こんにちは。ニューヨークで役者やってます、まみきむです。
NYアクターの生活、オーディション、現場での様子、また独断によるツッコミなどをお届けしています。
実は里帰りシリーズがまだ少し残っているのだが、やはりニューヨークに住んでいる限り、この日を忘れるわけにはいかない…本日9月11日は、ワールドトレードセンターで起きた、同時多発テロの22周年にあたる…
あの日に、実は私もあのテロにニアミスしていた事はすでにお話しした(過去記事参照)が、そんな私でも20年を過ぎた頃から、その当時の生々しいショックは次第に薄れつつある…ましてや、その数倍の犠牲者を出したコロナ禍の方に、悲劇の度合いで負けつつある感もなきにしもあらず…そしてこのコロナ禍の方は、実は現在も進行中だったりするのだが、そんなコロナ禍パンデミックの記憶でさえ、喉元過ぎれば何とやら…早くも風化しつつあるのだから、本当に人間というのは懲りないものである…
ただ、そういう辛い経験を忘れようとするのは、ひょっとしたら人間の本能にプログラミングされた機能なのかも知れない…と最近思うようになった…
ずっと覚えているのは、あまりにも辛い…そんな記憶も、時が経てば自然に薄れていく…だから人はそれを乗り越え、前向きに生きていけるのかも知れない…つまり、悲劇による悲しみが時が経つにつれて風化していくのも、ある意味健全な証拠で、人間に与えられた救いと言えるのではないか…最近そういう個人的な悲しみを経験した後だけに、なおさらそんな風に思えてくる…
しかし、だからと言って、その悲劇を歴史の中から消し去る…というのは、あってはならない事で、その点は勘違いしてはならない…
特に、なぜそういう悲劇が起こったのか?!…という事に関しては、その原因も含めて、歴史の中で十分に検証され、断固次世代に伝える必要がある…そうでないと、人間はまた同じ過ちを繰り返してしまうからだ…
そして本当に怖いのは、そういう悲劇に「慣れてしまう」事かも知れない…あまりにも長い間それと一緒にいるが為に、感覚が麻痺してしまい、それが「悲劇」としての役目を果たさなくなってくるのだ…最近のコロナ感染者数の増大している…割には、一向に危機感が感じられず、もはや誰もマスクを着用しないニューヨークでは、特にその傾向を実感する…
日本の福島原発事故も然り…今も実質的には何も解決していないというのに、当時の放射線に対する危機感は今はもうなく、放射線物質をたっぷり含んだ汚染水でさえ、薄めれば海に流してもOK…というのを地元の人達でさえ受け入れている…そうなると、外部からはもはや何も言えなくなる…
関係者に「いつまでも悲しみ続けろ」と言う事はできないので、悲劇の風化もある程度は仕方のない事…と受け入れるしかないかも知れないが、それを単なる過去の出来事として忘れるのではなく、少なくとも現在に通じる危機感だけは持ち続ける努力をする…と言うのは重要ではないか?!
ただでさえ、人間というのは忘れやすくできているのだから、それ相応の努力は必要だろう…せめて忘れない努力でもしないと、それこそ亡くなった方々も浮かばれない…そして、そういう記憶を形にする…という事こそが、文化ではないだろうか…
★過去記事★

