今回はちょっと吐き出し系なので、エラソーに聞こえたらごめんなさい(笑
タイトルを書いた瞬間、他人を満たすために自分が存在しているのではなーい、と自分に跳ね返ってきました。
これは、自分にもよく言い聞かせをしたいことだな、って思います。
特に赤ちゃんを育ててきたママたちは、子供の欲求を満たしてきた名残と、どこかで必ず向き合う必要があるので。
自分を満たす判断、決断するのは自分ですね。
こんにちは。直美Leeです。
他人に
「がっかりした」
「裏切られた」
とか、言える人。ちょっと羨ましいなって思っています。←皮肉です。
でも、そういう人は常に人に裏切られたような怒りの体験が続くのかもしれない。
自分の信じ込みが全てで正しいと信じて疑わないから。
自分の成長や学びには、自分の信じ込みを疑ってみたり、壊していくことだったり、自分を真逆に変えることだったりするんだけど。
常に自分の正しさで進んでいくと、それに沿わない体験が目の前に現れても、それを批判してみたり、離れてみたりして、避けてしまうと、本当の自分の成長から離れてしまうから。
でも、他人は「その人そのものを生きるために存在している」のであって。
あなたを満たすために、あなたの基準を満たすために生まれてきたわけではない、ですね。
特に世の中の正義や正しさ基準が自分の基準になってしまっていると。
本音が出せない自分と社会の常識に合わない他人が目に入ってしまって、何重もに苦しくなります。
でも、他人だと都合良く「離れる」ことが出来るでしょ。
でも、自分の子供だったら?
自分の子供に「がっかりする」「裏切られた」と思った・・・・としても。
離れることは難しい(いるけどね)。
そこで、悩んだり苦しみが生まれるんだけど。
そこで、何とかうまく子供が自分の思い通りになってくれたりすると更に悲劇で・・・
自分を満たすために他人が存在している、という勘違いがずーっと続いてしまうのです。
だから、「思い通りにならない身内」とか「子供」って。
実は、自分の視座を上げてくれる最高の存在なんだな、と思います。
で、それを学びに変えるには。
「自分のものの見方を変えること」
「自分を満たす方法を知ること」
他人を批判することでは決して自分は満たされないといつか気がつくと良いね、と思うわけです。
飢えてる自分の国を。他国を批判するだけでは救われないように。
(ちなみに、人を批判することと自分の中の怒りを出すこと、は別ものです)
批判したくなる自分の中の気持ちには、何があるのかな。
我慢かな。悲しみかな。怒りかな。苦しみかな。
だとしたら。我慢している自分、悲しんでいる自分、怒っている自分、苦しんでいる自分をしっかり受け入れてみてほしいな、と。
と、その前に自分の本音に気づく。そしてどこまでもそれを許してみる。
そんな事をしていると、他人を無自覚に批判する、という行為の意味の無さ、救いの無さに気がつくはず。
そこで敢えて苦しまなかった人は、それが課題ではないのでスルーして下さいね^^