前回、「グレート・ギャツビーに出てくる デイジーは 今で言うと どんな人でしょう?」
という質問で、 アメリカの高校生が 「パリス・ヒルトン」 と答えていましたが、
こんなふうに、アメリカの授業では、「今で言うと何に当たるでしょう?」というようなことを
クラスで話したりするようです。
こないだ聞いたのは、世界史の授業で、中国の歴史を習っていた授業中、
「纏足」の慣習が、出てきたそうです。
先生がひととおり 纏足の成り立ちなどを説明した後、生徒たちに向って、
先生「今で言うと、纏足は どんなことでしょうね?」
と話すと、生徒たちは 口々に、
「ピアス」とか「タトゥー」とか、色々なことを 言い、
一人が、「歯の矯正」 と言ったところで、
他の生徒たちが おー、おー と納得していた という授業の様子を聞きました。
こんなふうに、歴史上の終わってしまったことや、
小説の中の架空のことなど を、
現代のトピックや、身の回りの事象に 置き換えることを
生徒たちに 想像させる時間を 授業中に作ってあげるのは
とても いいことに思えますが どうでしょう?
授業で聞いて覚えるだけではなくて、
そのことを 現在の自分たちの知っている世界のことに 関連させる トレーニングを
子どものころから 教育の中で やっておくのと、あまりやらないのとは
将来、子どもが大人になった時になにか違ってくるんじゃないかと思います。
それに、上記の授業中の話し合いで、
特に「答え」というのを先生は用意して問いかけているわけではなさそうなんですよね。
やっぱり、少なくとも日本も少人数学級にした方がいいと思うんです。
少子化を待ったりなんかせずに。
その、景気対策の税金の使途に組み込めないんでしょうか。