北し、下関講和条約によって日本は朝鮮半島の独立を清国に要求します。結果、李氏朝鮮の「冊封体制」は崩壊し、独立させられます。

さて、上のような国のありさまです。当然主権国家として成り立つことなど難しかったでしょう。どこかに寄生しながら生きていく・・・大昔からの様式美です。

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1900 Seoul 南大門
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12年たっても変わりませんね。ちなみにここはソウルの中心部に相当する場所です。

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激動の時代の中で1904年、極東の軍事バランスを大きく動かす一大イベント、日露戦争が勃発します。そしてご存じのとおり、日本は薄氷の勝利を納めます。


1905年 ポーツマス条約

「日本の朝鮮半島における優越権を認める」と決定します。

朝鮮半島北部は西部は鴨緑江、東部に白頭山があり、天然の要害と言える場所です。

古来から満州との国境があった所以はこのあたりにあります。


帝国主義のパラダイムの中で、朝鮮半島の脆弱性というのは明らかに日本国の安全保障上の問題になっていたわけです。もしロシア(当時の国力は英国に伍する程でした)が朝鮮半島を制圧したら・・・、北九州は目と鼻の先。東シナ海の制海権が失われるという状況です。

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1910年 日韓関係のXデー「韓国併合」

歴史の推論。初代朝鮮統監府長の伊藤博文は併合に反対だったと言われています。理由は日露戦争で国庫がカツカツなのに朝鮮の開発なんて出来るかというもの。上の状況ですからね・・・もっともな話です。


名目上、日韓併合というのは対等なものだったそうです。

ただ、当時の朝鮮のGDPは日本の15%と推計されており、国際社会では失笑ものだったそうです。

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1936 Seoul 南大門


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ほったて小屋が消えました(爆)・・・まあこれはソウル近辺だけの話かもしれませんね。当時の日本の農村もすごく豊かだった、というわけではないみたいですし。というわけで、立派な建物を建てたり、大学を作ったり、あの手この手でソウルは発展した訳です。1936年というと丁度2.26事件があった年ですね。


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さて、ここで物思うのが「僕が朝鮮人だったとしてこんなの教えられるか?」ということです。

自分のひいじいさん、ひいばあさんぐらいの人はほったて小屋に住んでいたなんて、想像できないくらいには今のソウルは栄えてますよね。

僕だったらこれが本当の歴史だとしても到底受け入れきれないです。


彼らの根っことなる歴史を築く時間がなかったことはただ純粋に可哀想なんですね。

日本はものすごく深い歴史を持つ民族ですから、この気持ちは理解できないと思う。


韓国人が日本人を蹴落としてでも国際社会に認められたいという思いは強くて当たり前ですよね。

自分の国に誇って教えられるような歴史がない・・・、かたや日本は重厚な歴史がある。韓国併合で見せつけられたものの中でもしかしたら一番キツイ現実だったかもしれない。


そうなるとあの反日ぶりというのはすごく可哀想になってきます。僕は韓国には切実に反日レジームから自己救済して欲しい。もし韓国がこの難題を乗り越えられたら、その時は真に先進国の仲間入りができるでしょう(そんな見込みはあまりないでしょうが・・・)


日本人にできる事、それは「突き放す」ことだと思います。いくら日本が宥和外交したって、そんな情けから反日レジームを抜け出せるわけがありません。本当の意味で独立運動をしてもらわないといけないのです。


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でもね、それって日本も同じなんですよ。日本人は敗戦の記憶を自分たちの責任としてすべてしょい込んでアメリカの犬をやってきた。アメリカともう一度ガチンコで戦争をして、完膚なきまでに叩きのめすくらいしないと、駄目なのかもしれない。戦争といっても武力戦争ではなく、技術戦争の方だけど。


そういう意味で言えば、民主党に政権交代して、やっぱ駄目で自民党に戻って、それもなんかしっくりこないけど、前向きに進めたいという文脈の変化は、結構好ましいものだと考えています。


脱亜論、脱亜論言うけどさ、こんだけ長い歴史を一緒に作ってきた中国、朝鮮半島と今更完全分離出来るわけないだろう。


東アジア、勃興の時来たれり。


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今日はふらっと地元の足湯にいってまいりました。

丁度紅葉が始まっていて、いい風情でしたね。

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色づく葉を横目に見ながら150mほど歩くと足湯の入り口が見えてきます・・・。



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入り口の写真こんな感じ。

けっこうわかりづらいところにある。



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入り口から入ってすぐ小さな橋がある。下には足湯と同じ湯が川を作っている。



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足湯。木製の遊び場が作られており、自由に腰掛け出来るようになっている。

お湯の温度は今日は40度くらいでしたね。雨が降った後だったので、結構ぬるくなっていました。

普段は50度くらいになることもあるようで、覚悟して足を入れた方がいいですね。


泉質は登別温泉と同じ、白濁色の硫黄泉です。漬けた後は足がすべすべしますね。


たまには地元の観光地に行ってみるのもオツですね。灯台下暗しで案外知らないことって多いものです。


場所はこんな感じの所です。車で行くと駐車場は無いですが、近くの温泉旅館の駐車場に止めることはナイショですが出来ます。カーナビで行くときは「望楼NOGUCHI」で検索していくとすぐ近くまで行くことが出来ます。


もう少し紅葉が鮮やかになってからいったらもっと綺麗でしょうね。けど山パワー補充してきました!

来て観て寄ってみてくださいね!






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