★京都が生んだ世界的電子機器メーカー「京セラ」ですが、その昔は京都セラミツクという会社でした。
↑のケータイWatchの記事にもありますが、稲盛氏は京セラを世界的電子部品&電子機器メーカーに育て上げたほか、市外電話料金が高かった時代に第二電電(DDI、のちに国際通信のKDDと統合し現在のKDDIとなった)を立ち上げ、固定電話に料金競争を巻き起こしたほか、これまた料金の高かった携帯電話の分野でも、セルラー方式で携帯電話サービスに参入を果たし、携帯電話の普及に大きな役割を果たしました。
さらに、より低料金で手軽に使える携帯通信を目指し、通話エリアが広く使いやすい高出力基地局を用いてDDIポケット電話グループでPHS事業に参入、移動電話の料金&サービス競争のさきがけを作ったのも記憶に残っています。
その昔、市外電話をかけると自動的にお得な電話会社を選んでくれる「α-LCR」機能が付いた固定電話機やFAX機で遠くのお友達とコミュニケーションを楽しんだり、DDIポケットPHSのデータ通信カード「α-DATA32/64」を使い、ノートパソコンをインターネットにつないで、外でメールやWebを使ったかたも多かったのではないでしょうか??
ご冥福をお祈りいたします、合掌。
(追記 8/31)
稲盛氏のお名前、京都セラミツクの社名が間違っていましたので修正いたしました。