先に第8次元:人類について記載した。
今回も、続きを記載していきたい。
今回は、膵臓の役割を担う宗教家に
ついて記載したい。以下こちらより抜粋。
なぜ人類は〈神〉という概念を生み出し
たのか? 著者は認知科学、考古学、
歴史学などの最新知見を踏まえて、
その難問に挑んだ。
考察の出発点には、進化心理学が唱え
る「心の理論」が据えられている。それは
人類が進化の過程で獲得した、人やモノ、
出来事の背後にある意図や動機を推察
する能力だ。
「人類は宗教的衝動を持つことで子孫を
残すのに何かしらの優位性を得たはずだ、
という前提に立って、学者たちは200年
以上に亘って、宗教の起源を探ってきた。
しかし、認知科学者、進化生物学者は、
宗教的衝動は子孫を残すのに何らの優
位性ももたらさないどころか、資源とエネ
ルギーを浪費するので不利に働く、という
結論に達した。
ゆえに多くの専門家は、宗教的衝動は
人類が進化の過程で得た『心の理論』
などの能力から偶然生まれた副産物で
あるとするのがベストの仮説だと考えて
いる。
「心の理論」がもたらす能力によって、
人類は天変地異、巨木、巨石、森で出
遭う動物など身の回りのありとあらゆる
ものの背後に意図や動機を感じ取り、
それらを擬人化する。それらが自分たち
の集団に恩恵や災厄をもたらすものだ
と認識され、共有されれば、崇拝や畏怖
の対象となっていく。〈精霊〉が生まれ、
やがては神が出現することになるだろう。
定住と農業と宗教の関係についても驚き
の考察を展開する。
「長い間、定住は農業を始めたことの結
果だと考えられてきた。人類は穀物を育
てる必要があるから定住したと。しかし、
その説はまったくの誤りであることがわか
った。その強力な証拠は、農業革命よりも
数千年前から存在していた大規模な定住
遺跡である。トルコ南東部で発掘された
ギョベクリ・テペのような神殿遺跡は、人
類が宗教的理由から定住を始めたことを
示唆している。定住の結果として、人類は
農耕と牧畜を始めたと考えられるのだ。」
定住革命以後、〈神〉の概念に革命をもた
らしたのは、ユダヤ民族の離散である。
その歴史的経験から〈一神教(モノセイ
ズム)〉が生まれた。一神教の神は唯一
の神であり、善と悪、愛と憎しみ、創造と
破壊など擬人化された神が担っていた
相反する概念をすべて引き受けるため大
きな矛盾を抱えることになり、非人格化
されていった。かくして〈一神教〉の世界
は、偶像崇拝と偶像破壊、擬人化され
親しみやすい〈神〉と非人格化され親しみ
にくい〈神〉の間で揺れ動くことになった。
この葛藤を見事に調停したのがキリスト
教だという。
「キリスト教が世界史において最も広がり、
成功した宗教となりえた理由がここにある。
キリスト教は〈神とは何か〉という問いに最
もシンプルで多くの人を納得させる方法で
答えた。〈神とは完全な人間である〉と。
それは心に響く答えであるだけでなく、
元来、人類の脳に組み込まれている思考
法なのだ。私たちは無意識のうちに人間
に引き寄せて神を考えるように仕向けら
れている。つまり、擬人化された神を唯一
の〈神〉として心に思い描くように。」
今、世界では宗教を持たない人々が増え
る一方、宗教紛争も絶えない。人類と宗教
の関係は今後どうなっていくのだろうか。
「確かに人類は宗教に関心を寄せなくなっ
ている。しかし、それは宗教を通して自分
が何者であるかを確かめなくなっただけで、
〈スピリチュアリティ〉と言われるものへの
関心は高まっている。人類はやはり〈宗教
的動物(ホモ・レリギオスス)〉なのである。」
一方、我々日本人は、八百万神の思想だ。
人だけでなく、山や川、木や草や岩に至る
まで、ありとあらゆるものに神が宿ると考え
るのだ。
それは日本神話(古事記・日本書紀)の中
に書かれており、日本人の精神を構築し
ている。そして、神々は人間同様、愛憎を
繰り返し、醜い姿もさらす。
キリスト教と異なり、神は完璧な姿!という
わけでは無いのが特徴だ。
そして、人間もまた神になっていく。
