久しぶりに難病の友人を訪ねた

一緒に葬儀に参列する為だ


人間60歳を超えると

親しい知人やお世話になった方の

訃報の知らせが増えてくる

特に若い頃にいろいろ教えてくれた

諸先輩がたは皆、70代、80代になる


先週亡くなった私の恩人は

私が20代前半で彼が50代だった

だから享年91歳だ


今回亡くなったのは

難病と戦っている友人と私の共通の友

彼の元勤務先の役員だった

心筋梗塞だったという

何の前ぶりもなく突然だった


年齢的に〝慣れなければならない〟

そんな事を自覚してしまう

難病の友は余命宣告をハッキリ受けてる訳ではないが、彼には常にその覚悟はあるという


それでも最近は

ゴチのまっすーの順位や

NEWSの音楽番組の出演情報に

一喜一憂する毎日だ


難病を最初に告知された当時は

彼の感情の境界線は

いつも不幸の内側にあった

段々、身体の自由が効かなくなり

今は車椅子生活だが

自らの未来の不安より

今週のまっすーのゴチの順位や

この夏のNEWSの出演情報が

彼の感情の境界線の基準だ(笑)


もしあの夏に三人のNEWSの

「生きろ」を偶然、聴いていなかったら

今でも彼の感情の境界線は

誰にも動かせてはいない


些細なことで幸せを感じる

当たり前のことが幸せだと思う

感情の境界線を幸せシフトにしている

そんな気がする



朝、新聞のテレビ欄に

増田貴久、小山慶一郎、加藤シゲアキ

NEWS…?を見つけると嬉しい

1日に数分間の楽しみが出来る

先日も偶然観ていた番組に

小山くんの実家のお店が出ていた

「芸能人の実家の町中華」を話題にした番組だった、ローカルの放送枠だから事前に把握出来ていなかった


幸せというか…

ラッキーだった


通夜の時の僧侶のお話

感情の境界線の幸せの線引き

「楽しみをたくさん作ってください」

「誰か、何かを応援してください」

「ラッキーだと思えてください」

「それが全部、自らの幸せに繋がります」

その通りだと思った


夕方、奥能登の友人からメールが届いた

地震で倒壊した自宅が公費解体で更地になった場所から家族皆んなで撮った写真が添付されて送られてきた 

写っている家族が皆んな笑顔でVサイン…


本文には

「Vサインはおかしいだろ?でも自然と皆んなシャッターがきれる瞬間にそうなってた」

セルフタイマーで撮影する時らしい

彼の家族の感情の境界線には

地震の不幸は既に境界線の外側だった


今朝オフィスに出社すると

「大谷選手、ホームラン2本打ちました」

我が社には野球ファンなど一人もいない

しかし、皆 幸せそうに会話する


感情の境界線の内側に幸せがいっぱいだ

相変わらずオフィス内のモニターには

NEWSのDVDが当たり前に流れている


仕事のスケジュール用のはずの

ホワイトボードには

「ほたるん」さんと

「増田貴久とNEWSと共に」さんの

ブログから入手した情報が書き込まれる

毎回〝その情報〟で些細な幸せが増える


感情の境界線の内側に

楽しみがたくさん増えてる


そんな些細なことを楽しみに?

子供の頃の祖父を思い出す

二ヶ月おきに開催される大相撲の番付や

その日の新聞のテレビ欄にお気に入りの演歌歌手の名前を見つけた時の幸せそうな祖父の笑顔を…


今その当時の祖父の年齢に近づいている