徳川家康の人間関係学 最後に勝ち残る男の選択 | MONACOへの道☆中嶋航の『想い』を語るアメブロ

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夢の実現にむけて邁進する中嶋航のブログです。2010年7月から書きはじめて10年以上の月日が経ちました。
記事内容は月日にあわせて様々ですが(笑)これからも想いや学んだこと、感じたことを記録していきます!

2023年の大河ドラマは


「どうする家康」という事で

タイトルにも惹かれて購入しました(笑)


なかなか参考になる内容でしたよ!


オススメ度…★★★★

響いた内容…

・人生訓

「人の一生は、重い荷を担いで遠い道を行くようなものだ。急いではならない」


・「水はよく船を浮かべ、またよく覆す」

船を家康、水を部下にたとえれば、意味ははっきりしている。それだけ部下は信用できないということ。

・経営体が活性化さるためには

①理念の設定

②その追求

③そのための推進組織の変革

④意識変革を重要視する などという事が必要


・名将言行録での徳川家康の言葉

「何でも自分ひとりでやったと錯覚して、おれがおれがというのら間違いだ。これは一種の病気である。どんな人間にも必ず欠点がある。驕り高ぶっていると、必ずほろびてしまう」


・名将言行録

「諫言は一番槍よりも難しい」

諫言(かんげん)… 目上の人の欠点や過失を指摘して忠告すること。諫(いさ)めること。また、その言葉。


・ネットワーク運営方法

①まず、家康はネットワーク構成員すべてに、慢性飢餓感を与えていたこと。つまり、あるものには「不安」を、あるものには「不満」を持たせて、絶対に満腹感を与えなかったこと。

②戦国社会における低身分層をネットに組み込んでいたこと。そういう層の憤りを利用したこと。

③情報収集後の決断に、つねにホンネとタテマエのふたつを用意し、自分はタテマエしかいわなかったこと。ホンネは必ず他人もしくは部下からいわせ、やむを得ず、それに同調するようなポーズをとりつづけたこと。


・天下奪取後に編まれた徳川政府の構造は、親藩、譜代、旗本たちには「実より名を」与え、外様たちには「名より実を」与えた。

古くからの付き合いのある層には「不満」のエサを、新しい付き合いの層には「不安」のエサを、それぞれ眼前にブラ下げて、ドッグレースを演じさせていたのが家康である。ともに緊張して忠勤に励まざるを得ない。


・孟子の政権移動説「禅譲」と「放伐」

①たとえ王者であっても、徳を失ったと気がついた時は、徳のある者にそのポストを譲るべきである。

②ポストの譲り合いが平和裡に話し合いによっておこなわれることを禅譲という。

③徳を失ったにもかかわらず、あくまでもポストにしがみつくときは、徳のある者は実力行使によってこれを排除できる。この実力行使を放伐という。