豊臣秀吉や徳川家康など、実在人物も神
になっていくというのは、日本国の特徴で
あろう。神ですら過ちを犯し、愛憎をくり
返すのだから、我々一般人もまた、同じ
ように過ちや愛憎を繰り返すのであろう。
それでも、人を尊敬し、感謝し、愛しあい、
生きていくのである。これが日本国の
宗教観であろう。
日本国内のみでビジネスをするので
あれば、宗教の問題はあまり大きく影響
はしないのであろうが、一歩国外へ出ると
途端にその宗教の壁を感じるようになる。
国際的な場で、現在の世界が抱える問題
や未来の課題について論じるとき、宗教
の知識を土台に自分ならではの意見を
伝えることが極めて重要である。同時に、
相手の立場、歴史観、宗教観に寄り添う
ことができてこそ、世界における教養人と
なるのだ。
古代、必要不可欠だった宗教はそれぞれ
系統立てて整理されながら、世界へと広
がっていったのだ。近代になると科学が
進歩し、様々な解けなかった謎が解けて
いった。なぜ嵐が起きるのか、なぜ病に
かかるのか、合理的に説明できることが
増え、科学によって人類共通の課題へ
の答えが出されることで宗教のニーズが
相対的に下がっていった。
民主主義の広がりによって、政治が宗教
の権威を借りないことも多くなり政教分離
の観点から、宗教を用いた政治はむしろ
忌避されるようになったのであろう。
宗教の重要性が薄らぐ流れは、つい最近
まで続いていたと思う。
ところが二一世紀になった今、科学があま
りに進歩していくなかで、なおざりにされて
きた倫理や哲学が改めて問われるように
なってきている。
「科学技術で人を誕生させることができる
としても、本当にやっていいことなのか?」
「医学によって命を永らえることと、満た
された死を迎えることは両立するのか?」
まさにこうした問いが突きつけられている。
私たちはあたかも万能なもののように科学
に魅了されて近代を生きてきた。しかし、
科学はかなり進歩したとはいえ、災害や
死の謎について完全に解き明かしたわけ
ではないのだ。人が何に惹かれ、何を考え
何を選択するのかも解き明かされたわけ
ではないのだ。
これからは、改めて宗教の役割が見直さ
れる時代がくると、当方は考える。それは
人間が生きるうえで、欠くことができない
思想なのであり、生き方なのだから。
それは第3次元:会社という生命体でも
同様のことが起こるだろう。
今までは、オフィスに勤務し、同じ人種の
人と接するビジネスモデルであった。
しかし、今後はテレワークなどの働き方に
なってくると、インターネットにより国境と
いう垣根は取り払われグローバルになる。
今までは大手企業のみがグローバルと
いうことを意識したのだが、今後は中小・
零細企業であったとしても、同様に意識
せざるを得なくなるのだ。
今まで通りに話したり、プレゼン資料を
作成してもまったく伝え方が違うのだ。
欧米人への伝え方と、アフリカ人への
伝え方、さらには子供への伝え方など、
ありとあらゆる伝え方があり、それぞれ
人によって異なるという事だ。
今までは、伝え方を研究している会社は
そう多くはないだろう。代表的な企業で
あるリクルートは、伝え方、見せ方、広告
というものを行動心理学に基づき、徹底
して研究して今の地位にいる。
これからの時代、リクルートが研究した
ように、中小・零細企業もまた、伝え方、
見せ方、広告というものを行動心理学や
宗教や国別に研究していかねばならない
時代になってくるのだろう。
その時、必ずや当方が提唱する”魂”と
いう理論、三位一体波動理論を研究せざ
るを得なくなるだろう。なぜなら、人間とは
肉体と魂と精神の三位一体でできている
のだから、精神だけを研究してもダメなの
だから。魂も肉体も精神も、三位一体で
研究していかねば、伝え方、見せ方、愛
し合い方、広告の仕方、が見えてこない
のであるから。
結局は、波動というエネルギーとして捉え、
エネルギー交流だという見方が必要なの
である。まさにティール組織の維持・運営
の根幹を成す思想なのだ。