”愛記”の概念設計をやり直す:カルマについて | 続・ティール組織 研究会のブログ

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ティール組織が話題になっているが、具現化するにはどうしたらよいか?
その研究を続けるにあたり、さらに次の形態である、続・ティール組織なるものまで視野に入れ、具体的な施策・行動内容を研究・支援する会。

ご要望にお応えして、今一度、"愛記"について記載を開始したい。どのように実装していけばよいのか、概念的なところからアプローチ方法を記載していく。

 

先にカルマを抱えていることで、魂の方向性から大きくズレて、目標を見失い自暴自棄になることがあると記載した。では、カルマとはどのようなものだったのか、今一度整理してみたい。以下、こちらより抜粋

 

カルマ(karma)は、仏典(お経)でいう業ごうと同じ意味合いを持つ。カルマには、結果を伴う行い・行為という意味があり、前世での思考や行いを1つの経験として魂が記憶したものを現世で人の性格や傾向などを作りだし、来世へと引き継がれていくというスピリチュアル的な意味があるといわれている。人が輪廻転生を繰り返していく中で、善いことをすれば次の人生は善くなるし、悪いことすれば善くない・罰が下る人生になるという考え方だとされている。全ての人たちがカルマを背負って生まれてくるので、カルマの意味や特徴について知ることは全ての人たちにとって重要であるかと思われる。

因果応報・カルマの法則とは

因果応報もカルマも仏教から出た言葉であり、スピリチュアルでいう因果応報とカルマの法則は同じ意味を持つ。カルマの法則とは、輪廻転生を通して過去世・現世の善い悪い全ての行いの結果が返ってくることだといわれている。昔から、悪いことをすれば悪いことが返ってくる、善いことをすれば善いことが返ってくるとされているので、善い行いをして善悪の中の善の積み重ねを少しづつ増やしていくことでしか幸せを手にすることはできないとスピリチュアルでは定義されている。カルマの法則は、前世での悪い行いを認めて受け入れ、現世で善い行いとして人に尽くすなど、日頃の行いが人生を変えるといわれている。

カルマが重いとは

重いカルマとは、悪い行いを多く積むとカルマは因となり、前世での罰が現世で与えられるため、生まれながらに恵まれない苦労が多い人生を歩むことになるというスピリチュアルな意味がある。人は、輪廻転生を続ける限り、何かしらのカルマを背負っているといわれているが、自分が前世で悪行を働かなかったとしても、自分と血縁関係にある先祖のカルマを背負ってしまう場合もある。現世では、自分の行いに責任を持ち人生を丁寧に生きていくことが、重いカルマの人の目標になるとされている。

カルマは過去世から引き継がれている

転生輪廻をくり返す中で魂が記憶した性格や特徴などは、過去世から来世へと引き継がれていくもの。カルマは、過去世や前世の行いや振る舞いを含む原因(善悪)が、結果(善悪)として表れるということ。例えば、前世で異性に恨みをかうようなことを続けていた場合は、現世では、異性から嫌われる傾向にあるなどである。他には下図のような傾向もある。

 

スピリチュアルでは、全ての人たちが成長するために必要な人生を選んで生まれてくるといわれているので、重いカルマを背負っていれば、それを改善するための必要な環境や試練が与えられるとされている。カルマとは、人が成長するための課題のようなものなので、現世で改善することができなければ、来世に引き継がれていくということになる。

カルマを現世で解消し悪癖を改善することで霊格が上がる

人が輪廻転生を繰り返すのは、霊格をあげるという目的があるからだといわれている。魂は、何を学びどのように向上していくかという目的を持ってこの世に生まれてきている。しかし、自分の魂が望んでいない悪い行いをした場合、悪いカルマを背負ったままこの世を去り、次に生まれ変わったときに悪いカルマを解消しなければならなくなるのである。苦労の多い人生の原因となっているカルマの悪癖を解消しなければ不運が続き、不運が続けば更に心が荒み、新たな悪癖に手を出すこともある。これが冒頭で記載した、魂の方向性を見失い、自暴自棄になっている状態ということだ。

 

カルマの悪癖は、現世で悩みや問題として表れるが、そのことから逃げずに乗り越えて改善することができれば、霊格があがるといわれている。カルマの悪癖を解消し改善することには苦しみや辛さが伴うが、それは愛に気づき、感謝の気持ちを持つための修行のようなものだとされている。そう、いかに愛に気づけるか!がポイントになる。

 

では、どうやって気づけるかだ。分かりやすく言うと、ヤクザや極悪人が”愛”に気づけるか?ということだ。答えは、気づける!としたい。なぜなら、ヤクザや極悪人にも魂が入り込んでいるからだ。問題は、もはや魂の方向性から大きくズレて、自暴自棄になっており、魂と会話しようとも思わない状態になってしまっている!ということだ。そんな状態の人に、”愛”の話をしても、一蹴されて終わるだろう。そう、”愛”という言葉が、とてもとてもレベルの高いモノに聞こえるからなのだ。現実はそうではない。”愛”とは、レベル1~12まで分けられるのだ。それぞれのレベルに”肉体”の状態があるというだけのことなのだ。どのレベルにあるのかは、人それぞれ違うのだ。

ヤクザや極悪人であれば、金属の輝きがキレイと思うだろうし、お金にも固執するだろう。それはレベル1の状態に”肉体”があるということだ。社会で上手く溶け込めず引き籠もり状態の人ならば、光と闇の”闇”の部分に焦点を当ててしまい、”光”の部分に焦点を当てられない、光のような明るい言動が取れないのであろう。それはレベル4の状態に”肉体”があるということだ。このように人それぞれ、”肉体”側の状態が違うということだ。

 

ならば、それぞれの状態の人々はどうすれば良いのかというと、同じレベルもしくは1つ上のレベルを目指せば良いのだ。ヤクザや極悪人であれば、レベル1もしくはレベル2を目指せば良い。つまり、見た目、プロポーションを良くしていくことが1つの行動の目安になるのだろう。見た目をお洒落に綺麗にしていくことが出来れば、レベル1の愛の行動をしていることと同じ状態になる。”愛”という言葉を意識せずとも、1つ1つの行動を意識するだけで、愛の行動になっているという具合だ。引き籠もり状態の人の場合は、”闇”にばかり焦点を当ててしまう癖があるのだろうが、そんな中でも、1つでも明るい言動をしてみることだ。ポジティブな発言を1回だけしてみるとかだ。これを繰り返していけば、やがて”光”なるものが少しは見えるようになるのかもしれない。これがレベル4の愛の行動をしていることと同じ状態になるということだ。

 

そう、”愛”とは1つ1つの行動に分解できうるのだ。だから、自分が今出来るレベルの愛の行動をしていけば良いだけなのだ。難しく考えることはない。

 

これを概念設計するならば、どうすれば良いか?結局は、自分が今どのレベルに居るのか?ということが分からないと、どのレベルの行動を重点的にしていけば良いのかが分からなくなるということだ。これが”愛”とは良く分からない崇高なモノとして見られてしまう原因なのであろう。そう、自分の今のレベルが分かれば、そのレベルと同じかもしくは1つ上のレベルの行動を重点的にしていけば良いだけなのだ。

 

 

いかがであろうか、カルマから今の自分のレベルまで、話を展開してみた。次回、どうすれば自分のレベルがわかるのか?ということについて記載したい。それがカルマとおおいに関係あるのだから。