あるトラブルの件で取引先のトップが激ギレしていた

 

担当者の部下に尋ねると

ある程度の経緯が把握できた

 

この二代目に当たるトップ

引き継いだプレッシャーは理解できるが

少々、思考の深さが足りないようだ

 

目の前で起きることに目を奪われ

短絡的な判断のもとに

感情だけが先走りする

少し時間をかけて熟慮すると全体が見えるのだが…

 

何が原因だ、誰のせいだ、

何故そうなったんだ

そればかり連呼している

もちろん、その把握は重要だ

 

しかし、組織なのだから一番大切なのは

その過ちを繰り返さないようにすることだ

 

担当者に相談を受けて彼(トップ)に会った

私が訪問した時点でも”激ギレ”は治まっていなかった

既に関係者に事情を聞いていたので苦言を制することになるが

「木を見て森を見ず」

じゃダメじゃないだろうか?

 

 

そう言うと彼も

「そうです、そのとおりです」

と返してくるのだ

 

そう返してくることに戸惑ってしまった

「木を見て森を見ず」という意味は

(小さいことに心を奪われて全体を見通さないたとえ)なのだ

 

現在の彼のことを言ったつもりだが彼はどう捉えてしまったのだろうか…

その数日後、再度彼に会う機会がありその話題になった

その時は正しい解釈で認識していた

 

今回のことで私も反省した

「木を見て森を見ず」などと言わず

「小さな事ばかりに注意が集中すると全体が見えなくなるよ」

最初からそう若い彼に伝えるべきだった…と

 

昭和の時代の経営者は尊敬する人物の本をよく読み自己啓発に勤しんでいた

時代が変わったのだ


何年か前に

これも若い跡継ぎにかけた言葉だ

「成功とは99%の失敗に支えられた1%」

      本田宗一郎(ホンダ創業者)

と言うと

「99%も失敗したら潰れてしまいます」

とそう返ってきたのだ


言葉をそのままとってしまったのだ(汗)


よくよく思い出すと

「金がないからできないと言う人は、金があってもできない」

       小林一三(阪急電鉄創業者)

この時も

「金さえあればできるでしょ」

と返してきた若い役員もいた


ある老舗の跡継ぎに

「虫の目、鳥の目、魚の目」が必要だ

       牛尾治朗(ウシオ電機会長)

の話をした時などは

「私、目が悪いんで…」

と普通に応えてきたこともあった


意味は

虫の目は

近づいて様々な角度から物事を見る

鳥の目は

高い位置から俯瞰的に全体を見回す

魚の目は

潮の流れのように流れを見失うな

と言うそれぞれの意味があった


今の世の中では

わかりやすく話した方が良いのだろう


簡単な言葉を格言などで難しく伝えるより

如何にシンプルに伝えるかが大事なのだ

 

もう格言を用いて経営を語る時代ではなくなったのかもしれない