昨日のブログで取り上げた”まっすー”の記事について

5月31日の「ハマダ歌謡祭」の彼の歌唱で

NEWS増田貴久が称賛されまくっている

という内容だった

 

前提の”辛辣なコメント”があったという表現には

「?」でしかなかったが

彼を詳しく知らない層にはインパクトはあったはずだ

 

チューネンハントは年間30回ほど講演やセミナーを取引先や関係団体から依頼されている

 

 

経営者向けのビジネス講演会が中心だが

5年ほど前から若者向けのセミナーや講演も増えている

 

通常、講演料をもらう講演やセミナーでは

「簡単なことを難しく語り、それらしくまとめる」のだが

私はその真逆で

「難しいことを簡単に語り、リアルに表現する」

それが受けて特に新入社員向け、就活向けの依頼が増えている

 

NEWSのファンになってから特に若者向けの会場では必ずNEWSの話題を取り上げて彼らの反響を伺っている

「私もファンです!」

というリアクションは然程多くはない

しかし、最近になって

「テレビでよく観るまっすーは歌がうまい」

「NEWSのこの曲は良い歌だから聴く」

「音楽番組で観るNEWSは魅力的だ」

「YouTubeでライブ観て感動した」

という意見も聞かれるようになった

 

2020年ころは自虐ネタともいえる”人数減少”が

最近では既成の事実になっているとともに

三人のNEWSの熟成度が認知度を上げているように感じている

 

前述した「辛辣なコメント」を聞くことは増田くんだけでなく小山くんに対しても加藤くんに対しても皆無である

もちろん、講師である人間がファンだと宣言しているのに敢えてマイナス評価をすることはないかもしれないが今の若者はそんなに忖度することはない

他者の推しだとしても自らの意見を世間一般論として簡単に口にする

 

それではネット上で存在する「辛辣なコメント」とは何なんだろう

ネット社会になって一番の問題が”匿名性”による書き込みである

匿名だから日常の会話より気軽にコメントを発することができる

普段は思ったことをそのまま口にできない人間もこの匿名性で思ったことをそのままコメとにしてしまうのだ

 

但し、その意見をわざわざコメントに入力する動作につながるか?

それが疑問でもあった

セミナーで若者たちと直接対話すると”辛辣な表現”こそないが

「NEWSはもっと歌に力を入れるべき」

「三人でバラエティ出たほうが魅力的」

「そんなに笑いを取る必要はないと思う」

これらの意見も

こちらから尋ねるから応えてくれるのだ

わざわざコメント内容を”辛辣”にする必要などないからだ

 

この春、新入セミナーである女子が口にした

「辛辣なコメントってもしかすると辞めジャニのファンだったりして…」

その彼女のコメントに賛同している周囲の反応が少なくなかった

彼女は「最近5人が2人に減ったグループ」のファンだった

だから常にそう感じることがあるという

彼女からすると明らかに辞めた側のファンの”攻撃”だと感じるとのこと

 

我が社のスタッフも同じようなことを報告してきたことがある

彼は引きこもり時代からハッカー並みのPCのスキルを持っている

以前からがNEWSに対して”辛辣なコメント”を投稿している属性をIPアドレスやサイト単位で独自に調べるとほぼ”この推論”と同じ結果だという

特定の属性(辞めジャニのファン)が紐づけされるというのだ

一方には辛辣コメント、一歩には称賛コメント…バレバレなのだ

 

普通に考えると全くの一般人がわざわざ特定のグループや個人をそこまで辛辣にはコメントしない百歩譲って尋ねられれば応える程度だ

 

とにかく私が感じるのは…

①NEWSという存在は認知されている

②NEWSの数曲は好きだという人もいる

③個々の活動も認知されている(ドラマ、バレエティ、小説、SNS)

④興味や関心はないが嫌いではない

⑤嫌いではないが興味や関心はない

 

最近はNEWSがフェスに参加して”生のNEWS”で興味や関心が増えている

熟成されたアイドルのパフォーマンス

NEWSの名曲の数々

チームNEWSとNEWSの円熟さ

 

これはフェスの後のNEWSファン以外の方のコメントに溢れている

”辛辣なコメント”などほとんど見当たらない

純粋にNEWSの魅力を感じ取ってくれている

これらを見るとSNSも悪くない…と感じる

「知らず嫌い」なのだ

「食わず嫌い」と同じで

知ると関心ができもっと知ると好きになる

 

前述のスタッフが言う

「それでもアンチコメントを絡めてくるのは”常連さん”ばかりです、世の中の大勢ではありません」

多分、そうだろう

 

彼が独自で作成した”ブラックリスト”なるものがある

そのような方々はもっと

他者批判の労力を推しに使うことを願うばかりである